唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
現役とOBは別物でしょう
4、5日前の神奈川新聞に、神奈川県内の老舗大学、K大学山岳部がヨーロッパの名峰、モンブラウン、マッターホルンに遠征するという記事が掲載されていた。今どきの大学生にも、困難に自ら立ち向おうと云う、前向きな意欲ある者がいるのだとちょっと感心しながら記事を読んだのだが、実はまったくがっかりな話であった。
「K大学山岳部遠征隊」と云いながら、現役大学生は1名のみで、他の4名は62歳の隊長はじめ全てOBなのだと云う。しかもその隊長が「名峰に挑戦するナントカカントを若い世代に伝えたい」とコメントするに至っては、これはもう「K大学山岳部遠征隊」ではなく「K大学山岳部OB遠征隊」に現役学生が一名参加・同行する話ではないか。「K大学山岳部がヨーロッパの名峰に挑戦」とはまったくインチキな記事であったのだ。
郷秋<Gauche>の母校の山岳部が部員不足から廃部となって10年以上が経つと聞いている。3Kの代表格のような山岳部が大学から消えて行くのは自明の運命だろう。そんな山岳部をOBが盛り立てたいと云う気持ちは判らないではないが、それならば初めから潔く「K大学山岳部OB会」を名乗ってOBの心意気を示せば良いこと。OBが現役の名を借りて活動し、その活動を新聞にまで売り込んで記事にしてもらうとは、ほとんど詐欺行為ではないかと、郷秋<Gauche>は思うぞ。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、郷秋の父の実家に掲げられている祖父母、伯父の肖像画。以前には四切程の大きなものがかけてあったが、改築を機に複写した2L程の写真に架け替えた由。ちなみに伯父は、軍服姿からもわかるように戦死しているため、勿論郷秋は会ったことが無い。
お気づきの方もおられたかと思いますが、郷秋は先週土曜日から帰省しておりました。帰省中の最大のイベントは郷秋の父方の祖父母他親戚の墓参り。矢祭町にある墓に参り、白河市西方の甲子温泉に一泊し、白河市内にある親戚の墓参りをして郡山に戻ると、トリップメーターは200km近くになっておりました。福島県は県としては岩手県に次ぐ面積を誇る大きな県なのです。
震災ボランティアで単位?
今日の神奈川新聞に「学生の震災ボランティア、単位認定広がらず、文科省把握はわずか6校」との記事が掲載されていた。記事本文にも「文科省がこの度の大震災でのボランティア活動を単位として認めることが可能であるとの通知を大学に出しているが、単位認定の動きが広がらない」との記載もあるから、神奈川新聞は文科省同様、震災ボランティアを単位として認めるのが良いと考えているようだが、文科省も神奈川新聞も、それは違うだろうと、郷秋は声を大にして云いたい。
だいたいがだ、ボランティアとはいったい何なのだ。郷秋思うに、利益を目的とせず人のために尽くすこと・尽くす人、少し言い換えれば、無償の奉仕活動をすること・する人、だろう。結果としてではあったとしても報酬を受け取れば、その瞬間にそれはボランティアではなく単なる作業になる。大学生にとっての「単位」は実は金銭に換算できる報酬なのである。だってそうだろう。
ごく大雑把に云うと大学は4年の間に124単位を修得すれば卒業できることになっている(はずだ)。4年間の授業料合計を400万円と仮定すると1単位当たり32,000円。件の記事によると4つの大学がボランティア活動を2単位として認定することになっている。5日間のボランティアで2単位になる(岩手大学)と云う事は、5日間で64,000円、1日12,000円のアルバイトと同じではないか。裏を返せば、単位欲しさにボランティア、いや、アルバイトをする学生だって出かねないのである。
若い時にボランティアを経験する意義を否定するつもりは毛頭ないが、ボイランティアで単位がもらえるのだとしたら、報酬を受け取るのと同じだからそんなものは本当の意味でのボランティアではない。そんなことを文科省が「まじめに」奨励し、そんな勧めにまんまと乗のった大学がある訳だからまったく情けない。大学は、そのことが自らの品格を大いに低める結果になっていることに気付いていないのだろうか。あるいは「ここは文科省の云う通りにしておいて」と今後の許認可に手心を加えてもらおうと云う下心でもあるのか。
震災ボランティアを単位認定している大学は岩手大の他に、山形大、滋賀大、明治大、文教大、大分大。多くは「~実習・体験」などの科目で認定していることがせめてもの救いか。しかしだ、現地でホントに(例えば5日間)活動したのかどうか、どうやって確認するんだろう。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、月見草と同類の赤花夕化粧。月見草は夜咲くがこれは昼間に咲く。夕化粧と云う名には反する開花だが、その名前は何とも奥ゆかしく好ましい。
被災地での教員不足と余剰
