「遠野」なんだり・かんだり

遠野の歴史・民俗を中心に「書きたい時に書きたいままを気ままに」のはずが、「あればり・こればり」

いわて遠野かやぶき士

2011-05-29 09:41:21 | 地域

3.11震災当日に学科試験、そして、4.22実技試験を経て

国内初のかや葺き独自の資格者が誕生

 

一級いわて遠野かやぶき士に認定された4人

 

土曜日、訓練協会の総会に先立ち、認定書の交付式が行なわれた

 

多少なりとも、この試験に関わりをもつ私は、例年の総会・懇親会以上に

うれしい飲み会となる

 

この日は、総会があちらこちらで開かれていたが、場所を移動して・・・・

田植が終わった高校の同級生(幹事長)S君と(会長の)牛乳屋H君

さらには、先に来てカウンターで眠り続けていた〇〇工務店のK君と

プチ同級会となった。

 

 

前日の余韻を残しつつ・・・雨模様の庭にはつつじがちらほら

 

どこに行くでもなく、向かった先は、上郷駒形神社

予想に反し、新しく出来ていたのは、石鳥居ではなく、ご覧のようなもの

左に見えるものを誰が予想できるだろう(笑)

石鳥居は、まだ、着工されていなかった

 

境内をうろつくと「ケンケン~」と鳴き続けるものあり

釜石線のレールの上を歩く桃太郎のお供の者

 

平倉方面に向かうとりんごの花

地震で被害の多い瓦屋根の棟部分だが、こちらの大きな家は大丈夫だったようだ

耐震に関する構造上の問題以前に、地盤や家の平面形状に起因することが原因の

ひとつだと何となく感じる

 

曹源寺を過ぎた右手山際に道路から見える大きな石碑

 

集落十字路付近に建つ割れている石碑

 

今回の震災では市内にある多くの石碑群が、割れたり倒れたりしているが

そのほとんどは、まだ手付かず

 

根っこがつながる木と木の間から見える小さな稲荷

神仏に縋り続けるだけでは、前に進めないこともあるが、

時に祈ることで救われることもあるだろう

 

からっとした青空が恋しい週末


2011 遠野の春3

2011-05-24 19:22:59 | 景色

土曜日のこと、およそ10年ぶりにこちらへ

 

ざっこ(川魚)食い

場所は、早瀬川と猿ヶ石川の落合

 

いい塩梅に焼けている

 

今では「ざっこ」と云う方が多くなったが、私が幼少のみぎりは「じゃっこ」と呼んでいた。

猫科に属していながら、魚が嫌いな御仁もいるが、私の場合、歳とともに食するようになった。笑

 

投網で獲れたばかりの「サカナ君」

 

仕事でお世話になったご家族からのうれしいお誘いということもあり、

短時間でアルコール濃度が右肩上がりとなったことは云うまでもない。笑

 

そして、月曜

 

今年初めての県都入り

行き帰りに、ボランティアや災害復旧のための車とすれ違ったり、

「がんばろう〇〇!」と掲げる店が多いことを除けば、至って普通の風景

 

普通の風景といえば、

 

やっと、落ち着いた生活を営む遠野の風景は、例年と変わり映え無し

 

「浜は大漁で、丘も良い」と唄われる「遠野南部ばやし」だが、

せめて、米だけでも豊作となることを願う

 

 

 

 3


2011 遠野の春2

2011-05-22 14:04:58 | 景色

総会シーズン突入

ということで、金曜日

 

自らが段取り運営をする総会

 

震災以降はじめての顔合わせとなる某職能団体の総会は、例年行われる場所の確保ができず、

やっとの思いで開催

予定人数には、もうひと息といったところだったが、まずは無事終了

若い人達には、もう少し汗をかいて頂きたいと感じた次第

 

明けて土曜、末娘の部活へ

練習試合の相手は、大槌町吉里吉里中学校

この学校のある地域も被災地であり、中学校は避難所となっている

 

この日は、

市内各地で小学校の運動会も行われていたが、該当児童のいない私は、曇天ながら市内巡回

 

中村の荒神さま

 

荒神さまの右奥には、芝桜

 

上郷町駒形神社

 

某ブロガーが、石の鳥居を気にされていたが、工事着工の様子

 

上郷町平倉の菜の花畑

 

そして、「おっけそうな」鳥居

 

この上にある「おっけそうな」神社が地震でどうなったのか気になったが、

熊&びへーが心配で登れず(笑)


