「日本家屋構造」の紹介-3、4の補遺

2012-05-14 07:33:24 | 「日本家屋構造」の紹介
  

[追加 14日 8.40]
〇足元まわり(礎石、布石、土台・・)の補遺

木造の建物は、世界のどの地域でも、はじめは木の柱を地中に立てる「掘立て」式です。最も容易だからです。
しかし、地中に埋められた木材は、地面に接するあたりが短時間で腐ります。
そこで、木でつくった建物を、地上に据えた石の上に置く方法が考案されます(これも世界各地域共通です)。

そのとき地面に据える石を「礎石」と言い、長く敷いた場合を「布石」と呼びます。
「布石」は、定かではありませんが、近世になってから生まれたのではないかと思われます(加工に手間を要するからです)。
明治年間には、「布石」を据え、その上に「土台」を置き、柱を立てる方法が増えていたものと思われますが、当時でも、この方式の他に、
 ア)「土台」なしに「礎石」に直接柱を据える方法:「石場(いしば)建て」
     「礎石」には、「自然石」「切石、加工した石(加工は、上面だけ、見える面全面など各種)」が使われます。
 イ)「布石」を敷かず、「礎石」の上に据えた「土台」を流し、「柱」を立てる方法
     「柱」を伝わって掛かる建物の重さを受けるため、「礎石」は「柱」の立つ位置に置くのが普通です。
     この場合も、「自然石」あるいは「加工した石」が使われます。
     また、多くの場合、「礎石」と「礎石」の間の空隙には、あとから石が詰められます。
 ウ)稀に、「掘立て」方式
などが採られていました。 
     掘立て式の住まいが、地域によると、明治期にも在ったようです。

     註 
     昨今の竜巻の被害で、「土台だけを残し、建物が飛ばされた・・」というような報道が多く見られました。
     その写真を見ると、建築用語のいわゆる「土台」がない。これは、「基礎を残して・・」ということです。
     このように「土台」という語は、一般の使用法と建築用語との間に、大きな齟齬があるのです。
     それは、「土台」の字義から言えば、当然の結果です。つまり、建築用語の方が「おかしい」のです。
     すでに触れましたが、「土台」は、中国建築のいわば「基礎」に相当する個所の呼称です。
     木製の部材を「土」の字の付いた用語で呼ぶことの方がおかしいのです。
     あえて言えば、建築用語の「土台」は、「(1階)床桁」「(1階)床梁}が適切かもしれません。
     「大引」は「小梁」「小桁」か?     

「礎石」「布石」を据える前段には、「地形=地業(ぢぎょう)」を行ないます。
「地形=地業(ぢぎょう)」とは、「礎石」や「布石」を据えるために、据える個所の地盤を整備し固める作業を言います。
「日本家屋構造」では、「地形(地業)」については、最終章に載っています。
   現在は「地業」が普通に使われます。
   往時「地形」が使われたのは、「地の形を整える、つくる」という意味だったのではないでしょうか。

「地形~礎石・布石据付」について、下記に簡単にまとめてあります。
日本の建物づくりを支えてきた技術-3・・・・基礎と地業

また、土台の「発案」「効用」については、下記を参照ください。
日本の建築技術の展開-14
  
〇屋根まわり(軒先の納まりなど)の補遺

1.「地垂木(ぢだるき)」「飛簷(檐)垂木(ひえんだるき)」について

軒先を2段にする方法は、中国から寺院建築を受け容れる際にもたらされました。
中国の古代寺院建築の例を転載します。


この図は、中国の古代木造寺院の標準的なつくりを示しています。
   図は「図像 中国建築史」(中国建築工業出版社 1991年刊)からの転載です。
図の1が「飛簷(檐)垂木」、2が「地垂木」です。

図では、「地垂木」の断面が円形です。
それは、立ち木の皮を剥いただけの「丸太」を使っているからです。
使われている樹種は、一般には「楊樹(胡楊樹、白楊樹)」と思われます。ヤナギ科、ポプラの種類です。中国ではきわめて一般的な樹種です。

中国には、日本が見習った時代の古建築は残存していないようです。
  中国で最も古いとされる寺院建築「山西省五台山仏光寺」の建立時期は、日本の平安時代。
  この寺院の写真と図を、下記で紹介しました。
  「余談・・・・中国最古の木造建築
  仏光寺では、「飛簷(檐)垂木」がありません。

唐代の寺院の姿が、西安(長安)の「大雁塔」の西門の「門楣石」に彫られていて、
その図の軒先部分に、円形の「地垂木」と方形の「飛簷(檐)垂木」が描かれています(下図、訪れたときに、気が付きませんでした)。
  
  また、時代は下りますが、1056年建設の「仏官寺木塔」の軒先部の写真に、
  円形の「地垂木」と方形の「飛簷(檐)垂木」が写っています。
  
    図版は、いずれも「図像 中国建築史」(中国建築工業出版社 1991年刊)から

2.軒先の納まり:広小舞・淀

瓦葺き屋根が、その軒先に、常に「淀」「広小舞」の両者を設けるわけではありません。
瓦葺きの屋根の軒先の納め方には、以下のような方法があります。

  この図は、理工学社 刊「納まり詳細図集 1 木造編」から抜粋編集しました。
先に紹介した「日本建築辞彙」の軒先の図は、この図の「例5」に相当します。

3.梁の架け方 [追加 14日 8.40]

