続・ヴォーリズの仕事

2007-11-27 10:19:10 | 建物案内

ヴォーリズの仕事について、石田潤一郎氏の解説を、『関西の近代建築』から、抜粋引用転載させていただく。


・・・ヴォーリズ作品に触れた者は、ほんのちょっとした細部―たとえば階段の寸法―が非常によく考えられていることに気付かされる。おそらくかなりの部分、既成の、しかし良質なパターンの組合せで設計を進めていったことをうかがわせる。
そのあたりは、渡辺節がしばしば同じ増殖モチーフを使い回し、また欧米のパターン・ブックを重用したことと軌を一にしている。

  引用者註 渡辺節(わたなべ・せつ)
        1884年生。鉄道院に勤め、京都駅舎を設計。後に独立。
        村野藤吾は、この事務所で学んだ。

しかし、ヴォーリズにしても渡辺にしても、参照元の選択が独創的かつ的確だったことを見落としてはいけない。たとえば「大同生命ビルディング」(大正14)の陶板による外壁のあかぬけた表情と内部空間の豪快さとは、日本人建築家の思いもかけないものだった。あるいは「下村正太郎邸」(大丸ヴィラ・昭和7)の様式的純度の高さ。また、「関西学院」(昭和4)「神戸女学院」(昭和9)に見る群造形のアメリカ的スケール感。さらには、その小住宅が例外なく湛えている人なつっこい表情。
こうした手法には典拠があるにしても、それぞれの形態の持ち味をよく判ってそれを十全に発揮できるように思いを凝らしてあるので、どの形態も内発的に生み出されたような伸びやかさに溢れている。

  引用者註 最近の建物にも、「昔の形」を付加する例を見かけるが、
         この点が欠けているから、見るに堪えない場合が多い。

ただ、ヴォーリズが日本で、ことに関西で強く支持された理由は、必ずしも意匠上の卓越ぶりだけではないだろう。先に触れたような細部への気配りに示される〈生活の容器〉としての性能の高さにもよっているはずである。
彼の住宅論(W・Mヴォーリズ『吾家の設計』:文化生活研究会、1923年刊)をひもとくと、すこぶる具体的なことに驚かされる。たとえば「食堂でテーブルを使うときは椅子にかけるがサイドボードを使うときは立ってするから・・・テーブルの高さを二尺四寸にすれば、サイドボードは二尺八寸或いは三尺にする」といった具合である。こうした具体的な検討を重ねていく姿勢を裏打ちしているのは「食物と睡眠のことさえ整えば、まず生活ができる。そこに家がある」(同書)というような本質へ立ち帰った合理的思考である。この合理性を日本人は評価したのである。また、一方、ヴォーリズが近江商人の進取の気性を愛したのも、そこに相通じるものがあったからであろう。
・・・・・

ヴォーリズ事務所は、最高でも所員数30名弱、それでいて年平均44件の設計事例があるという。
もちろんCADなどない時代。しかも、どれも密度が濃い。まことに考えさせられる。
いったい今は、何に「思いを凝らして」いるのだろう。

上掲の写真は『関西の近代建築』からの転載。
左が「大同生命ビル」(大正14)、右は「大丸・大阪心斎橋店」(昭和6)。

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