3.11で大きな被害が出た宮城・岩手両県では、被災した児童・生徒の心のケアや、学習の遅れに対応した個別指導、避難所となっている学校で引き続きその運営に当たっている教員もいることから教員が不足しており、その数は宮城県で236名、岩手県155名、計391名となっていると云う。
一方、福島第一原発から30Km圏内を中心に8000人以上の児童・生徒が県外に避難した福島県では極端に学級数が減少し、結果として教員が余剰の状態になっていると云う。そのため、福島県では2012年度採用の教員採用試験において小学校と中学校の教諭の採用試験を実施しないと云う異常事態となっている。
一時的に不足する宮城・岩手両県では緊急増員の数年後に大量の余剰教員が発生することが考えられ、福島県では余剰解消のために今後数年から十年程度は採用を控えることになると云う、何とも皮肉な不足と余剰となっているのである。
気の毒なのは、出身地・福島での教員を目指して勉強している大学生たちである。首都圏や関西圏などでは団塊世代の大量採用が続いているとは云え、地元で教壇に立つと云う夢を絶たれてしまったのである。
そこで郷秋は考えた。53,000人いると云う東電(含む連結子会社)社員の子女を福島県内の小中学校に転校させ、県外避難児童生徒の穴埋めをして教員の新規採用を確保するという案はどうだろうか。自らの子女が暮らす場所が安全であると東電が云うのなら、それは本気で信じて良さそうな気がするぞ。と云っては「ジョークが黒過ぎる」と叱られるだろうか。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、写真的には一昨日、昨日も掲載した、港の見える丘公園で「ベイブリッヂを眺める二人」の三作目である。
カンニングで逮捕するか
京都大学の入学試験で不正行為(カンニング)をはたらいた受験生が偽計業務妨害で逮捕された。「たかが不正行為(カンニング)」と云うつもりはない。試験と名のつくものは、国家試験であろうが入学試験であろうが学校の定期試験であろうと、すべからく公平公正でなければならない。受験生はその試験に合格しようと勉強に励み、その結果には受験生の努力が反映され、そして評価される。だから試験と名のつくものはすべからく公平公正に行われなければならない。不正行為(カンニング)など、もっての外である。
しかし、あらゆる試験において不正行為は行われる。恐らくはこの世に試験が登場したのと同時に不正行為(カンニング)は存在していたのだろう。受験生が働く不正だけではなく採点者側が手心を加える不正もあるし、試験の問題を受験者に対して予め提示すると云う形の不正も存在する。受験者以外がはたらいた不正に対してはおそらくは何がしかに刑事罰が課せられ、試験の実施主体(例えば大学)の教職員が働いた不正であれば、学内の規程に基づき懲戒処分が下されるのだろう。
しかし、受験者がはたらいた不正により、その受験者が逮捕されたなどと云う前例を、郷秋<Gauche>は知らない。不正をはたらいた受験者が排除(試験結果が無効と)され、場合によっては試験の実施主体の規程によってしばらくの間同様の試験の受験資格をはく奪するなどの制裁が加えられるかもしれないが、刑事責任を問われ多などと云うことはこれまでにはなかったことだろう。
受験者による不正行為(カンニング)にはいくつか種類がある。古典的かつ代表的なところでは「カンニングペーパー」の持ち込みだろう。学校の定期試験などでは良くできる友達の隣に座って、解答を見せてもらうのもカンニングの古典的手法だろう。郷秋<Gauche>が学生の時には試験が近づくと「良い目・良い席・良い友達」などと云う言葉がささやかれたりしたものである(^^;
携帯電話のメイルを使った不正行為(カンニング)はこれまでにもあったのではないかと郷秋<Gauche>は想像する。メイルを使い、試験場外にいる成績優秀な協力者に答えを教えてもらうなどの行為は比較的簡単にできそうな気がする。
今回の「京大事件」で特異だったと云うのは、特定の協力者に回答を聞いたのではなく、誰でも閲覧可能なネット上の掲示板で正解を求めたことである。カンニングペーパーの持ち込み・参照と、ネット利用のカンニングの間にどれ程の差があり、一方は学校の規程により排除されるだけで済むのに対して、一方は逮捕される程の事になるのか郷秋<Gauche>には理解できない。今後はカンニングペーパーによる不正も、発覚すれば逮捕され、起訴られ刑事罰が課されるようになるんだろうか。特にいち大学が行う試験に国家権力が介入するのか。それはちょっと違うんじゃじゃないかと郷秋<Gauche>は思うぞ。
追記:郷秋<Gauche>は試験における不正行為(カンニング)を容認するものではない。先に書いたように試験と名のつくものは、すべからく公平公正でなければならないのだ。郷秋<Gauche>がここで問題だと思うのは、(国家試験は別にしても)いち大学が行う試験における不正行為(カンニング)が刑事罰の対象となることに対する疑問であることを、念の為に書き添えておく。
今日の一枚は例によって記事本文とは何の関係もない雨上がりの朝の梅。
東大卒、少な過ぎ?
