再検・日本の建物づくり-9:「技術」の「進展」を担ったのは誰だ

2010-02-09 22:25:25 | 再検:日本の建物づくり


   15世紀末ごろの建設と考えられる「古井家」の架構モデルと桁行断面図、そして
   解体修理後、架構組立て中の様子(写真は「修理工事報告書」より転載)。
   おそらく、「古井家」としては二代目以降の建物と思われます。

   この簡潔な工法は、誰かに指導や指示をされたものではなく、
   大工さんをはじめ地域の人びとの永年の知見による工夫の結果。

   模型は1/30。部材等も、極力原寸に近い寸法に調整してあります。
   敷地地盤自体は、北西方向に緩く登っています。
   それに即して礎石を据えてありますから、柱の寸法は、すべて異なります。
   模型ではそこまでできないので、西側にだけ登っているように変更しました。
     註 地盤自体は、原寸通りではありません。
        模型の台は水平です。礎石を、桁行手前の通りの礎石高さに合わせました。
                                [註記追加 10日 15.21]
   それでさえ、大変でしたから、当初、どのようにして材料を加工をしたのか、
   考えてしまいました。   

   このきわめてスレンダーな架構でも、組んでゆくにつれ、ビクともしなくなります。
   なお、模型では、柱は礎石に糊付けしてあります。
   実際は礎石に載っているだけです。

   糊付けを除去すると、模型全体を、形を保ったまま、持ち上げることができます。
   つまり、立体になると、架構は強くなる。
   耐力壁など不要なのです。
   このことを人びとは身をもって知っていたのです。
   現代の「学問」は、数値化できないゆえに、それを理解できない・・・・。

[文言追加 10日 12.20]
今の世に生きる人びとは、建築の「専門家」をも含めて、その国の建築にかかわる法律に従えば、あるいは法律の定める「技術指針」に従っていれば、「優れて適切な」建物ができあがる、と考えているようです(更に言えば、そのような「技術指針」がなければ、「優れて適切な」建物は生まれない、と考える人たちもいるかもしれません)。
と言うより、そうしないと、建物づくりができない、というのが現実
なのです。
もちろん、そんなことはない、法律がネックだという「専門家」がいるかもしれません。

しかし、もしも、その法律を突如取り去ったとき、今の人びとは、建築の「専門家」をも含めて、「優れて適切な」建物をつくることができるのでしょうか。
はなはだ疑わしいと私は思っています。
建築の「専門家」をも含めて、もちろん法律がネックになっていると言う「専門家」も含めて、多くの人びとが、途方に暮れるのではないか、
と思うからです。

今の人びとは、あたかも三蔵法師の掌の上で踊る孫悟空のように、法律という土俵の中でのみ振舞わざるを得ない、そういう日常にあまりにも慣れ過ぎてしまっていますから、土俵がなくなることは、「恐怖」に近いはずです。法律がネックだという「専門家」も同じでしょう。
なぜなら、法律がネックだという「専門家」たちの多くが、法律の中の、自分たちのネックになっている(と思っている)箇所を直してくれればよい、と考えている気配が感じられるからです。

たとえば、最近、「伝統木構法による建築が建て易くなるように、建築士法、建築基準法の抜本的見直しをはじめとする法整備」、「大工職人の資格認定や育成・教育制度、森林の整備等、伝統建築文化を継承するための社会制度の整備」を国会に要望する署名運動が行なわれつつあります。

たしかに、「伝統的木造建築の実物大実験」などに見られる現行の法律の下で為されている建物づくりへの「ちょっかい」は尋常ではありません。

   ちょっかい:ネコなどが用心しながら前足を使って、ちょっと物をかき寄せること
   転じて、おせっかい  ・・・・・・「新明解国語辞典」より

だからと言って、この「要望」は、「ちょっかい」の中味を、今のものから別のものに変えてくれ、という要望にほかなりません。
別の言い方をすれば、「『法律』が技術に係わってくること、『ちょっかい』をだすこと」を相変わらず望んでいる、言い方がきつければ、容認している、ことにほかならないのです。

有史以前からの長い長い歴史の中で、建物をつくる「技術」は「発展」を遂げてきました。近世には、当時の道具の下で、一定の体系にまで完成していたと言ってよい、と私は思っています。