用語説明のために掲げてある断面図の「梁」の架け方は、これも一例で、いわゆる「京呂(きょうろ)組」と呼ばれる方法です。
「桁」を先に設置し、その上に「梁」を架ける方法で、この図の場合、「梁」が「桁」の内側に納まっていますが、「桁」を越えて架ける場合もあります(「梁」の両端が「桁」の外側に出る)。むしろ、その方が、強さの点で優れています。
おそらく、明治期には、図のような架け方が普通になっていていたものと思われます(おそらく、「梁」の端部が外に見えるのを嫌ったものと思われます)。そして、この架け方が、「梁」が「桁」からはずれやすいことへの「対策」として、後に「羽子板ボルト」などの使用が奨められるようになる原因の一つになります。

「梁」の架け方には、より原初的で、強さも確保できる「折置(おりおき)組」という方法があります。
各「梁」の両端を「柱」が支える方法です。当然、すべての「梁」の位置に「柱」が必要になります。
「京呂」の場合は、「梁」ごとに「柱」は不要です。それが「京呂」使用例増加の理由と思われます。
このあたりについては、下記で触れています。
日本の建物づくりを支えてきた技術-2

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建築用語を知る=建物が分る ?

たしかに、建物を理解するためには、使われている「用語」を知る必要はあります。
そのとき気をつけなければならないのは、「用語」が先にあったわけではない、ということ。
木造の建物の場合なら、木でどうやって建物をつくるかを考えるのが先なのです。
   もっとも、その前に、建物って何だ、と問う必要がありますが・・・。
   これについては、「建物をつくるとはどういうことか」で触れました(後掲)。
道具がなかったら、どうするだろうか、あるいは、どんな道具を考案するだろうか、・・・。

建物づくりは、それぞれの地域で(日本ならこういう具合に、中国ならこんな具合に、そして日本の中でもこういう地域ではこういう具合に・・・)、変遷してきています。
多分、方策や部材の呼び方は、地域によっても異なり多彩だったと思われます。
しかし、方策や部材が一定程度「安定」してくると、「用語」も「定着」します。
元もとが「現場の用語」ですから、最初から「漢字」があてられていたわけではありません。それゆえ、「当て字」が多いのです。

そしてこれも重要なことですが、その「変遷」を支えてきたのは、時の政府ではなく、実際に建物づくりに係わっている人びと:「現場の人びと」だったのです。

「日本家屋構造」は、そういう歴史の過程の中での、特に明治期の上層階級のつくりかたの一つを例示しているのだ、と考えなければなりません。
誰を相手に?これから建物づくりに係わろうとする(若い)人びとを対象に。

そのとき、学ぶ側は、それは一例、と考える必要があります。その一例を基に、さらに他の例について知ろうとしなければならない、と思います。

したがって、建物づくりを知ろう、学ぼうとするには、
自分が建物をつくらなければならなくなった、という場面に遭遇したら、どのように振舞うだろうか、という視点で考えると、「分り」具合に進展があるのではないか、と思っています。
   用語を知っているということは、必ずしも「分っている」ことではないのです。
   私がこの単純な事実に気がつくまで、かなりの時間を要しました。
   はじめは、どうしても「用語」に囚われていたのです。
   「用語」を知らないのは「恥かしいこと」と思い込んでいたからです。
   「用語」は、今でも地域で違ったりします。
   それゆえ、私は「用語」に頼らず、「絵」「図」を描くことにしています。
   そして、「絵」「図」を描くことは、「理解」の質を上げるのにも役立ちます。

日本に暮す人びとは、どのように建物づくりにに係わってきたか、という視点で「建物づくり」について触れたのが「再検・日本の建物づくり」です。以下にまとめてあります。

再検・日本の建物づくり-1:人は何処にでも住めたか
再検・日本の建物づくり-2:人は何処にでも建てたか
再検・日本の建物づくり-3:日本は独特な環境である
再検・日本の建物づくり-4:四里四方
再検・日本の建物づくり-5:遺構・遺跡・遺物
再検・日本の建物づくり-6:「掘立て」の時代がなかったならば・・・
再検・日本の建物づくり-6の補足:最新の遺跡地図
再検・日本の建物づくり-7:掘立ての時代から引継いだもの
再検・日本の建物づくり-8:しかし、すべての建屋が天変地異に耐えたわけではない
再検・日本の建物づくり-9:「技術」の「進展」を担ったのは誰だ
再検・日本の建物づくり-10:「名もなき人たちの挑みの足跡」
再検・日本の建物づくり-11(了):「専門家」を「専門家」として認めるのは誰だ


「建物をつくるとはどういうことか」シリーズはこんな内容でした。
第1回「建『物』とは何か」
第2回「・・・うをとりいまだむかしより・・・」
第3回「途方に暮れないためには」
第4回 「『見えているもの』と『見ているもの』」
第4回の「余談」 
第5回「見えているものが自らのものになるまで」
第5回・追補「設計者が陥る落し穴」
第6回「勘、あるいは直観、想像力」
第7回「『原点』となるところ」
第8回「『世界』の広がりかた」
第9回「続・『世界』の広がりかた」
第10回「失われてしまった『作法』」
第11回「建物をつくる『作法』:その1」
第12回「建物をつくる『作法』:その2」
第13回「建物をつくる『作法』:その3」
第14回「何を『描く』のか」
第15回「続・何を『描く』のか」
  なお、ここで書いてきたことを、同じ資料を使い、別の形にまとめ、下記雑誌に書かせていただいております。
   雑誌「コンフォルト」2011年4月:№119(建築資料研究社)『住まいにとっての開口部』

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