禅宗では、目を半眼にしなさいということを、よく耳にします。 私は、座禅を生まれて初めて行なった10数年前から、いつも真っ暗闇の部屋で胡座を組んでいますので、目を半眼にするかしないかを、意識したことがありませんでした。
数年前に毎朝、坐禅会を行なっている近くの臨済宗のお寺に参禅した時に、初めて和尚さんから、目を瞑らず半眼にしなさいと、注意をされました。 その時から、私は何故、半眼にしなければいけないのかを、座禅の時の雑念の時に、考えて来ました。
私たちは長く吐く呼吸を通して、静かになります。 時間の経過とともに、体の深層部も次第に静かになり、と同時に力が抜けてきます。 力が抜けた究極的な姿が、目は半眼になるというのが、私の結論でした。
目を半眼にするのではなく、目は半眼になるということです。 一説によれば、お釈迦さまの瞑想の姿を見たお弟子さんたちが、お釈迦さまは半眼であったということから、半眼にしなさいという説になったというのです。
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