今、私たちの目の前には、主としてその頃にできあがったいわゆる「伝統的」と称される「技術」、建物づくりの方法:「工法」があります。  
しかしそれを、「形」「形式」としてとらえ、それを引継いでゆかねばならぬ、引継がないのはけしからん、と思うことは自由ではありますが、それは本末転倒だ、と私は考えます。
なぜなら、一定程度完成の域に達している体系であるからといって、それ以上の「進展」があり得ないと考えるのは早計で、状況に応じてなお変容を遂げるべきものだ、と思うからです。
これは、有史以来、何時でもそうだったのです。常に、具体的には目に見えませんが、「変容」「進展」のベクトルは、実際に暮している人びとの中に存在しているはずだからです。


では、そのとき、更なる「進展」は、どのようにして為されてきたのでしょうか。
「技術」の「進展」を促し、庇護する策が、国家の手により、あるいは地域の支配者の手によって講じられてでもいたのでしょうか。
そのような事実を私は知りません。


あるいは、「技術」の「進展」は、日本の場合、常に、他国からの「技術」の移入によって、それを機会に為されたのでしょうか。
こういう見方は、学界の中に隠然としてあることは承知しています。
たとえば、東大寺再建の際の「大仏様(だいぶつよう)」。「宋」の技術者による技術移入である、というのが一般的な説。

しかし、冷静に考えれば、そんなことはあり得ません。
僅か数人の「宋」の技術者だけで、ものがつくれるわけはなく、かと言って、彼らの差配の下で、多くの此の地の職方が、初めて見る工法を手際よくこなす、などということもあり得ないからです。
職方自体が、同じような工法を知っていたからこそ可能だった、と考えるのがきわめて自然なのです(これについては、すでに「浄土寺・浄土堂」や「古井家」「箱木家」を紹介したときに触れました。

これらの記事は、何回も書いていますので、「最新記事」の「もっと見る」から適宜アクセスしてください)。


すなわち、「技術」の「進展」は、常に、「上」や「他」の「指導」「指示」の下で為されるのではなく、「現場」で建物づくりにかかわる「職方」たち自らの手と頭脳によって為されたのです。
残念ながら、近代以降、この「事実」は、人びとの目から隠されてしまいました。
そして、まったく逆に考えるようになってしまいました。


近世の政権の下には、多数の「地方巧(功)者(ぢかたこうじゃ)」が重用されています。しかし彼らの行なったことは、ときの政権がこと細かく指示・差配したのではなく、彼ら自らの判断、進言が基になっています。
たとえば、政権は、「開拓、干拓」を、と言うより「農地の増大:可住地の増大」策を彼らに指示しただけ。具体的な選地、方法などは、彼らに委ねたのです。
もっとも、政権にある者自身も、諸事には精通していました。精通していたからこそ、「上」に立てた、と言えるかもしれません。単に地位が「偉い」だけではなかったのです。そこが現代との大きな違い。
これは「普請奉行」などでも同様です。

大分前に、「孤篷庵」を計画した小堀遠州に触れました。江戸から職方に指示は出していたようですが、それはあくまでも大筋についてのみ、「技術」について指示はしていません。

つまり、「技術」の「進展」に係わったのは、「現場」の人びと:職方たち(および地域の人びと)であって、「上」の人びとではなかったのです。
そして「現場」の人びとは、実際にそこで「暮す」人びとのことがよく分っていたのです。これも現代との大きな違い。
そしてだからこそ、地域の特性に応じた多種多様な「技術」が生まれ育ったのです。

この大きな歴史の流れを変えてしまったのが、明治の「近代化」です。
「人の上に人をつくらず」という文言とは裏腹に、各界で、「上」から「下」への「一方通行の方程式」がつくられてしまったのです。
その「一方通行の方程式」の確立のために利用されたのが「科学」です。

   science の訳語として「科学」は適切ではない、むしろ誤りであることは以前に触れました。

「科学」の名の下に、「科学」の範疇に入らないものは、非科学的のレッテルを貼られて棄てられました。
「科学」の進んだと言われる現在、その傾向はますます激しさを増しています。
「技術」も然りです。「技術」が、「現場」のものでなくなって来たのです。「人びと」のものでなくなってきたのです。
「現場」から「科学」へという歴史上の厳然たる事実を無視して、それとはまったく逆に、「科学」が「現場」を差配することが主流になってきました。
法律が「技術指針」をこと細かに規定する、というのは、まさにその具現化にほかなりません。


これでは「技術」にこれ以上の「進展」は望めない、と私は思います。
しかし、世の中はそうではないらしい。
法律がネックになっていると言う「専門家」たちまでが、法律での「庇護」を望んでいるからです。
それどころか、木造工法の科学的検証の推進を国に求めています。なぜ、国がやらなければならないのでしょう?


