「遠野」なんだり・かんだり

遠野の歴史・民俗を中心に「書きたい時に書きたいままを気ままに」のはずが、「あればり・こればり」

宮代経塚遺跡

2021-09-27 18:00:06 | 民俗

25日(土)の午前中、松崎町宮代の遺跡説明会へ出かけてみました。

郷土芸能以外にも興味があるの?

これは現地でお会いした知り合いから声をかけて頂いた際の挨拶代わり会話。

興味が無い訳ではなく、調査前にそのような場所に一人で行く勇気がないだけです。笑

 

遺跡のある場所へ行く途中にあった稲荷さんと三保荒神と記された石碑

石碑は昭和の物、三宝は見たことがありますが、三保は初めてです。

 

かつて住居のあった場所なのでは?と空想をしながら、本来の目的地へ。笑

実際は「笑」ではなく、息があがって「汗」でした。

 

到着!

想像以上に素晴らしい眺めです。

ここからだと、土淵、六角牛、八幡山、物見山方面が見渡せます。

 

説明会は盛況で、久しぶりに一如姉さんとお会いできました!

人が集まっている奥には、竪穴住居跡、その次に近年の炭焼窯跡、手前が経塚

 

出土品は、右から縄文式土器、矢じり、鉄滓、

松崎町の山添の畑では、私が子供の頃には既に縄文式土器が普通に拾えました。

相当古い時代から人が住んでいた地域なのでしょうね~

 

墨書の記された土師器

鉄滓、文字の入った出土品、ここから見える猿ケ石川の向こう岸には蓬田、高瀬遺跡があり、

そこもまた、鉄関連の遺跡と云われています。

 

高台付鉢

 

真ん中のが渥美窯壷、左が中国の青磁椀

渥美窯壷は、経筒を納めていた入れ物だった可能性大とのこと。

市外でも同じような壷のある経塚が発見されているようです。

残念ながら、この壷の見つかった経塚は盗掘されていたとか。

ここには珍しいことに経塚が三か所隣接、まだ調査されていない一か所から

何か出てくるかもしれない・・・とのこと。

出土品や発掘した地層などから縄文時代から平安時代の物のようで、長い空白の時を経て、

平安時代に意図的に経塚が築かれ、祭祀に関係する簡素な建物が建てられ、

後に火災等で消滅し、森になり、炭焼きをし、その後、また森になっていた。

と云うことのようです。

 

この遺跡のすぐそばにある北側の山には松崎観音堂

 

経筒が発見されている小友町の山谷観音堂

 

平安中期頃の物と云われる焼損立像が残る鱒沢、鞍迫観音堂

遠野七観音の内、

この三か所は遠野南部氏から直接、禄を貰っており、かつ、本尊は十一面観音。

其々、鉱物資源に関わる地域ということで、奥州藤原氏との関係がありそうな

雰囲気を感じての説明会となりました。

 

稲刈りも始まってきた遠野

実るほど首を垂れる稲穂かな

実ってはきているものの、収穫はお預けとなり、がっかり続きの笛吹です。(;^_^A


2021 六神石神社例祭後編

2021-09-25 08:54:02 | 郷土芸能

連休明けの21日、早朝、携帯に電話、出ようとしていたところで切れました。

宛先間違いかと思いつつ、新聞の死亡欄に目を通すと・・・。

明治に日頃市から上郷に来て息子さんで四代続く気仙系大工の大棟梁。

息子さんが同い年の友人と云うこともあり、公私ともに大変お世話になりました。

30年近く前に亡くなった同業の父のことを思い出しつつ、22日は葬儀・火葬。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

さて、

六神石神社例祭のその後です。

 

神楽が終わり、そろそろ現れる頃だと思い、急いで拝殿から数百メートル離れた鳥居へ。

集まっていました!青笹しし踊りさん

まずは鳥居前にて

 

昨年の例祭には地元のしし踊りでありながら、奉納しなかったということで、

各方面から、だいぶ、お叱りを受けたと聞いていました。

 

今年はしし団体唯一の奉納です!

