ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

人に教えてもらうのは難しい

2007-11-27 17:28:41 | 座禅
 高校時代のバスケットボール部でのコーチからの指導は、有無を言わせず徹底したスパルタ教育でした。 好きで始めたので、3年間練習が休みだったのは、元旦の日だけでした。 公立学校であったにも拘わらず、大学生のOBが毎日のようにコーチとして指導をしてくれ、その外いつも3、4人のOBが練習の応援に来て、愛のむちをくれたものでした。

 そんな怖いコーチの指導に対しても、もう少し自主性を引き出すような練習方法にできないかと、考えていたりしました。 そうはいっても、高校に入ってからバスケットをやるような生徒の集まりの中で、背も特別高くは無いのに、東京都の代表として全国大会に行くのが、当たり前でした。 接戦になった場合には、最後は精神力が決め手になったようです。

 座禅〔静功)を始めた時は、子供の頃から気功をやっていたという中国の方が先生で、W大学の研究室で勉強しているという35歳ぐらいの方であったように記憶しています。 何事も子供の頃から始めると、色々なものが自然と身についてしまい、私どものように皆目、何にも分からない人間にとっては、何をどのように考え行動すればよいのかの視点が、欠けているような気がしてなりませんでした。

 意念法という方法で、胸の中心が熱く燃えるようなイメージで、座禅〔静功)しなさいという指導の仕方だったように、思い出されます。 どういうわけか私一人が、逆腹式呼吸の息を体に吐く息音だけが、静寂さの中で聞こえたようでした。

 さすがに3回目の授業が終わった後で、私に座禅の声かけをしてくれた大学の級友が、お前、もう少し息音が聞こえないようにやりなさい、と注意をしたほどでした。 先生は呼吸法を伴いながらの意念をは、教えてくれませんでした。 結果的に、みようみまねで私自身がなんとなく、逆腹式呼吸をやっていたようです。

 大人になってから、座禅を一から始める場合に、何が大切かを実を持って知ったような気がいたしました。 私自身、体の中の気が、何も分からないうちに動いてしまい、後から本を買い求めて読んで、あーこういうことだったんだという理解の仕方が多かったように思います。

 30台で始めたテニスもそうでした。 当時、ボールが来る方向にラケットを並行にしてヒットするスタイルが主流をなしておりましたが、非力な私は、自然とボールを擦るような打ち方を、自然とやっていました。 当時のボルグがそのような打ち方で、コナーズがストレートに打つスタイルだったように、記憶しています。

 どうも下手は下手なりに、練習も工夫し自己流で何事もやるような性格なのかもしれません。 教え方の上手な先生というものは、なかなか出会えないものといつも感じ、行動してきたように思います。


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