不義理

 「不義理」の頭に付いている「不」は打消しを表す語(接頭辞というのか?)だから、その意味は辞書の「義理」の項を見て、その状態ではないことと理解すればよいのだろう。
 「義理」の意味は『新明解国語辞典第四版』によれば、自身の利害にかかわりなく、人として行うべき道。特に交際上、いやでも他人に対してしなければならないこと、だという。「特に」以降の部分については、『広辞苑』では江戸時代以降に加わった意味だと書かれている。その「義理」の頭に「不」が付くと「交際上、いやでも他人に対してしなければならないことをしていないこと」ということになるな。義理や義理、義理ではなくて、どうして義理なのかはわからないけれど。

 で、不肖“郷秋<Gauche>”、実はここしばらく、取り分けネット上、もっと言えばblog上で、この「不義理」の状態となっているのです。
「不義理」とは「交際上、いやでも他人に対してしなければならないことをしていない」ことだから、blog上での「不義理」とは「コメントをいただいたのにこちらからのアクションを何も起こしていない」「TBいただいたのに放ってある」状態だろうな。自分も参加したオフ会の記事を書いている方がいるのにそれにシラン顔をしているなども含まれるか。

 数々の不義理に、まずはごめんなさい。ここ1、2週間、昼も夜も、本業も兼業も忙しくて、ネット上のことで言えば、自分のblogの記事を書くだけで精一杯の状態が続いていたのです。ボチボチ落ち着きだしていますので、そろそろ、遅ればせながらも頂いたコメントへのお返事とTB、先週土曜日の中華人民街的会合倶楽部ご参加の皆さんがお書きになっているエントリに対するコメントも書けるようになるかと思っております。

 どうしても一方通行になりがちな情報提供型Websiteとは違い、blogは双方向・参加型Website。つまり互いにコメントしあったり、TB頂いたblogを拝見しそこにコメントを残しさらに会話するのがblogならではの楽しみ。「義理」とは「いやでもしないとならないこと」だけど、blogにおいてのコメントやTBいただいたページを拝見することは、嫌なことではなく、それ自体が楽しみだな。自分が書いた記事をUpするだけではblogの楽しみの一番美味しいところを食べ残しているようなものだ。イカンイカン。

今日の1枚は、横浜港のシンボル、氷川丸。スタビライザーも
ない1万トンで太平洋を渡ったんだから随分と揺れたことだろう。
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