読まれた方もあると思いますが、読売新聞ONLINEのニュースに
此処より下に家を建てるな
という記事がありました。
二度の津波に遭った三陸の町に立っている石碑に刻まれている文言。
集落は、海抜60mの高台にあり、海の仕事には坂をくだってゆくのだそうです。
集落は、津波に被災しませんでした。
先人の「経験」が、その地に暮すにあたっての「必要条件」を教えてくれていたのです。
この集落の先人は、「ここに暮すには防潮堤を築けばいい」という「アイディア」は考えなかったのです。
しかし、現代人の多くは、この先人のような「応対」はしないでしょう。「科学・技術には不可能はない」と信じてやまないからです(現に、防潮堤は今後30m以上必要だ、などの発言が聞こえてきます)。
たとえば、現在では、先人たちなら決して暮そうとは考えないような低湿地に、人びとは平気で住み着きます。
関東平野の中心、埼玉県でも、ある新興住宅地で液状化現象が起き、多数の家屋が傾いたというニュースをTVで見ました。
海岸でもない内陸で何故?
理由はきわめて簡単でした。
その住宅地は、当該地区の自治体が、「区画整理」事業により、沼沢地を埋め立てた場所だったのです。
次の地図は、大きな被害を蒙った仙台市若林区のあたりの明治20~23年頃の地形図です(「日本歴史地名大系 宮城県」より)。
海岸から少し入った市街地が(黒い部分)、当時の仙台市街。
弓なりの海岸、ここに「計画住宅地」がつくられたのだと思われます。すぐれた「景勝」の海浜だったようです。そして、多分それが、この住宅地のウリだったのでしょう。
一帯は津波で跡形もなくなりました。砂浜ですから、多分液状化も起きていたと思われます。
このような事業の立案・計画には、かならず「建築を専門とする技術者」が係わっているはずです。
そしてまた、そこに建てる建物の計画・設計にも「建築を専門とする技術者」が係わり、おそらくどの住戸も、建築法令どおりにベタ基礎で計画されているでしょう。
多くの「建築を専門とする技術者」は、科学・技術には「不可能」はない、と考える人たちと考えてよいでしょう。それが理系、工系の所以である、とばかりに・・・・。
しかし、「建築を専門とする技術者」であるならば、本当は、そのような場所の開発や、まして埋め立て造成はやめるべきであり、なおかつ、そのような場所での建設もやめるべきだ、と説かなければならないはずなのです。
大分前に、研究学園都市開発地域のなかで、よく霧が発生する一画があるが、それは湿地を埋め立てた場所である、ということに触れた記憶があります。
表面を「健全」そうに装っても、地下水の動静まで改変してしまうことなど不可能であり、地面深くまで「健全」にすることなど、できないからなのです。まして、そんな場所でベタ基礎などにしようものなら、床下が湿気てくることは明らか。
そういうことを指摘してやめることを説くのが、本当の「建築を専門とする技術者」でなければならないのです。それが「理」というものなのです。
残念ながら、むしろ、今の「建築を専門とする技術者」の多くは、逆に、こういう「計画」を率先して推進する側に立っています。
たとえば、山本周五郎の世界の舞台であった浦安で起きた壮大な液状化。おそらく、先人たちは、そこを市街化するなどということは考えもしなかったはずなのです。そして多分、お台場も・・・。
今回の震災では、津波の巨大さに圧倒され、「耐震」の話が出ていませんが、津波がなかったならば、震災がクローズアップされ、またまた「耐震基準」の見直し(斯界では「再評価」と称します)が為されたのではないか、と思われます。
そして、M9に対応する「基準」の制定の結果、おそらく、コンクリートの塊のような建屋が推奨されることになるでしょう。木造建築は、多分、金物だらけ・・・。「耐」震、ここに極まるわけです。
先人たちだったならば、そんな無思慮なことをしないでしょう。
わざわざ「危ない場所」に建てることはせず、もちろん、わざわざ力ずくで巨大な力に立ち向うこともしなかったはずです。そして、暮す場所の備えるべき「必要条件、十分条件」に対して、もっと真摯に考えていたはずです。
何度も触れてきたように、それがかつての地震多発国・日本の工人たちの「対」震策、建物づくりのコツだったのではないでしょうか。だからこそ、数百年も健在の建物が現存しているのです。
「建築を専門とする技術者」たちは、それでもなお、これまでの「続き」を、まだ続けるのでしょうか。停電になれば歩いて階段を登らなければならない高層建物を、低湿地につくり続けるのでしょうか。私には信じられません。
此処より下に家を建てるな
という記事がありました。
二度の津波に遭った三陸の町に立っている石碑に刻まれている文言。
集落は、海抜60mの高台にあり、海の仕事には坂をくだってゆくのだそうです。
集落は、津波に被災しませんでした。
先人の「経験」が、その地に暮すにあたっての「必要条件」を教えてくれていたのです。
この集落の先人は、「ここに暮すには防潮堤を築けばいい」という「アイディア」は考えなかったのです。
しかし、現代人の多くは、この先人のような「応対」はしないでしょう。「科学・技術には不可能はない」と信じてやまないからです(現に、防潮堤は今後30m以上必要だ、などの発言が聞こえてきます)。
たとえば、現在では、先人たちなら決して暮そうとは考えないような低湿地に、人びとは平気で住み着きます。
関東平野の中心、埼玉県でも、ある新興住宅地で液状化現象が起き、多数の家屋が傾いたというニュースをTVで見ました。
海岸でもない内陸で何故?