菅改造内閣各閣僚の出身大学を見て思った。自民党政権時代には閣僚の卒業大学は半分くらいが東京大学。京都大学がいて私学は慶応を早稲田がちょろちょろ。もう名前も忘れそうだが三代くらい前の首相が、そう、安部さんが成蹊大学卒業だと云うことで随分と話題になったほどあったな。
民主党政権最初の首相は東大卒であったが、次の首相(菅さんのことだ)は東京工業大学卒業。首相以下18名の閣僚の略歴を見る限り、東大卒は法務大臣の柳田さんのみ。ただしこの方、一度入った東大を退学してすし職人修行の後で再度東大に入ったという変わり者。ちなみに官房長官の仙谷さんは東大中退である。
慶応、早稲田卒業者が少ないことも特徴と云えるかな。慶応が総務大臣の片山さん、経済財政大臣の海江田さんの、早稲田が防衛大臣の北沢さん、財務大臣の野田さんの各二名。他は京都大学、横浜国大、九州大学、中央大学、明治大学、学習院、上智、武蔵工業、青山と多彩。高卒者も二名いる。
良いではないか。より日本に一般的なところに近づいている。東大・京大はじめ、旧帝大系大学出身者だけが日本に政治を牛耳っていることに間違いがあったのだ。高級官僚の多くが旧帝大系大学出身者である事実は変わらないとしても、閣僚がより日本に普通の学歴に近づいたことは大いに歓迎すべき事である。
どんな組織にも必ず上澄みと沈殿層とができる。それは、例えば東大でも生じるし、BF(Border free、偏差値判定不能)の大学でも生じる。BF大学はともかくとして、例えば東大の沈殿層と世間では二流、三流と呼ばれる大学の上澄み、どちらが優秀なのかを考えたとき、郷秋の答えは後者である。学力ではなく、人間力もしくは人格力を考えれば卒業大学は全く関係ないと断言できる。
先にも書いたが、普通の人が普通の感覚で行う政治に大いに期待したい気持ちがある一方、政治とは特別な教育を受け、特別な経験を重ねた人にだけできるものなのではないかと云う気もする郷秋である。そうは思いながら云いながら、「普通の家庭」が圧倒的に多い日本、「普通の人」が犯罪人を裁く時代になった日本においては、政治もまた「普通の人」が為す時代になったというべきなのかなと、揺れる郷秋である。
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例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、もう間もなく少しずつ色づき始め、週毎に違った姿を見せてくれるのを楽しみにしたい、残暑が戻った日のプラタナス。
文武両道?
