この国を・・・・24:《選民》

2012-05-12 18:12:07 | この国を・・・

曇天のなかに咲く桐の花。
当地には、桐の木が多い。女の子が生まれると桐の木を植える、というのとは違うようです。数本以上植わっています。
ことによると、近在に(と言っても30キロ以上離れていますが)結城(ゆうき)など桐材を使って下駄などをつくる町があるからかもしれません。

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[リンク先追加 13日 17.40]
「家庭教育支援条例 案」というのが、今はときめく「・・維新の会」が大阪市議会に提出しようとしているとのこと。
  5月2日付東京 web で知りました。関西では直ぐに話題になっていたようですが、関東圏では、
  ここへきて、やっと知るようになったばかり。
  それも、いわゆる「発達障害」のお子さんをお持ちの方がたからの強い批判が明らかになってからのこと。

条例案の中味に驚きました。
いわゆる「発達障害」は、幼少期の親の教育・子育てのせいだ、という。
  いつも私は「障碍」の語を使っていますが、今回は「障害」を用います。
そしてさらに、発達障害は「伝統的な子育て」で予防できる、と言う。
  何をもって「伝統的な子育て」と言っているのかは、詳しくは知りません。
  そういうことを言うのならば、多数=是、という非伝統的な発想もやめなければ理が通らない。

このところ私が山梨へ出かけているのは、山梨にある「障害者支援施設」の増築のため。
この「施設」は、いわゆる「発達障害」の方がたの暮すところ。

そこは、保護者が集ってつくった施設。もう40年近く、その方がたとはお付き合いがあります。
いわゆる発達障害の方がた、その保護者の方がたに会ってみれば、《維新理論》が成り立たないことなど、直ちに分る。
当の「障害者」の方がたは、皆人なつっこい。
はじめは人とうまく付きあえなかった方がたも、施設での暮しのなかで、変っている。つまり、変り得る、ということ。そして、元々、感性は、健常と自称する方がた、そして多分この議員さんがた、よりも数等素直で健常です。
多分、この議員さんがたは、30年経っても変らない、変ることができないでしょう、きっと。勝手な思い込み、先入観を捨てることができないからです。その方が問題。

あまりの「騒ぎ」になったためか、「・・維新の会」の代表が、「私が親でも反対する」と語っているとのこと。
この発言にも、驚きました。単なる「感情論」で済ませる類のことか?

私は、「・・維新の会」なる「政治団体」が世の話題になった当初から、ある疑義を抱いてきました。
   「この国を-10:民意」、「同-補遺」参照
そして、この人たちの《論理》では、いずれ今回のような「状況」が出現するのではないか、とも思ってきました。
しかし、こんなにも早く出てくるとは、これはまさに想定外。

こういうことを平気でやる、というのは、おそらく、《選民》意識の塊だからではないでしょうか。選挙で選ばれた、ゆえに、何でもやっていいんだ!それが「民意」だ・・・。誤解も甚だしい・・・。

だいたい、行政が、教育等を差配できる、と考えること自体、私には理解不能。

なぜ、こうなってしまうのか。
おそらく、すべてを which の疑問符だけで「考える」クセがあるのではないか。
何択かの問から一つを選ぶ、それが思考と思ってきてしまったのではないか。
白か黒か、イチかバチか・・・。
   それは、この人たちの考えている「学力」なるものの中味でも分る(「この国を-10:民意」参照)。
そしてそれを決める《権利》は、選ばれた自分たち《選民》にある・・・。
   戦後、一時、自由や民主主義のハキチガイということがよく言われました。
   この方がたは、ハキチガイではなく、これが「信念」になっているようです。
   それが怖ろしいのです。
私には到底ついてゆけない「思想」。
ところが、結構、政治家や評論家の(老いも若きも)、評判がいいらしい。これも怖ろしい。
そして、残念ながら、怖ろしいと思うのは、現在、少数らしい。

理不尽なものは理不尽。
数の多少とは無関係。
ものの理は、数の多少で決まるのではないのだから。
道理とはそういうものだ、と私は思っています。

追加 [13日 17.40]
住民か従民か、と問う 5月11日付 東京 web の「筆洗」にリンク

念のために、全文をコピー転載します。読みやすいように、段落は変えます。

「行政に従うだけの住民、いわば“従民”意識のままなら、地方自治は根付かない」。
かつて市町村合併問題を取材していた時に聞いた言葉が今も頭にこびりついている。
▼歴史的に刻み込まれたDNAなのか、日本人は「お上意識」をなかなか払拭(ふっしょく)できない。
敗戦後、新しい憲法に「主権在民」が定められたのに、現実は「主権在官」の強固な牙城をなかなか崩せないでいる。
▼首都大学東京教授の宮台真司さんは<任せて文句を言う社会>から<引き受けて考える社会へ>と言い続けてきた社会学者だ。
福島第一原発の事故の後は、「原発をやめる」ではなく、「原発をやめられない社会をやめよう」と訴えてきた。
▼その宮台さんも請求代表者の一人である市民団体がきのう、原発稼働の是非を問う住民投票条例の制定を石原慎太郎東京都知事に請求。
署名簿の入った百六十三個の段ボール箱が都庁の中に運び込まれた。
▼三十二万人もの都民が署名、押印したずっしりと重い署名簿だ。石原知事は条例制定に否定的だが、決めるのは議会だ。
署名した人は、来年の都議選も見すえ、議員一人ひとりの態度をよく観察するだろう。
▼大阪市、東京都に続いて、中部電力浜岡原発を抱える静岡県でも、住民投票条例の制定を求める署名活動が十三日からスタートする。
<引き受けて考える社会>に向け、意味ある第一歩になるはずだ。

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