 

拝殿前にて

 

大神楽や神楽は舞うと云い、ししは踊る。

最近、「演舞」という言葉でこれらを表現する書き物を見ると、どことなく

違和感を覚える変なところにこだわる私です。笑

 

拝殿前から本殿裏へ移動

 

例年、この辺りにも市外からのカメラマンが大勢いて、近づきにくいのですが、

今年は独占。笑

 

数え間違いでなければ、一周少なかったような・・・

 

今年は三周回って終わりだと事前に聞いていたところ、

お祭りに集まっていた方々の雰囲気からしても、このまま帰るわけにもいかず。

 

社務所前で、

 

私も所望した一人です!

 

やはり、この場面を観ないことには帰れません。

 

恒例の柱がかりはなかったものの、

 

お花も貰い、感謝!感謝!とししが云っておりました。笑

 

全く踊る機会が無かった今年、これだけでも皆さん、息があがっていました。

 

来年は、いつも通りに開催されることを期待し、

 

お昼過ぎ、荒神さんに寄って、帰宅。

遅いお昼を食べ、まだ行っていなかった我が家のお墓へ行って、

仕事の続きをして秋分の日の終わりとなりました。


2021 六神石神社例祭前編

2021-09-24 11:03:02 | 郷土芸能

令和3年9月18日、19日は遠野まつり!の予定が、中止となった19日

彼岸の入りには一日早かったのですが、県内では守る人がいなくなってであろう

時々愛妻家親戚の墓参り

 

時々愛妻の祖父の妹が眠るお墓のそばには宮沢賢治さんも・・・。

遠野南部家所縁のお寺さんでもあります。

さて、

例年、遠野まつりが終わった秋分の日は青笹町の六神石神社のお祭り

神輿渡御は中止で神事のみとの情報が早くから入っていたところ、

神事の打ち鳴らしに平倉神楽さん、

昨年、姿が見えなかった青笹しし踊りさんが奉納だけには行く

との直前情報が入り、様子見に。

 

境内広場前にて新コロ対策の検温、消毒、連絡先等のチェックがあり、

関係者の他は、昨年よりも少ない参拝者にて時間を待ちます。

 

11時ごろ、神事の始まり

 

拝殿脇での神事

 

拝殿に移動

 

平倉神楽さんの打ち鳴らし

 

修祓、降神・・・と神事が続き、

参拝者のわずかな話し声が外から漏れ聞こえ、中では祝詞が響きます。

 

一連の神事の終盤、神楽奏上

 

下舞

 

権現舞

 

平倉神楽さんを観るのも、5月以来

 

例年以上に緊張感漂う神事の後ということもあってか、神楽を観る目も

どことなく大真面目、

拝殿内には同級生が二人おり、もうそんな歳になったんだなあと

感慨にふけった一時

 

権現舞には地元の国華の薫が似合います。笑

 

四方を清め

 

神楽も滞りなく、終了

拝殿内では無論のこと、今年は社務所での直会も無しと聞いており、

本当に青笹しし踊りさんが来るのか気になり始めました。笑

 

 

 

 

 

 


2021 遠野郷八幡宮例祭芸能奉納

2021-09-18 12:52:50 | 郷土芸能

ブログを更新すると、だいぶ時間がとれるようになったようだから、

そろそろどうだ?などと云うお誘いを受けます。

今年はキノコの出が早いようで、それを肴に一献、外でぱあっと!いきたいのですが・・・。

新コロが始まった昨年以上に今年は厳しい状況です。もしかして、これって私だけ?・・・汗

さて、本題の例祭の続きです。

 

八幡神楽さんの奉納が終わると、拝殿下で待っていた長野獅子踊りさん登場

 

例祭から時間が経ってしまったので、記憶が定かでありませんが、

ここでも賞辞だったような気がします。

 

笛1、太鼓2、刀掛け1、しし1

これまで長野さんを見た中で一番少数精鋭、それでも奉納ありがとうございました!

 

続いて、元祖角助の駒木鹿子踊りさん登場

 

遠野文化研究センターの「遠野の郷土芸能」には駒木鹿子踊りの由来として、

遠野古事記の熊野参詣した際の京都と上閉伊郡誌の遠州掛川の二説が載っています。

京都のしし踊り系の芸能はよくわからないので棚上げし、掛川には「かんからまち」

と云う三匹獅子舞系の芸能が残っており、その一部を導入したものではないかと

云う話を聞くことがあります。もしもそうだったとしたら、それが何だったのか?