今日の神奈川新聞に「『文武両道』に白羽の矢」と云うタイトルの記事があった。記事内容は、韓国社会の知育偏重に警鐘を鳴らす特別番組を制作する「KBS」(韓国放送公社)が10日、伝統的に「文武両道の教育」を行っている神奈川県立湘南高校を取材。KBSの取材スタッフ4人は学校側の推薦で、ラグビー部で活躍しながら東京大学進学を目指す同校3年生2名を取材したというもの。
更に神奈川新聞は「同校は県内屈指の進学校であるとともに、1949年に全国高校野球選手権大会で優勝するなど(郷秋的には60年も前の甲子園?の優勝の事実が記事内容の理解の役に立つとは思えないけど)文武両道の伝統を持つと紹介。また、同校校長の「学力のみならず、総合的な人間力を培ってきた本校の教育方針が韓国のマスコミの目に留まった。わたしたちの取り組みを点検するとともに、外に向かって発信するために、今後もさまざまな取材を受け入れたい」とのコメントを掲載している。
ところで「文武両道」って何だ。
「武道」とは、新明解国語辞典よれば「学芸と武道」(広辞苑では「文学と武道」とあるが、「文学」よりも「学芸」の方が広義であり、より理解しやすい語であると思う)。更に武道とは「武術をみがいて万一の場合に備えるべき、武士の道。教養として身につけるべき剣道・柔道・弓道など(の技術)」とある。
つまり「文武両道」とは学芸と剣道・柔道・弓道などの武道の両方を身につけることと云う意味なのだろうな。
しかし今どき「武術をみがいて万一の場合に備えるべき、武士の道」って、武家社会が解体されて150年が経とうとしているのに、「文武両道」などと云う言葉が、よりによって新聞記事のタイトルにまで使われるとは恐れ入る。神奈川新聞としては、湘南高校校長が語った「学力のみならず、総合的な人間力を培ってきた」事を上手いこと「文武両道」の四文字に収めたつもりなのだろうが、果たして今どきの高校生に理解できるかどうか。
思い起こしてみると郷秋が卒業した高校(旧藩校の流れをくむ)の、確か応援歌の歌詞にも「文武二道は武士の華」という箇所があったように思うし(書いていて急に甦ったが「気は天を突く健男児」なんてフレーズもあったな。共学だったけれど女子からクレームなんて話は聞いたことがない古きよき時代)、今でも「サムライ・ジャパン」とか「サムライ琢磨」「サムライ可夢偉」などと云う言葉を見聞きすることが少なくない。
しかしだ、今の日本で、日本人共通の倫理観や道徳観のベースとして、一般的・日常的に「武士道精神」が語られているのならいざ知らず、スポーツの国際試合やF1あるいは今回の記事のような取材・記事の時にだけ「武士道」や「サムライ」が登場するのっていったいどうしてなんでしょうね。郷秋にはいかにも唐突な気がしてどうも馴染めないぞ。
ところでラグビーって、武道なの?
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例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、恩田の森、白山谷戸の「今日」の稲田と空。昨日「明日は更に黄味の増した稲穂と、更に高くなった空を見る事が出来るだろう」と書いてしまったので本日撮影の写真をご覧頂くだことにしたが(昨日掲載の写真は一週間前の4日に撮ったもの)、写真からは余り違いが判らないかも(^^;
「大学院履修生」は職業か
今日の神奈川新聞「自由の声」(所謂と「投書欄」である)に、「著名人擁立 有権者も問題 大学院履修生 ○□△○男35(茅ヶ崎市)」と云う投書が掲載されていた。この際この投書の中身は郷秋が書こうとしている主題に関係ないので特に説明しない(タイトルの「有権者も問題」は「有権者にも問題」だと思うが、この際良いこととしておこう)。
郷秋が云いたいのは、果たして「大学院履修生」が職業であるのかと云うことである。神奈川新聞の投稿要領によれば、実名が原則で、(前略)住所、氏名、年齢、職業(後略)を書かなければならないことになっている。とすると、神奈川新聞は「大学院履修生」を「○□△○男」氏の職業として認めたことになるのだが、さて、「大学院履修生」って何だ?
今の大学には「科目等履修生」と云う制度がある。正規の大学生ではない高等学校卒業以上の方が(実際には大卒者が多い)、ある大学で開講されている授業科目の一部を履修して、正規の単位を修得できる制度のことである。「大学院(「件の○□△○男」氏は「科目等」の語を省略しているものと思われる)履修生」とはその大学院版だから、大学を卒業した、正規の大学院生以外の方が大学院で開講されている授業科目の一部を履修して、正規の単位を修得できる制度、その学生と云うことになる。
お判りの通り「科目等履修生」とは、正規の大学(院)生ではない、パートタイムの学生である。パートタイムの学生だから、多分、通学定期を買うことができない。あくまでもパートタイムなのである。
職業とは、広辞苑を引くまでもなく「生計を維持するために日常的にしている仕事」のことだろう。つまり、それをすることで収入を得る事が出来るのが職業だ。だから、学生は正しい意味での職業ではない。主婦が職業であるかどうかについて論じ出すと際限のないことになるので今日は避けておくが、「主婦」が「学生」と共にその方の「属性」を表す有力が分類項目であることは間違いない。
同様に、「元国会議員」とか「元小学校高校」「元警察官」が、元の職業に関連する内容の投書をした場合、その「元職業」つまりその方の属性は投書内容をより深く理解する助け(あるいは説得力)になることは確かである。しかし、「科目等履修生」は記事内容理解の為の何の助けにもならない。
収入を得るためと云う意味では「アルバイト」や「パートタイマー」が、あるいは「会社員」が本来の職業であって、「科目等履修生」はあくまでも従たるものであるのだから。もっとも「○□△○男」氏が職業として「政治学研究科科目等履修生」(そうならばと云う仮定の話だが)と書いてくれたならば、多少の意味を持つことにはなったかも知れないが。
追記:今日はトルコGPについて書くつもりでPCに向かったのに、書きあがった記事はまったく別のものでした(^^;。間抜けもいいところだけれど、トルコGPについては明日こそは書きたいと思っております。
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例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、田植え時の「白山谷戸」。間に小さな畑を挟んで手前に田植え前、奥に田植えの終わった田んぼ。横浜の原風景の一つである。
# 学校制度 #大学院 #科目等履修生 #パートタイムの学生 #職業とは
大学進学率は高いのが良いのか
最近驚いたことの一つに韓国の大学(高等教育機関)進学率の高さがある。郷秋の記憶では10年ほど前には当時の日本より少し高い50%程度だったと記憶していたが、一週間ほど前にWebPageで韓国の女性の大学進学率が90%を超えていると云う記事を見かけた。調べてみると確かに高く、89%と云う進学率は世界一のようある。
大学進学率上位10カ国(2004年)と中退率(2005年、国名の後ろの括弧内)
1位 89% 大韓民国(5%?)
