東大寺再興で使われた「大仏様」は、宋へ行ったことのある重源が、当時の中国の技術を参考にし、宋から来日した技術者の協力を得て成された工法と言われている。
上掲の写真と図は、「図像中国建築史」に載っていた中国各時代の「斗栱」の変遷を示した図:「歴代斗栱演変図」、および宋の時代、1125年に建てられた河南省の「少林寺初祖庵」の写真と平面および主要断面である。
「少林寺初祖庵」の断面図を見ると、そこに「遊離尾垂木」様の架構があることが分かる。名称は「:ang」。
註 先端は「嘴:beak of ang」
後端(上端)は「尾:tail of ang」
「」は「昂」の俗字、「あがる」「高まる」の意(「新漢和辞典」)
先回(3月26日)紹介の「五台山・仏光寺」では、「尾垂木」は梁を介して母屋桁を受けている(梁で押えられている)が、この例では直接母屋桁を受けている。つまり、「遊離尾垂木」には明らかに中国の技術の影響が強く表われている。ただ、この建物では、「肘木」を何層にも重ねて軒を支える方法はとられていない。比較的規模の小さな建物だからだろう。
一方、「仏光寺」では、「東大寺南大門」のように、「肘木」を何層にも重ねて迫り出してゆく方法がとられている。
しかしそれは、図で分かるように、「南大門」で使われている柱に横材を挿し通す「挿肘木」方式ではなく、あくまでも通常の柱上の工作である。
上掲の「歴代斗栱演変図」でも、また同書にある他の事例でも、「斗栱」はどれも柱上に設けられており、「南大門」のような「挿肘木」方式は見当たらない。
また、今回は写真を省略したが、同書にある二~三層の建物の外観は、「南大門」同様、「肘木」が数層重ねられているが(「通肘木」を使った例もある)、断面を見ると、いずれも各層積重ね方式で造られていて、各層の床面を支える梁が、数層の「肘木」で支えられているにすぎない。「南大門」のように「通し柱」に「挿肘木」を用いた例は見当たらないのである。
つまり、「遊離尾垂木」は明らかに中国に事例があるが、「通し柱」「挿肘木」「貫」の方法は、ともに、今のところ(同書を見るかぎり)中国の事例に見当たらない。
ことによると、日本のように、素性のよい長大な柱を得ることが難しく、また、強度的にも、柱上に納める「斗栱」で十分だったからかもしれない。
一説には、「大仏様」は福建省あたりの技法の影響ではないか、との説もあり、そのあたりについて、どなたかご存知の方がおられたら、是非ご教示いただきたい。