建築をめぐる話・・・・つくることの原点を考える       下山眞司        

                     ☆ 2019年1月より、故人が残したものを順次、掲載して行きます。☆

鬼怒川の決壊

2015-09-11 15:18:25 | 居住環境
「鬼怒川、決壊」のニュースはまさに驚きでした。
戦後間もなくの、利根川が栗橋で決壊、東京の下町一帯が水浸しになった洪水を思い出しました。

被災地の皆様の無事を祈念いたします。

「自然」は、人間の「制御」が破たんすると(「制御」は簡単に破たんするのです!)、もののみごとに、「本来の姿」を取り戻してしまうのです。太古以来の「自然の流路」を「復元」してしまうのです。
次の図は、以前の記事で載せさせていただいた小出博 著「利根川と淀川」所載の「古代の関東平野」の地図です。



この図には、一帯を流れる多数の古来の河川の流路が描かれています。
これらの河川のつくりだした湿地帯、それが関東平野の基底である、と言ってよいでしょう。

図に「毛野川」とあるのが「鬼怒川」です。「毛野」を流れる川という意と思われます。常総市は毛野川と小貝川の間に在ります。
   註 「毛野」とは、現在の群馬~栃木の一帯の古称です。
     群馬=上毛野(かみつ けの)→「こうづけ」、栃木=下毛野(しもつ けの)→「しもつけ」。
     一帯を東西に走る鉄道は、ゆえに「両毛線」。
     ここは、古代、東山道の通っていたところ。群馬の方が、時の都:京都に近いゆえに「 毛野」。

こういう河川の下流域は肥沃の地。そこに目をつけたのが徳川。「開拓」に精を出します。関東平野は、江戸幕府のまさに「基盤」だったのです。
このあたりについて、以前以下の記事で簡単に触れています。
関東平野開拓の歴史-1
関東平野開拓の歴史-2
地方巧者・・・経済の原義
屋敷構え-4・・・・坂野家・補足
再検・日本の建物づくり-1
TVの映像で印象に残ったのが、一面の濁水の中に小島のように浮かぶ樹林でした。この辺りは、茨城に移り住んだころよく歩き回ったところですが、この「小島」は、多分、既存の集落の「屋敷」で、「屋敷」の周りに濠を掘って、その土でかさ上げして家を構えているところ、と思われます。いわゆる「環濠」です。建屋の周りには、季節風を防ぐ樹林を設けています。これが小島のように見えているのです。
これに対し、周辺に建っているのは、最近の住宅群のようでした。おそらく、田んぼに盛り土をしただけでしょう。

私たちが、「自然」から学ばなければならないことは、まだまだたくさんある、あらためてそう感じています。

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