遠野 春の花

2011-05-19 19:17:37 | 物語

遠野物語99話

 土淵村の助役北川清といふ人の家は字火尻にあり。代々の山臥にて祖父は正福院といひ、

 学者にて著作多く、村のために尽くしたる人なり。清の弟に福二といふ人は海岸の田の浜へ

婿に行きたるが、先年の大海嘯(おおつなみ)に遭ひて妻と子を失ひ、生き残りたる二人

子と共に元の屋敷の地に小屋を掛けて一年ばかりありき。夏の初めの月夜に便所に起き

出しが、遠く離れた所にありて行く道も浪の打つ渚なり。霧の布きたる夜なりしが、その

霧の中より男女二人の者の近寄るを見れば、女はまさしく亡くなりしわが妻なり。思はず

その跡をつけて、はるばる船越村の方へ行く崎の洞ある所まで追ひ行き、名を呼びたるに、

振り返りてにこと笑ひたり。男はと見ればこれも同じ里の者にて海嘯の難に死せし者なり。

自分が婿に入りし以前に互ひに深く心を通はせたりと聞きし男なり。今はこの人と夫婦に

なりてありといふに、子供は可愛くないのかといへば、女は少しく顔の色を変へて泣きたり。

死したる人と物言ふとは思われずして、悲しく情けなくなりたれば足元を見てありし間に、男

女は再び足早にそこを立ち退きて、小浦へ行く道の山陰を廻り見えずなりたり。追ひかけて

見たりしがふと死したる者なりと心付き、夜明まで道中に立ちて考へ、朝になりて帰りたり。

その後、久しく煩ひたりといへり。

 

 

時代から推察すると明治29年6月に起きた三陸大津波の際の話だと思われる。

この年は8月にも陸羽地震があり、前後5年間は、

根室・東京・庄内・茨城、宮城・宮崎・青森と各地でM7クラスの地震が頻発していた時代。

 

昨日、山田町船越へ行く機会があり、ふと、この99話を思い出す。

 

さて、さて、遠野は春、真っ盛り

 

遠野ぶれんどの皆さんが、花っこやミラネーゼを撮っているのに刺激され、

 

早起き出来ない寝坊スケは、我が家の花撮り

 

名前を聞いても覚えられない・・・・・

 

興味の問題ではなく・・・・

 

歳のせいにする・・・・笑

 

 


2011 春の運動会

2011-05-15 15:40:26 | 景色

土曜日は母校であり、下の娘の通う中学校の運動会

 

怪しい雲が盆地の空を覆う中、私が通った校舎を

こうして見ることができる、もしかして最後の運動会?

 

2014年には、綾織中学と附馬牛中学と統合予定だとか

 

例年のとおり、組団ごとに分れて

 

時折、強風吹き荒れる中、子供たちは一生懸命の競技

 

競技中には、自衛隊のヘリコプターが上空を飛び交う

 

大槌中学校から8名の生徒が転校してきたこともあり、

その大槌中副校長の挨拶には、もうすぐ大槌でも運動会が開催されるとのこと

 

(震災の日から九日後の大槌中学校の様子)

 

あの日、火攻め水攻めにあい、辛うじて残った校舎を前に呆然とした様子で、

学校を眺めていた先生方の姿が忘れられないだけに

運動会開催までの苦労は大変なものだったと想像する

 

縁あって遠野中学に入学・転校してきた生徒には、これ以上の激励はなかったと思う。

 

荒れる天候中、無事終わった運動会

 

我が家の娘も、思った以上に満足した様子で一安心

 

今年は、町民運動会も開催場所確保が難しい状況で、中止となり、

 

我が家では唯一の運動会が終わる

 

 

そして、その運動会が終わった晩、

 

 

混乱続く、震災の十日後にブログ仲間の釜石hanaさんに会うべく被災地入りした

愛知の「よっこさん」が、今度はボランティアとし遠野入りしていたのに合わせ、

 

一如さんの計らいにより、陸前高田での活動を終えた彼女とご苦労会

翌日も活動予定のよっこさんは、ウーロン茶と食事で、飲んべいブロガーにお付き合い頂いた

 

震災直後から被災地入りし、いち早くhanaさんの無事を伝えた「とおのおぢさん」(別名宝飯爺さん)をはじめ、

とらねこさんと楽夢音屋さんと共に、ボランティアセンターの消灯までの時間を楽しく過ごす

 

遠野では、やっと田んぼに水が入り、ぼちぼち田植

 

この後の季節が穏やかであることを祈る