「遠野」なんだり・かんだり

遠野の歴史・民俗を中心に「書きたい時に書きたいままを気ままに」のはずが、「あればり・こればり」

早池峰神社

2007-07-19 23:32:38 | 修験
 早地峯山の古名は、東岳(アズマダケ)、東子岳(ヒガシネダケ)と云ったという。北上川の西方奥羽山脈を西根といい、川の東方であることからヒガシネと呼んだとの説あり。
 
 この山の登山口は、かつて4箇所あり。東登山口は、川井村江繋からで善行院が新山堂を守っており、北登山口は同じ川井村門馬からで妙泉院という山伏が宿坊を営んでいた。南登山口は、大迫からで岳集落に新山宮と池上院妙泉寺があり、西登山口は、ここ遠野市附馬牛町大出からで、新山宮と持福院妙泉寺があった。それぞれの登山口には、似たような読みの神社やお宮があったということになる。由緒については、それぞれに言い分があるようだ。



 大出には早池峰神楽があり、先日の神社例祭には宵宮及び翌日の例祭に踊りが披露された。この神楽の由来は定かではないとしながらも、次のように伝承されている。一生を妙泉寺の寺男として過ごし、明治10年に90歳で亡くなった佐々木満蔵が寺に伝わる記録をもとに神楽の覚書を書いたと伝えられている。それによると、大出神楽の発祥は京都であり、これをこの地に運んだのは法印である。出羽三山に神楽が伝えられた頃、早池峰にも神楽が伝えられた。



 この神楽は早池峰山を開山したといわれる藤蔵の後衛始閣家が伝えたもので、この始閣家は早池峰信仰の法脈を天台宗の法院に譲った後、禰宜として新山宮に奉仕する。後には、上禰宜、下禰宜とに分かれ、縁組しないことによって忌みが重なることを避け、神事に支障がないようにした。また、始閣姓は上下の二軒のみとし、別家にもこの姓を許さなかった。
 当初、修験者として新山宮で神に奉仕していた始閣氏は、江戸時代の享保12年(1727)正月26日をもって京都の吉田家より神官の補任を得ている。



 社人である始閣家は、享保の頃より、神事や加持祈祷を行い、また、神楽の庭元を勤めてきたが、宝暦8年(1758)第55代法師宥全が寺社奉行に提出した文書によると元禄年中(1688~1704)の大出新山宮例大祭で神楽が奉納されたことが記されているという。その神楽も元禄年中の飢餓のよって一度断絶したが附馬牛町宿の新山宮別当であった宝明院の系統によって再興された。この宝明院は大出への参道入口に位置し、遙拝所であった新山権現を祀る新山神社を預かる本山派の山伏なのだが、ここの神楽は元々、大出神楽の系統だったのかもしれない。その後、神仏分離によって早池峰神社となっても神楽組は神社に帰属。昭和24年、当時の庭元、鈴木龍太郎宅の火災によって神楽の記録や道具一切が焼失し衰微したが、弟子神楽である小倉神楽から道具を借りて例祭に奉納。昭和48年に再復活して現在に至っている。大出小中学校最後の生徒達を始め集落の人々の熱意によって続けられている。



 


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19 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
 地震 (笛吹童子)
2007-07-24 12:59:25
  明治神宮さん:
 地震・雷・火事・親父
怖いもの、恐ろしいものの例えとして古くより、この国の人々が抱いてきたもの。火事については、防火対策の徹底によって、江戸の花とまで云われたものが、今では大火と名のつくようなこともなくなりつつあります。遠野でも何度となく、大火に見舞われた経験があります。雷は、その音からくる恐ろしさの他、火事を引き起こすことがあり、これも、火事同様に建物に被害を及ぼすまでには至っていません。避雷針の普及の効果もあるものと思います。親父については権威の低下がよく議論されるところですが、地震は、よく被害にあう割には、そのまま流されている感じがします。日本人は、冷め易いのかなあ?
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Unknown (明治神宮)
2007-07-23 21:22:59
大手の住宅メーカーやゼネコンなどではかなりの制振・免振建物を設計・施工しています。技術基準も整備されているのですが一般の建築士になかなか普及しません。それにはどうしても避けられない難解な振動解析理論があるためだと思います。大学の教授達も振動理論を理解していない設計士がソフトを使用するのは危険だと言っているようです。しかし、現実には自然の地震の力は動的解析です。いつまでも耐震設計では無理があるかもしれませんね。今回の新潟中越沖地震ではそれを感じました。決して明治神宮だからと言って建築に詳しいわけではありません。
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地震 (笛吹童子)
2007-07-23 08:01:30
  明治神宮さん:
 おはようございます。
阪神淡路の地震の直後は、建物の構造設計が根本から変わるのではと思ったものですが、のど元過ぎると何とやらで。
 制振、免振構造の一般住宅レベルまでの普及もなかなか進みませんね。
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Unknown (明治神宮)
2007-07-22 22:32:20
目から頭痛、肩凝り、疲労など弊害がありますので気をつけてください。さて、新潟中越地震では多大な木造住宅の被害がありました。国民には知られていない事実があります。建築基準法は最低限の基準であり震度5強程度の弾性域でしか保障されていないのです。地震加速度でいうと200gal程度。例えば1000gal程度に耐えれるように設計しようという設計クライテリアなど実務設計では実施されていません。相変わらず日本の構造設計は耐震設計で制振、免振レベルではありません。
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ちょっと! (笛吹童子)
2007-07-21 11:00:42
  romiさん:
 六○会は、お盆過ぎくらいなら、なんとかといったところです。それまでは、難しいですね。女房元気で留守がいい!とは云えないもので。
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離れない方 (笛吹童子)
2007-07-21 10:53:55
  yamanekoさん:
 yamanekoさんとこの早池峰神社例大祭の画像でしし踊りの先頭に常に寄り添っていた半纏と帽子を被っていた方は、保存会長さんです。遠野の伝承芸能には、カメラマンが付いて歩いていて、これは、9月の祭りに限ったことではないことに最近になって気づきました。
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Unknown (romi)
2007-07-21 10:53:30
何事も60年一回り。
頭の中を駆け巡っております。
早池峰神社は20回も巡っている。
人生に60という数字を当ててみるとその重さを感じます。

