glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

あかまんま

2020-07-01 09:26:44 | rememoro: 思い出


 3週間ほど前、わずかな空き地に大きな葉っぱの草が出てきました。赤まんまの葉に似ている。家人にも引き抜かないでと言って観察していたら、成長し蕾も現れました。最近赤まんまを見たことがありません。種はどこからやってきたのでしょう。

 子どもの頃、赤まんまの花はままごと遊びの材料でした。ままごと道具は姉が看護婦時代にお土産にくれたちいさなコーヒーカップ風の1式。(カップの持ち手はもらって間もなく転んで欠いてしまいました。戦後間もなく、おもちゃなどめったに売っていない時代でしたので姉にものすごく叱れました。)あとは両親が塩を買いに昔住んでいた漁村に行った時に貰ってきた直径7~8センチの貝殻とかでした。赤まんまをお赤飯に見立てて遊んだものです。

 時を経て(1958年)私は東京で学生生活を送っていました。日本経済は上向きでした。人々の貧富の差は広がっていました。私は東京氷川下でセツルメント運動に参加していた兄の勧めもあって、大学にあるセツルメント運動に参加していました。仲間内でその頃好まれた詩があります。それはプロレタリア作家中野重治の歌でした。冒頭の言葉しか思いださないので探しました。この詩に関して数人が解釈を書いているのを読みました。でもそんなに難しい解釈が必要かどうかと私は思います。当時、福祉を学ぶ学生にとっては現実的な詩であったと思います。赤まんまの象徴するものは郷愁、つまり情緒的感覚(感傷的?)であると。現実逃避せず、現実を直視せよとこの詩は言っていると受け取ていたのです。多分私の受け取り方に反対の人もいると思うのですがご容赦ください







おまえは歌うな

おまえは赤まんまの花やとんぼの羽根を歌うな

風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな

すべてのひよわなもの

すべてのうそうそとしたもの

すべての物憂げなものを撥(はじ)き去れ

すべての風情を擯斥(ひんせき)せよ

もっぱら正直のところを

腹の足しになるところを

胸元を突き上げて来るぎりぎりのところを歌え

たたかれることによって弾(は)ねかえる歌を

恥辱の底から勇気をくみ来る歌を

それらの歌々を

咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌い上げよ

それらの歌々を

行く行く人々の胸郭にたたきこめ


 中野重治(1902~1979)はプロレタリア文学の作家と知られており、金沢にある四高時代に窪川鶴次郎を知り、短歌や詩や小説を発表するようになります。またこの時期に室生犀星を知り以後師事します。東京帝国大学入学後にマルクス主義に傾倒し、プロレタリア文学運動に参加するようになります。 
コメント (2)
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