無我夢中で深呼吸の要領で、長く吐く呼吸を行いながら、真っ暗闇の中で1時間座っていただけで、目には見えないけれど宇宙に無尽蔵に存在するという気を感じるようになって、体の方が先に反応して、後から参考書を見て、こういうことなのかと認識してきました。 私は、これをあえて感得という言葉を使っています。
日常的なあらゆる出来事を、深夜の1時間の座禅の中で、ふと浮かぶ雑念の中で考える事になります。 意識が一点に(長く吐く呼吸に)集中しているときに、改めて考えてみると、私の感覚で云えば、宇宙の叡智がサジェスチョンしてくれる感じです。
ものの考え方は、こうあるべきなのかと改めて思うことが、多々あります。
私の座禅は、宗教的な禅宗からのスタートではありません。 気功の静かな功の静功がスタートです。 出発点は違いますが、真理の探究 という言葉が一番すっきりします。
ガンに罹った友人の病気回復を願って、毎日3時間座り続けたこともありますが、そのような体験を通しても、何故、座禅を毎日、深夜に1時間行っているかと、問われれば「真理の探究」と答えても、おかしくないかも知れません。
何故、続いているかと問われれば「楽しいから」と答えることになるでしょう。 座禅を通して心身のストレス(特に脳の)から解放され、崇高な至福感を感得し、なおかつ心を磨くことが、結果的に、ヴァイオリン協奏曲やソプラノ歌手の歌声に、微妙に胸を痛めることにもつながるのでしょうか。
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