建築をめぐる話・・・・つくることの原点を考える       下山眞司        

                     ☆ 2019年1月より、故人が残したものを順次、掲載して行きます。☆

釜石鉱山・・・・夢の跡

2008-05-08 18:59:30 | 居住環境

[註記追加 5月10日 16.58]

「遠野」から「釜石」へ向う途中で、人気(ひとけ)のない街を通り過ぎた。道がトンネルを抜けた途端、その一画が目に入ってきた記憶がある。
そのときすぐに調べておけばよかったのだが、地図やネットなどで調べたところ、そこは、日本の製鉄業の一大拠点「釜石製鉄所」に供給する鉄鉱石を採掘する「釜石鉱山」の事業所を中心にして、狭い峡谷にできた街「大橋」であることが分った。街の玄関にあたる釜石線の駅は「陸中大橋(りくちゅう・おおはし)」という。
手持ちの国土地理院50000分の1地形図「遠野」(昭和57年:1982年修正)に街が載っている。上掲の地図は、その部分の抜粋。

記憶と写真に写っている地形・風景から、ここの写真に間違いないことが分る。ただ、写っている建物が何だか分らない。では、と考えて「ゼンリン」の地図で検索。ところが、地形図に載っている家並が「ゼンリン」の地図にはない。更地が広がっている。

そこで参考になったのは、かつてそこで暮された方々の子弟が通った小中学校(「釜石鉱山学園」という鉱山会社が設立した私学)についての想い出を載せた「陸中大橋-大橋小学校」に出会ったことだった。これは、HP「想い出の故郷:陸中大橋」の中の記事の一つ。

それによると、現在、大橋一帯の建物は、大半が取り壊されてしまった、とのこと。この写真は1993年当時のもの。だから、それから後、多分、ここ10年の間ぐらいに取り払われたのではないだろうか。最近のゼンリンの地図が空白だったのは、それゆえなのだ。

しかし、そこにはかつての一帯を撮影した航空写真や、街並み案内図が掲載されていて、私の撮ったのが「大橋」であることがより確実になった。

   註 国土地理院の最新の25000分の1地形図には、
      まだ、1982年の地図とほぼ同じ家並が載っている。
      多分、未修正なのではないか。

それらを基に判断すると、①の写真は、多分、「鉱山病院」の建屋と思われる。
なにせ、正月だったからだろうが、まったく人に会えなくて、尋ねることもできなかった。おまけに、旅を終えてすぐに調べればよいものを、調べもしていなかったのだ!!

分らないのが②。
①の建屋のそばにあったと記憶している。建屋の表情から、事務所か、あるいは何か公共の用に供されていたのではないか。航空写真でそれらしい建屋を探したが分らなかった。
もしかしたら「鉱山本部」事務所?
ご存知の方がいたらご教示を。

①と②の外壁は、サイディングはなかったと思うから、板横羽目、ペンキ塗りか。

③は、社宅群。木造二階建ての長屋。一戸あたりの面積は結構広いのでは。
外壁は二種類あるが、白いのは板羽目ペンキ塗り?もう一種類は、「ささらこ下見」。おそらく「ささらこ下見」の方が古いだろう。
一戸ごとに立つ煙突様のものは、汲取り便所の「臭突」。
このときすでに、無住だった。
いずれの屋根も、鉄板葺きペンキ塗り。雪国のゆえだ。
なお、③の左上の写真の雪を被った山は、地図の「六角牛山(何て読む?)」と思われる。

   註 その後、調べたところ「想い出の・・・」に、同じ視角の
      写真があり、それによると、この山は、地図上でもう一つ右手の
      「片羽山」であるらしい。読みは分らない。


鉄は近代化にとって最重要。それゆえ、「釜石線」は、国策として、かなり早く開通したのだという。
製鉄所が盛んであったころ、「大橋」の街は、活気で満ち溢れていたにちがいない。

   註 「陸中大橋」駅を出て遠野方面に向う釜石線の線路に注目。
      トンネルでほぼ一回転:Uターンしたのち西へ向っている。
      普通ならUターンせずに、まっすぐ西へ進むはず。
      多分、鉱区:鉱石埋蔵地を避けたのではなかろうか。

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