ひな祭り話題連ちゃんでと考えていたが、一日だけの旬の話題ということで
こちらから
今年は、生で観るのが初めてのとらねこさんと二年連続の葬祭幹事長をお供に
5時30分、遠野駅前発無料送迎バスにて
まずは神社に参拝するのが礼儀だが、去年食べ損ねた豚汁を所望し、腹ごしらえ後、
始まるまでの時間を社務所で振る舞われる濁り酒ならぬ甘酒を頂く
そうこうしているうちに、近くの小友町地区センターから一行がやって来る
小友町裸参りは遠野市の無形民俗文化財に指定されており、
その説明には修験者源龍院仙林(1727没)が巌龍神社別当の時に不動講を結び、
元禄年間(1688~1704)に拝殿を造営した翌年の初不動の日に講中数名を名代として
裸参りを行なったのが始まりだとある
裸参りの一行が神社に着くと、行列の先立ちをしていた神楽衆(今年は鷹鳥屋神楽)が中に入り、
神職、北川氏によって神事が始まる
神社の背後にはご神体とも云える不動岩(高さ54m)があり、共々遠野遺産31号に指定されている
この神社は当初御不動さまと呼ばれ、先に記した修験者源龍院の先祖が祀ったものである
源龍院の由緒書には、初代寶動院雄海は無録で如何なるわけかその由緒は知らないとある
その後、年号が明らかになるのは三代、四代の寶動院秀延、大寶院本清の時代で没年が延宝3,4年(1675,6)
初代雄海の時代を逆算すると、阿曽沼統治終焉から八戸南部氏の遠野移封辺りとなる
一行は神社のお詣り後、町の南はずれ長野川そばの石碑に参拝を三度繰り返す
昨年までは神社参拝後、神社に向って左脇の不動岩前でもお詣りをするのだが、今年は行なわれず
この裸参りもかつては、旧1月28日に代表者が神社で鈴を受け取り、先触れとして、その鈴を振りながら
その年の宿となっている家まで行き、それを合図に身支度を整え一列になり神社へ
到着後、神社そばの清水で身を清め、行列は長野川に至り、更に身を清め神社へ戻ること三度
だったようだが、時代とともに、参加者は厄男、開催日が2月28日になり、
現在、参加者は毎年男女の別なく募集され、開催日は2月最終土曜日となる
行事を繋げていくには、その時代に合わせて変化させるしかないのかもしれない
震災後の2012年には震災復興の文字が見えたが、今年は例年どおり?
先の無形文化財の説明にあった源龍院仙林の没年1727年、
この修験者の由緒書には7代寶壽院本浄、寛保2年(1742)没とあり、
亡くなった時期から推察すると7代目の時代に裸参りが始まったことになる
一方、源龍院の名前を追うと、8代源龍院本興がその官名の始まりで、寛保元年(1720)に相続
小友村不動別当 山号:岩龍山 寺号:大聖寺 開基知不申
本尊:自然湧出十五丈峻岩 小友村鎮守 天照太神社
とあり、官名の源龍院から推察すると8代目の時代が裸参りの始まり
いずれにしても、今から280年以上も前から続けられる行事である
お母さんに抱かれた赤ちゃんや夜店で買い物をするこの子が大人になる頃にも
ずっと続けて頂きたい裸参りは、遠野の貴重な財産だと思う
神社から聞こえる神楽の打ち鳴らしの音と裸参りの大鈴の音だけが聞こえる静かな夜
今年も良いものを観させて頂き感謝
到着後直ぐに御馳走になった豚汁、帰りのバスが出発する前にもう一杯
地元NPO黄金っとの皆さん、御馳走様でした!
この日は、hanaさんも御存じの釜石市小川町の仮設にお住まい、撮り鉄S木さんともバスが一緒で、
同行三名で立ち寄った遠野駅前「鳥てつ」でもS木さんが一緒となり、「鳥てつ」で「撮り鉄」談義となる