2位 87% フィンランド(28%)
3位 82% アメリカ(53%)
3位 82% スウェーデン(31%)
5位 80% ノルウェー (35%)
6位 72% オーストラリア(28%)
6位 72% ギリシャ(-)
6位 72% ニュージーランド(46%)
9位 71% ラトビア(-)
10位 70% スロベニア(35%)
33位 54% 日本(10%)
出典:進学率はhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B2%E5%AD%A6%E7%8E%87、退学率は
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3928a.html による(韓国を除く)。
大学進学率の高い国ほど退学率も高いことにお気づきいただけただろうか。進学率・退学率共に高いアメリカ合衆国の場合、大学を卒業するのは入学者の半数以下の47%であり、退学者を当初から大学に進学しなかったこととして大学進学率を見ると39%となる。同様に調整した進学率はフィンランド63%、日本は49%となる。韓国はどうかと云えば、ハングルのページで「5%」と云う数値を見つけたが、もしこれが事実だとすると85%と云う驚異的な数字となる。
注:日本以外では伝統的な大学入学者世代、つまり18歳の大学進学者の割合が日本に比し少なく所謂社会人入学者が多いことから、退学者を除いた大学進学率がそのまま大学卒業者率とは云いにくいが、日本においては大学入学者の多くは高等学校卒業直後の世代であることから、中途退学者を除いた進学率は、22歳人口の大学卒業者率と言い換えても大きな差はないものと思われる。
主として退学率の問題などから日本の大学は「入るは難しいが出るのは易しい」と云われる。つまり、一度入ってしまえば4年間遊んで暮らしても余程のことがなければ卒業できると云うことである。そうなると心配になるのは大学卒業生の質保障である。製造物責任法に倣えば、大学は卒業生の質の保証をし、「不良品(者)」については時に損害賠償責任を負わなければならないが、これがなんとも心許ないのが日本の多くの大学。そこで文部科学省が云い出したのが、聞きなれない「学士力」である。少々長いが全文を引用する。
各専攻分野を通じて培う「学士力」-学士課程共通の「学習成果」に関する参考指針-
趣旨
分野横断的に我が国の学士課程教育が共通して目指す「学習成果」についての参考指針として示したもの。個々の大学における学位授与の方針等の作成や分野別の質保証の枠組み作りを促進・支援することを目的とする。
1.知識・理解
専攻する特定の学問分野における基本的な知識を体系的に理解するとともに、その知識体系の意味と自己の存在を歴史・社会・自然と関連付けて理解する。
(1)多文化・異文化に関する知識の理解
(2)人類の文化、社会と自然に関する知識の理解
2.汎用的技能
知的活動でも職業生活や社会生活でも必要な技能
(1)コミュニケーション・スキル
日本語と特定の外国語を用いて、読み、書き、聞き、話すことができる。
(2)数量的スキル
自然や社会的事象について、シンボルを活用して分析し、理解し、表現することができる。
(3)情報リテラシー
ICTを用いて、多様な情報を収集・分析して適正に判断し、モラルに則って効果的に活用することができる。
(4)論理的思考力
情報や知識を複眼的、論理的に分析し、表現できる。
(5)問題解決力
問題を発見し、解決に必要な情報を収集・分析・整理し、その問題を確実に解決できる。
3.態度・志向性
(1)自己管理力
自らを律して行動できる。
(2)チームワーク、リーダーシップ
他者と協調・協働して行動できる。また、他者に方向性を示し、目標の実現のために動員できる。
(3)倫理観
自己の良心と社会の規範やルールに従って行動できる。
(4)市民としての社会的責任
社会の一員としての意識を持ち、義務と権利を適正に行使しつつ、社会の発展のために積極的に関与できる。
(5)生涯学習力
卒業後も自律・自立して学習できる。
4.統合的な学習経験と創造的思考力
これまでに獲得した知識・技能・態度等を総合的に活用し、自らが立てた新たな課題にそれらを適用し、その課題を解決する能力
- 転載ここまで -
出典:http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu10/siryo/08043009/004.htm