で、拙社名にはいろいろな意味があるのですが、東岳も・・・。
ロゴを見ると解ると思います。(●^o^●)
拘った普通な事が嫌いな人ばかり・・・・いい人が沢山居ますねー。
この時代に生きてよかったと思える生き方をしなければ!
さて、ご無沙汰の60会の企画をしないとね!
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健康 (笛吹童子)
2007-07-21 10:44:14
  明治神宮さん:
 目といえば、昨年あたりから、小さい文字が見えにくくなり、今年はじめから、ついに、老眼鏡なるものを使っています。齢にはかないません。
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いろいろと (yamaneko)
2007-07-20 23:45:26
笛吹童子さんの目線で見る大出早池峯神楽だから価値があるのだと思います。
ワタクシのアップはあくまで過去データですから、まぁ、マヤカシですよ(爆)

しかし、大出にもマニア出現ですか?
そういえば去年も鹿踊りの先頭あたりにへばりついて離れない方々がいたのを思い出した。
「あの~、じゃ・ま なんですけど~」(笑)
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Unknown (明治神宮)
2007-07-20 23:04:03
私が目眩をしたのは仕事上で2と2.5という数字を間違ったためでした。笛吹さんも取材で目眩がしないように心配しています。明日も仕事で夜は妻と遠野市内で外食する予定です。歯が抜けたので歯医者を予約しました。
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神楽 (笛吹童子)
2007-07-20 21:54:47
  一如さん:
 神楽の演目に対してはそれほどの知識を持ち合わせていませんが、かつて、多くの神楽組が各地を巡業していた当時のように、その晩、お世話になるお宅で、夜更けまで演じたように通しで見てこそ価値があるものだと今回は痛感しました。
 蛇足
今回の宵宮では、神楽通と思われる年配の方が来ており、デジカメ片手にその方の前をうろうろしたところ、邪魔だとしかられてしまいました。神楽素人の私にはわからない奥の深さを感じておられるファンが多いのも神楽の魅力なのでしょう。
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方位 (笛吹童子)
2007-07-20 21:44:19
  名梨さん:
 其の弐
遙拝所としての機能は、社と別に設けてあったということはないでしょうか?空想が過ぎるかもしれませんが・・・。
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早池峰神楽 (笛吹童子)
2007-07-20 21:41:10
  tamachiさん:
 タマちゃんや山猫どんが、早池峰神社例大祭をUPされたのでチャンスを逸してしまいましたが、あえて、と言うことで。
 新しい神輿は社殿前に今年も飾られておりました。
それはさておき、今年は、平日だったので、去年よりは大分寂しい感じの祭りでした。天気が悪いのは、梅雨時にこの例祭があるので、逆に天気が良いということのほうが異常なことなのだと納得しています。
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向き (笛吹童子)
2007-07-20 21:34:59
  名梨さん:
 新山宮の現在の建物が、いつの再建なのかも気になります。社人として成立した以後の始閣家は、本山、羽黒どちらにも属した形跡がないと郷土史家菊池照雄氏は文章に残していますが、宝明院は本山派ということで、どの時代かはわかりませんが、意思疎通のできなくなった時期があるのではと空想してみました。
いずれにしても、現在の社と以前のものとの位置関係を確認してみたいものです。
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方向 (一如)
2007-07-20 20:23:37
 わぁ、おいらが気にしていた方向の話
みんなで、神社の方向を確かめてみたいですねぇ
新山神社もかすかに気になっていましたが、名梨さま
も気にしていたとは、なんか正解を得た小学生の気分
ですぅ(笑)
 そして、ワタクシが気にするもう一つは石上神社であります。またまた、偶然にもたまち殿宅にてUPされてい
ました。

 さらに、神楽については思う事が色々ありますが、
ここには、書けませんし機会があったら皆様に一度
聞いてほしいし、聞きたい事柄でもあります。
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パチ、パチ、パチ (tamchi)
2007-07-20 19:48:41
・・・・なのです。

早池峰神楽の由来、詳しくは知らなかったので読ませて頂きました。
やぁっぱ凄いわー

只ならぬものを感じるわけですね。
有難ぅ~御座います。
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家相 (名梨 再)
2007-07-20 19:45:25
 家相優先なら絶対やらない建て方です。綾織駒形は、元々は胡四王神社ですので、北方鎮護の為に建てられています。従って北向きでガッテン。なのですが、宿の新山神社が「遙拝所」は、?なのす。
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方位 (笛吹童子)
2007-07-20 08:08:24
  名梨さん:
 なかなか、お伺いすることができずに申し訳ございせん。神社の建つ方位については、気になっているところで、上郷の日出神社、綾織の駒形、月山は、正面が北向きで、今回の新山も含め、不思議に思っています。立地する地形も関係するのかとも思いますが、基本的には、名梨さんご専門の家相優先だったのだろうと考えています。
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遙拝所 (名梨)
2007-07-20 05:59:08
 宿の新山神社が早池峰神社(早池峰山)の遙拝所との話は良く聞きますが、大迫の早池峰神社同様早池峰山とは全く別方向に社殿が向いている。何か意味が有るんだろうか
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