それゆえ私は冒頭で、「もしも、法律を突如取り去ったとき、今の人びとは、建築の『専門家』をも含めて、『優れて適切な』建物をつくることができるのでしょうか。はなはだ疑わしいと私は思っています。」と書いたのです。

建物づくりの「技術」は、実際に建物をつくらなければならない人びと、「現場」で実際に建物をつくることにいそしんだ人びと:職方、その双方の手と頭脳によって、太古以来、進展を続けてきたのです。
これは、歴史上の厳然たる事実です。


それにブレーキがかかったのが明治の「近代化」、そして現在、完全に「進展」の歩みは止められてしまいました。
誰により止められたか。
「官・学」によってです。
「官」も「学」も、近世よりも衰えたのです。
この事態の打開は、「官」「学」が、人びとの暮し、生活に「ちょっかい」を出すことをやめること、そして人びとも、「ちょっかい」を「官」「学」に求めることをやめること以外にありません。

建築にかかわる法律は、もし必要だというならば、「安全で安心できる建物をつくることに専念する」、この一言だけあればよいのです。
なぜなら、そういう法律がなくても、建築の技術は見事な進展を重ねてきているではありませんか。
そして、その進展が止まったのは、近代以降ではありませんか。個々の人びとの頭脳を信用しなくなったのは、近代以降なのです。少なくとも日本では。


実は、最近、私の所にも、「伝統を未来につなげる会」から、入会案内と先の国会への「要望」への署名を求める書類が届きました。
受け取ったとき、ある種の「違和感」を感じました。直観です。
一番の違和感は、「伝統を未来につなげる」という文言でした。これはいったい何だ?

そもそも、前にも書きましたが、
「伝統」とは、「前代までの当事者がして来た事を後継者が自覚と誇りとをもって受け継ぐ所のもの」(「新明解国語辞典」)。
私は、この解釈に賛成です。きわめて「明快」で「明解」だからです。
   「広辞苑」の解説は次のようになっています。
   「伝統」:伝承に同じ。また、特にそのうちの精神的核心または脈絡。
   「伝承」:①伝え聞くこと。人づてに聞くこと。
         ②つたえうけつぐこと。古くからあった「しきたり」(制度・信仰・習俗・口碑・伝説などの総体)を
         受け伝えてゆくこと。また、その伝えられた事柄。
   
したがって、「伝統」という語は、それ自身のうちに、伝える、受け継ぐ・・・と言う意味を含んでいるのです。
ですから、「伝統を未来につなげる」という言葉遣いからは、「伝統」なるものに、ある「形」を設定し、その「形」を未来につなげるのだ、送るのだ、そういう「認識」が垣間見えるような気がしたのです。

私の考える「自覚と誇りをもって受け継ぐ所のもの」は、「形」「形式」ではなく「ものごとに対する考え方、認識のしかた」以外の何ものでもありません。

もしもそうではなく、「『形』『形式』を受け継ぐことだ」とするならば、その「形」「形式」が固定されてしまうことになります。
しかし、「制度」や「技術」・・というものは、本質的に「固定化」とは相容れない類のものです。下手をすれば、直接的に人の生き方をも固定化するからです。

つまり、「制度」や「技術」・・は、人の生き方・暮し方に応じて変容する、それがあたりまえの姿です。
人びとは何を考えて「変容」をもたらすのか。それこそが最大な要点である、と私は思います。
それを、「官」「学」任せにどうしてできるのでしょう?
はるか彼方の昔から、この日本という環境の中で生きてゆくことを通じて培われ、何代もの人びとに継承されてきた「環境への対し方・考え方」、私は、それこそが、「自覚と誇りをもって受け継がなければならないもの」なのだと思います。
そしてそれは、人に言われてすることではないのです。
私たちは、私たちの多数の先達たちとともに、私たち自身の「能力」を、もっともっと信じてよいはずなのです。

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