これらを身に付けていない者は、文科省としては大学卒業者と認めないぞと云いたいところなのだろうが卒業証書を出すのは各大学であるから、文科省としては許認可権をちらつかせて、いや、葵の御紋の印籠を振りかざすようにして各大学にこのようにしろよと号令をかけているのである。
そんなこんなを考えたとき、韓国の大学進学率89%と云う数字が何を物語っているのかである。わずか20年で日本を追い越し世界一の大学進学率となった韓国は今や超学歴社会なのだと云う。つまり大学を卒業していなければ会社勤めはままならず、卒業はしてみたものの評価の低い大学であったりすれば就職さえも難しいのだという。そんな事情から教育熱は日本の比ではないらしいが、大学進学率50%の日本でさえも、本来大学に来るべきではない者までもが大学生となっている、あるいは、大学生の質が低下したと云われて久しいのである。
その日本の大学の実態はと云えば、リメディアル教育(高等学校段階の学習内容を大学入学後に学ぶ「補修授業」)の必要性が叫ばれ、実際に少なくない大学が導入してから10年近くを経過している(多くの大学では専門の教員は置かずに予備校の講師に授業を担当させているという)。工学部に入った学生が1/3+1/4と云った分数の足し算が出来なかったとか、文学部の学生が未曾有を「みぞうゆう」、踏襲を「ふしゅう」と誤読するなど、元へ、これは大学生ではなく某国の元首相の話だが、いずれにせよ学力低下の例は枚挙にいとまがないのである。
大学進学率が30%を超えた1970年代から大学生の学力低下と共に幼稚化が問題にされ始めたが、それでも「右手に朝日ジャーナル、左手に平凡パンチ」と云われた時代はまだ良かったのである。「平凡パンチ的学生生活」を楽しみながらも、それでも世の中の出来事に興味を持つ世代・時代であったのだから。それを考えると大学紛争鎮静化を手放しでは喜んではいられなかったのだなぁ。
話がすっかり横道にそれたが、そろそろ今日の郷秋的結論を書いておこう。
結論1:大学進学率と退学率、その数値だけを取り上げて是非を問うことに意味はない。
結論2:大学教育の評価は卒業生の質を持って語るべきである。
結論3:各大学の評価は、入試のおける偏差値ではなくその卒業生の質を持って語るべきである
先にあげた「学士力」は、大学卒業生の質の低下(それは同時に将来の国際競争力低下を意味する)に危機感をもった文科省が策定したものだが、当然のことが書かれた内容そのものに対する異論は少ないことだろ。問題は1200もある国公私立の大学・短期大学がこの「学士力」を自校のカリキュラムの中でどのように展開し、どのようなサポート体制を構築し、自校ならではの特色をどのように発揮できるかにかかってくるだろうと、郷秋は考える。
しかしだ、文科省が策定した「学士力」には数値目標が掲げられていない。数値目標なしにこれを達成せよと云ってみたところで所詮「絵に描いた餅」なんじゃないかなぁ。
注1:郷秋が「大学」と書いた中には短期大学及び高等専門学校を含んでいる。
注2:進学率・退学率等の数値の出典は明記した通りだが、調査年次が異なる、数値算出の基準が明らかでないなど、いささか正確さに欠けるきらいはあるが、「傾向」を見る上では十分なものだと判断し引用した。
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例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、昨年12月中旬にモトスミ(元住吉)の写真を幾枚かご覧いただいた時に掲載し忘れていたもの。ブレーメン通りの賑わいの一方、こんなうらぶれた通りもあるのが元住吉。
GX200で撮ったものですが、一度シャッターボタンを押してしまと次の一枚までのタイムラグが大きくシャッターチャンスを逃してしまいます。こんな場面でE-P2は活躍してくれそうです。
#学校 #大学進学率 #大学・短大 #大学進学率の上昇 #学士力 #高卒 #大卒
宿題代行業
「宿題代行業」と言う商売があり、なかなか繁盛しているらしい。
小中学生の夏休み宿題を請け負うようだが、読書感想文や工作、自由研究なども代行してくれるようである。ちなみにそれぞれ2万円、5万円、2万円だそうな。間に合わないからと、親が依頼してくるケースが大半のようだが、中には小学生本人が依頼に来たこともあるとか。