理由はきわめて簡単でした。
その住宅地は、当該地区の自治体が、「区画整理」事業により、沼沢地を埋め立てた場所だったのです。
次の地図は、大きな被害を蒙った仙台市若林区のあたりの明治20~23年頃の地形図です(「日本歴史地名大系 宮城県」より)。
海岸から少し入った市街地が(黒い部分)、当時の仙台市街。
弓なりの海岸、ここに「計画住宅地」がつくられたのだと思われます。すぐれた「景勝」の海浜だったようです。そして、多分それが、この住宅地のウリだったのでしょう。
一帯は津波で跡形もなくなりました。砂浜ですから、多分液状化も起きていたと思われます。
このような事業の立案・計画には、かならず「建築を専門とする技術者」が係わっているはずです。
そしてまた、そこに建てる建物の計画・設計にも「建築を専門とする技術者」が係わり、おそらくどの住戸も、建築法令どおりにベタ基礎で計画されているでしょう。
多くの「建築を専門とする技術者」は、科学・技術には「不可能」はない、と考える人たちと考えてよいでしょう。それが理系、工系の所以である、とばかりに・・・・。
しかし、「建築を専門とする技術者」であるならば、本当は、そのような場所の開発や、まして埋め立て造成はやめるべきであり、なおかつ、そのような場所での建設もやめるべきだ、と説かなければならないはずなのです。
大分前に、研究学園都市開発地域のなかで、よく霧が発生する一画があるが、それは湿地を埋め立てた場所である、ということに触れた記憶があります。
表面を「健全」そうに装っても、地下水の動静まで改変してしまうことなど不可能であり、地面深くまで「健全」にすることなど、できないからなのです。まして、そんな場所でベタ基礎などにしようものなら、床下が湿気てくることは明らか。
そういうことを指摘してやめることを説くのが、本当の「建築を専門とする技術者」でなければならないのです。それが「理」というものなのです。
残念ながら、むしろ、今の「建築を専門とする技術者」の多くは、逆に、こういう「計画」を率先して推進する側に立っています。
たとえば、山本周五郎の世界の舞台であった浦安で起きた壮大な液状化。おそらく、先人たちは、そこを市街化するなどということは考えもしなかったはずなのです。そして多分、お台場も・・・。
今回の震災では、津波の巨大さに圧倒され、「耐震」の話が出ていませんが、津波がなかったならば、震災がクローズアップされ、またまた「耐震基準」の見直し(斯界では「再評価」と称します)が為されたのではないか、と思われます。
そして、M9に対応する「基準」の制定の結果、おそらく、コンクリートの塊のような建屋が推奨されることになるでしょう。木造建築は、多分、金物だらけ・・・。「耐」震、ここに極まるわけです。
先人たちだったならば、そんな無思慮なことをしないでしょう。
わざわざ「危ない場所」に建てることはせず、もちろん、わざわざ力ずくで巨大な力に立ち向うこともしなかったはずです。そして、暮す場所の備えるべき「必要条件、十分条件」に対して、もっと真摯に考えていたはずです。
何度も触れてきたように、それがかつての地震多発国・日本の工人たちの「対」震策、建物づくりのコツだったのではないでしょうか。だからこそ、数百年も健在の建物が現存しているのです。
「建築を専門とする技術者」たちは、それでもなお、これまでの「続き」を、まだ続けるのでしょうか。停電になれば歩いて階段を登らなければならない高層建物を、低湿地につくり続けるのでしょうか。私には信じられません。
さて、下山先生も紹介された「此処より下に家を建てるな」の記事は、有名になりましたね。私たち地形学・地質学の専門家は、常々「危ない場所」は必ず地形・地質的背景に基づく必然性があるということを訴え続けてきました。私は地形学・地理学を志してから20年目になりますが、結局災害を避け、自然と調和するということは制度化されず、力でねじ伏せる理屈と「利系」の勢力拡大は止まりませんでした。
人間、生まれる時代は選べませんが、「場所」は選ぶことができます。団塊ジュニアと呼ばれる私たちと同世代の巨大勢力が、そろそろ社会の中堅どころ、世論をリードする世代になっていきます。先人の知恵をうまく継承していきたいものです。
http://design-with-nature-simogawa.blogspot.com/2011/04/blog-post.html
たった今、書いている最中に下から突き上げられるような強い揺れ!4時66分ごろです。震度5弱とのこと。
3月11日も、当地では5弱でした。何かにつかまっていないと立っていられませんでしたが、食器棚の食器も2、3個倒れた程度。
書棚の本も平気(多分ギュー詰めだったからでしょう)、横積みにしてあった本だけ散らばりました(書棚は壁に固定してあります)。
壁にも欠落などありません。
この集落の家々には被害が見受けられませんが、数百メートル離れたところでは、瓦屋根の棟が崩れたり、石積みの塀が倒れていたりするのを見かけます。
そういう例がかたまって見られる地区は、おそらく地盤のせい、ぽつんとある例は、施工によるものではないでしょうか。
世の中に流布している「常識」の「非常識」を糺すのは大変な作業ですが、やるしかありませんね。それはすなわち、似非専門家の放逐!
5弱は、鉾田(ほこた)市。
霞ヶ浦・北浦にそそぐ巴川の河口の平地です。