唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
世界の半分は嘘で出来ている
車海老だと書いているのに実はブラックタイガーであったとか、フレッシュジュースだと云いながら実は紙パック入りのジュースだったとか、ステーキと称しながら実は牛脂注入の加工肉だったとか、テレビの番組でノンフィクションであるかのように放送されていた番組が、端から面白おかしく視聴者を騙すことを前提に作られた「インチキ」であったとか。
郷秋<Gauche>に云わせれば、そんなものを易々と信じていた消費者、視聴者が悪い。世界の半分は嘘で出来ているのだ。だから、本物に出会う事もあれば偽物やインチキに出会う事もある。常に、これは本物であるのか、あれは偽物であるのではないかと五感、六感を働かせて嗅ぎ分けなければならないのだ。
例えば今どき、この値段で国産ウナギの訳はないだろうとか、例えば今の季節なら、この値段で本物の国産松茸である訳がないだろうかと、そんなに珍しいことが本当に有る訳は無し、それをまたテレビカメラで「たまたま」撮影していたなんてことは更に更に更に有り得ないだろうと、どうして考えないのだろうか。
日曜日の夜のNHK、ストラディヴァリウスの秘密に迫る番組(タイトルは忘れた)の中で行われていた目隠しで本物のストラドを当てるクイズでは、被験者がプロの演奏家や弦楽器の専門家であるにも関わらず、その正解率は1/3だか1/4だったと記憶している。プロ中のプロでさえも本物を見ぬくことが困難であると云う、一つの例である。
食べ物であれテレビの番組であれヴァイオリンであれ、素人がそれが本物なのか偽物なのかを判別するのは至難の業。だからこそ本物に巡り合った時の喜びがあるのだ。でもね、難しいけれど、本物を見ぬく目を養いたいよね。そのためには間違いのない本物にたくさん接することだろう。本物だけを「味わって」いれば、ほんの少しでも混じりけがあれば、それが偽物、少なくとも本物ではない可能性があることにすぐに気付くはずである。
しかしなぁ、本物ではないビール擬きで日々満足している郷秋<Gauche>には、本物を見抜く能力はないな。絶対に(^^;
今日の一枚は、先週の日曜日に恩田の森で撮った花。葉や花茎、花の様子から多分ニラの仲間だと思うが、葉は平たくなくタマスダレのように丸い断面。この写真だけでお判りの方がおられれば是非ともお教えいただきたい。
Website「恩田の森Now」
11月2日に撮影した写真を4点掲載いたしております。晩秋へと移ろう森の様子をどうぞご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/ondanomori/