文部科学省は「家庭学習の習慣を身につけるのが宿題の本来のねらい。その趣旨からも、宿題を丸投げするのはおかしい」と言っているようだが、大学生の間では、先輩から後輩に「レポート」が受け継がれていたり、苦手な科目のレポートを「奢る」ことを条件に得意な友人に書いてもらうことなどは良くあること。かく言う郷秋も、自慢じゃないけどウィスキー1本でドイツ語の宿題を代行してもらった事がある(^^;。
最近は、大学生のレポートや卒業論文の代行をしてくれるという触れ込みのサイトもあるらしい。1文字5円と言うから原稿用紙1枚(400字)2000円。ちょっとしたレポートで2万円、卒論だと10万円というところか。
大学は「見つけたら除籍」と息巻いているようだが、学生の「手抜き」よりも、大学院生の研究成果をあたかも自分の成果であるかのように論文にまとめて発表する教員や、金で博士号を買う教員、補助金を小遣いにしている教員の摘発の方が先なんじゃないかな?
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今日、恩田の森で撮影した写真をこちらに掲載しておりますので、ぜひご覧ください。
恩田Now
#社会 #小学校 #夏休みの宿題 #宿題代行業 #大学生のアルバイト
大学全入時代、到来せず
18歳人口の減少が続き、大学・短期大学への進学を希望する人の数が、全国の大学と短学の入学定員と同数になる、「大学全入時代」が2007年に到来すると、ここ数年言われてきた。これは、18歳人口の減少が続く中で、新卒者の大学・短大進学率が50%手前で伸び悩むことを前提にしていたわけだが、景気の回復に支えられてか、今春の進学率が51.2%と、初めて50%を超えたことから、「大学全入時代」とはならなかったようである。
浪人生を含む大学・短大進学率は53.7%となったことから、77万2千人が出願したのし対して、入学者は69万8千人だったことから、大学・短大進学希望者の10%程が、その希望を果たせなかったことになる。
ただし、大学・短期大学への進学希望者の多くが、首都圏及び京阪神地区の大手有名大学を希望する傾向が強く、これらの大学が定員の何倍もの受験者を集める一方で、取り分け地方の小規模大学・短大では大幅な定員割れを起こしている現実がある。
つまり、大学・短大進学の希望を果たせなかった約7万人も、地方にある、小規模大学・短大を受験すればそのほとんどが入学を果たすことが出来たことだろ。しかしながら、受験生の多くが入学したいと思うのは、関東のKWJA、関西のKKDRであり、入れる大学には入りたくないのである。そんなこんなを考えると、大学全入時代は既に到来しているとも言えるし、永久に到来しないとも、言えるわけだな。
しかしだ、高校卒業者の半数以上が進む大学って、果たして高等教育機関と言えるのかどうか、実に怪しい。
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#学校ニュース #大学全入時代 #大学・短大進学率 #定員充足状況 #大学淘汰の時代
学歴詐称
「学歴詐称」と言えば、事実よりも上級の学校を卒業したものと「詐称する」のが常だと思っていた。国会議員が、実は大学中退なのに、大学「卒業」と偽る、海外の大学院に、1、2ヶ月の短期留学をしただけなのに、「UC○○大学院修了」と偽るなんてのが学歴詐称だと思っていたけど、最近の学歴詐称はそうじゃないらしい。
全国の自治体で問題になっている昨今の学歴詐称は、大卒者が短大あるいは高校卒業と、高卒者が中卒を偽り現業系の職種の採用試験を受けて採用に至っているケースである。郷秋の地元、横浜市では700人もの職員が、自らの「学歴詐称」を申し出たのだという。7月31日までに申告すれば1ヶ月の停職だが、自己申告せず、詐称が発覚した場合には懲戒免職となることから、大量の自己申告者が出た模様。
交通局(約220人)、教育委員会(約190人)、資源循環局(約100人)が主な内訳らしいが、交通局はバスの運転士、教育委員会は学校の用務員、資源循環局はごみ収集作業員ということなのだろな。横浜市には中学・高校卒業者を採用する現業(技能)系職員が約8,000人いるということだが、申告者の700人はその約1割ということになる。一体全体どうなっていることやら。
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#社会 #学歴詐称 #海外大学卒業 #私文書偽造
大学はブランドで選ぶ?