県内の幕踊り系しし踊りと遠野のものとの違いを考えればひとつの答えになるかも?

 

永遠のなぞでしょうか 笑

 

今年は昨年奉納した遠野太神楽さんの奉納は無く、

昨年に引き続き板澤しし踊りの奉納も無し。

最後は張山しし踊りさんです!

幕はよく使う剣九曜紋ではなく、八幡様の向い鳩紋での奉納。

 

口伝では延宝年間に集落の寅が伊勢参りの記念として習い覚えてきたと云わています。

参加人数や演じる場所などを厳しく芸能管理されていた伊達藩と異なり、緩い南部藩。

お伊勢参りに熊野参詣と、あの時代に行った話や記念の石碑なども残る遠野、

今でも大変なのに、よく行ったものだと感心します。

 

この日奉納した芸能の中にあっては、最も人数を揃えてきた張山。

刀掛けの二人もだいぶ板についてきたようです。

 

しし踊りを演じる地域の中でも、集落数の少ない張山

近年、地域外から参加する人数が増えてきています。

市内の神楽も同様になっており、これからの方向は皆さん同じではないでしょうか。

動画が記録できる現在、手取り足取りから事前・自主練習も可能なので、

それらを上手く活用しつつ、上手に勧誘を!笑

 

しばらく、遠野の芸能を観ていなかったこと、

しばらくぶりに、それらの関係する書物を開いたこと、

そんなこんなの「しばらく」が、来年はいつもの「また」に戻るよう願って、

冗談めいた内容ばかりを記して例祭の終わりです。笑


2021 遠野郷八幡宮神輿渡御そして例祭へ

2021-09-16 17:54:40 | 民俗

江戸時代の延宝2年(1674)徳川家光の後の4代将軍家綱の時代。

宝殿、拝殿、湯立の間、厩が建立された際の棟札には若宮八幡宮、

明治4年、神社に社格が設けられ郷社となり、名称を遠野郷八幡宮として現在に至ります。

今年は昨年に続き、お祭り縮小ということで、例大祭ではなく例祭。

昨年は六日町にある伊勢両宮神社(通称:神明)への渡御はありませんでしたが、

今年は

 

14日、トラックに御神輿を載せ、人員・時間短縮ながら市内各所を回りましTた。

 

そして、午後一番、お神明さんでの神事となり、還御。

(例年どおりであれば、ここで御神輿は一泊)

予定時間より早く到着した御神輿一行、紅白幕で飾られた神社には人影無く、

関係者に連絡がつかず、しばらくして、役員さん一名到着となり、神事。

その後、還御となりました。

 

明けて昨日15日は例祭

 

11時からの神事前に昨日の御神輿見学です。

右側のが渡御にて使用した物で、左側のは享保5年(1720)の物、昨年で300年。

この日、久しぶりにお会いした釜石hanaさんに釜石の方が関係した御神輿だと話しました。

江戸から釜石へ舟で運ばれたのは合っていましたが、奉納関係者ではありません。

別の品々を享保15年に奉納したのが釜石の鈴木屋冶兵衛さん、お詫び申し上げます。汗

 

そうこうしている内に、神楽の音が聞こえてきました。

社務所前でのシンガクを撮り損ね、ここからお供です。

 

宵宮の神楽の時同様に、参拝後、シンガク奉納

その後、時間まで休憩となり、

 

11時少し前、関係者が整列して神事へ

 

そのまま一緒に参道を歩き出そうとしていたところ、

役じしの長野獅子踊りさんが踊り始め、社務所前に留まることに。

 

誉め唄ではなく、小友町のしし踊りらしく賞辞をかけます。

 

今年の長野は、新コロ2年目の平日ということもあってか、

しし1匹に刀かけ一人

 

拝殿前に到着すると、先に参拝を済ませていた八幡神楽さんが奉納

 

権現舞

さあ、この後は長野獅子踊りさんが来ているので、それは間違い無しとして、

後はどこが来てくれるのでしょう?

楽しみにしながら、次回へ! です。笑