まずはこちらをご覧いただきたい。
大学を選ぶ基準はその大学の「ブランド度」らしい。つまり慶応・早稲田を筆頭とした有名ブランド大学に入りたいというわけだな。上智、ICU、明治、立教、青学、中央、学習院、法政(以下省略、ここではあえて国公立については触れない)、あるいは成蹊・成城・玉川、明学、武蔵といった個性派を狙うのか。これは首都圏においての話だが、関西地区においては同志社、立命、関学を頂点とした同様のヒエラルキーが展開されていることだろ。
今の日本では、その人固有の能力や魅力が評価されるのではなく、どの大学を出たか、その会社に勤めているのかで評価・ランク付けされる(ことが多い)から、「より高いブランド力を持つ大学≒就職に有利な大学」を選ぶ心理は実に現実的で理にかなっている。もっとも選んでいるのは本人ではなく親であるかも知れないが。
大学生活に不満なことのトップにあげられた「講義が期待したほど面白くない」というのは事実ではあろうが、郷秋は腕組みして首をかしげてしまうぞ。大学1年生が思う「面白くない」って、つまり、TVのバラエティ番組のような面白味がない、という意味なんじゃないかって。だとしたら、そんなものを大学の講義に期待するのが、そもそもの間違いだろう。
「講義が一方的でつまらない」ということとも関係があるだろ。講師か助教授時代に書いた講義ノートを、破れないように丁寧にめくりながら一方的に話し板書するだけの授業じゃ、面白いわけがないな。高い授業料を払っているのだから、つまらなければ直接本人に改善の要求をしてみてはどうなのだろ。最近では学生が教授を評価する「授業評価アンケート」などもあるようだし。まっ、つまらない授業でも楽勝でS(あるいはA)がらえるならば、「許せる」ということなのかも知れないな。
この手のアンケート調査の結果を鵜呑みにするのがいかに危険かということを、郷秋は度々書いているけれど、同時にこの手のアンケート結果をエンターテイメントとして見ると、実に面白いことは確かだな。
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今日の1枚は、すみよしの森の猫。以前にも一度登場してもらっているニャンコですが、写真を撮った向かいの家のおじいちゃんに聞いたところ、おじいちゃんと家の飼い猫ではなく森に住んでいる猫ちゃんだということでした。おじいちゃん曰く、「優しいいい猫だよ」。
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児童・生徒・学生
私はクルマで通勤している。最寄の青葉台駅まで歩いて、電車を2回乗り換えればオフィスにたどり着けないこともないけれど、これだと1時間。ところがクルマだと10分なのだな。エコ・コンシャスな郷秋ではあるけれど、こんなわけでクルマ通勤なのである。
さて、その僅かな通勤時間の車中で聞いているのは81.3、J-WAVE。朝はジョン川平氏ナビゲートのGOOD MORNING TOKYO、帰りはピストン西沢、秀島史香両氏のGROOVE LINEだ。
で、今朝のGOOD MORNING TOKYOの中でカビラ氏がこんなことを言っていた。「児童・生徒・学生の皆さんは今日は学校ですね」と。小学生・中学生・高校生・大学生のことを実に正しく表現していたので驚いた。普通は中学生・高校生・大学生をひとからげにして「学生さん」と言うところである。ちょっと気の利いた人が中学生を「生徒」とは呼んでも、高校生はやっぱり「学生」だな。
ところがところが、小学生・中学生・高校生・大学生を指す呼び方は、実は法律で決まっているのである。
学校教育法第23条において、小学生は「児童」、同39条により中学生は「生徒」と称することが定められている。高校生については明確な規定は見当たらないが同第44条において「生徒」という呼称が使われ、大学生については同様に同第55条において「学生」という呼称が使われている。ちなみに幼稚園児については第80条において「幼児」という呼称が使われている。整理すると次のようになる。
大学生・・・・・学生
高校生・・・・・生徒
中学生・・・・・生徒
小学生・・・・・児童
幼稚園児・・・幼児
くれぐれも高校生を「学生」と呼んだり、小学校の「生徒」と言ったりといった間違いをしないように。言葉・用語は正しく使いましょう。
それにしてもカビラ氏、教員採用試験の勉強でもしたことがあるのかしらん?
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