「遠野」なんだり・かんだり

遠野の歴史・民俗を中心に「書きたい時に書きたいままを気ままに」のはずが、「あればり・こればり」

義母一周忌

2021-07-26 18:56:57 | 寺院

昨年8月22日に亡くなった義母の一周忌法要が土曜日でした。

時々愛妻が今回の段取りをすべてこなしたのですが、

きっと何か思うことがあったのでしょう。

 

嫁さん家の菩提寺 時宗 金円山 常福寺

正平22年(1367)南部信光が甲斐の国に創建したのが始りで、その後、南部氏と共に

八戸に移り、応永18年(1411)に海浮山仏浜寺と名を改め、寛永4年(1627)に根城

南部氏の領地替えにより遠野に移り、現在に至る となります。

 

江戸時代の豪商両川覚兵衛が下組町西はずれ愛宕神社に寄進した御地蔵様

明治の神仏分離令により常福寺へ

なかなか立派なお地蔵様です。

 

今回、改めて、上記の御地蔵様隣にある石の御地蔵様建屋の鰐口を見ると、

祀官澤井但馬藤原秀麿代 安政5年3月吉日

裏には、寄進した人たちの名前があり、大勢の商人の屋号が載っていました。

どちらを見ても、心当たりのない名前ばかりで、これは、どこにあったものだろうか?

と、法要前にいらない詮索。笑

 

本堂内部の釘隠し

よくよく見ると、南部変り花菱(日輪花菱)で、遠野南部氏の替紋のひとつです。

江戸時代、参勤交代では家臣も同行し、自分の紋付を着用します。

その参勤交代には遠野の領主、遠野南部(八戸)氏の家臣(家臣の家臣を陪臣と云います)

も同行することがあり、その際、盛岡藩家臣と陪臣がいらぬもめごとを起こさぬように、

遠野の侍は、この紋の入った揃いの羽織を着用したと云います。

 

さて、皆さん揃ったところで法要です。

義父も、義父の弟も、義母の兄も亡くなり、関係者もだいぶ少なくなりました。

時々愛妻家の苗字を名乗る人も遠野に三人だけに。

この苗字の方が昭和21年にお寺さんに寄進した品物と名前が本堂の柱に架けられて

いるのを見ると、本家筋は苗字の一文字に木辺がついていることに気づきました。

時々愛妻家では木辺無しの漢字であることから、おそらく大正時代に分家になった際の

届け出で略漢字を使用したものが、そのまま、現在の苗字になっているのでしょう。

 

法要後はお墓にて線香を。

今回は新コロへの市内の雰囲気から会食無しで終わりにさせて頂きました。

 

片付けやら、着替えやらを済ませた夕方近く、二人揃った子供たちも一緒にこちらへ。

 

ゆっくりしたかった時々愛妻の好意に甘えさせて頂きました!笑

新コロワクチンも無事終わりそうな11月末、ここで高校時代の同級会が

予定されており、8月下旬には案内が発送されます。


2021 遠野さくらまつり

2021-04-29 17:12:20 | 寺院

今日は予報通りの雨、9時に来客があり、一緒にお昼でもということで

一日市通りの伊藤家へ行くと、その道路向かいでは、テイクアウト祭り。

関係者に話を聞くと、12時から郷土芸能が予定通りに行われるとのことで、

食事後、一度戻って出撃!です。

この雨では予定どおりとは云え、若干遅れるだろうと、高をくくっていたところ、

既に虎舞が始まっていました。汗

 

大槌町の城山虎舞さんでした!

 

ネットで今回のイベント情報を調べると、遠野さくらまつりの中にテイクアウト祭り、

沿岸地域・市内芸能団体の演舞、そして、遠野マルシェが載ってありました。

この中で、私のお目当ては、当然、郷土芸能!となりますが、

残念ながら、出演予定団体名もタイムスケジュールもありません。

 

おそらく、新コロ蔓延地域等から訪れる方々を抑止する目的もあるのだろうと

いいように解釈。

 

ずぶ濡れ虎さんも頑張ってました!

 

大漁唄込

 

俵積唄まで

 

見せられた日には、感謝、感謝しかありません。笑

大槌から遠野に嫁いで早ウン年の、Y子さんも、うれしそうに見ていました!

震災後、大槌町から遠野に引っ越してきた方々に、虎舞情報が届いていたのか

気になりました。

 

続いて、青笹しし踊りさんの登場

 

昨年11月の踊り納め以来です。

 

最年長グループは同世代。私も、このように見えるんでしょうね~笑

 

昨年は2回のみの出演だったようですが、

 

今年は、例年並みに見られるよう期待しています!

 

見る方々も大変

 

出演団体、最後は飯豊神楽さん

 

こちらは昨年9月の六神石神社宵宮以来です。

 

いつも通りに御神楽から

 

くずし舞で終了

いずれにしても、久々の郷土芸能を楽しませて頂き感謝です!

世間では、今日からGWがスタートした人もいるようですが、

天気予報では3,4日だけは傘マーク無しの遠野。

あそこの神社の例祭やら、こちらの神社の子供流鏑馬など、例年通りに開催される

行事もあるようですが、私も、あえてPRしないでおきます。笑


曹洞宗 福聚山大慈寺 落慶法要

2017-09-13 08:34:22 | 寺院

一日中立ちっぱなしだった土曜日は、上膳終了後に1時間ばかり道草をしてバタンキュー 笑

翌日の日曜は、本堂・庫裏の落慶法要です。

が、早朝より、市内一斉防災訓練ということで秋眠を邪魔されました。汗

体中が筋肉痛の上、二週間ほど前から足や肩周辺に湿疹ができ、痒さと痛さとの戦いで起床。

 

気温も前日ほどではなく、曇り空の境内

晋山式の際もそうでしたが、落慶法要のこの日もお寺さんでは珍しいお祝いの花が並びます。

ネクタイは白から始まり

 

慶祝式典

お寺さんに貢献された方々が曹洞宗・大慈寺・大慈寺護寺会などその功績に応じた感謝状が贈られました。

特にも、護寺会長を含む三役、そして、ここまでくるのに言葉で言い表せないほどのご尽力を頂いた

綾織町光明寺ご住職様とその親族の皆様には一檀家として心より御礼申し上げます。

 

落慶法要

 

よくわかりませんが、様々なお経が唱えられます。 汗

 

お勤め頂いた方丈様に琢宗さんが礼をつくします。

 

記念写真

お集まり頂いた方丈様方とお寺の家族の皆さんで一枚

その後、護寺会役員も一緒に入って一枚

 

中に戻って 休広忌献供諷経(おそらく・・・)

三十世慈光大和尚様の七回忌の法要ということのようです。

 

参加されている曹洞宗の方丈様方が畳の大間をお経を唱えながら廻り、

 

謝辞

 

そして、最後に檀信徒総供養ということで、檀家の皆さんの先祖への法要にて私が参加した全てが終了。

お寺の家族の皆さんはこの後、先代の納骨、墓参となるようでした。

 

東北大震災そのものが原因ではありませんが、奇しくも、同年に罹災したことで、

沿岸地域のお寺さんと似たような歩みで、再建となった菩提寺。

一生、忘れることのできない二日間となりました。

 

さて、明後日は遠野まつりの笠ぞろえ、そして16日(土)、17日(日)がお祭りとなります。

なんとか天気はもちそうなので、めいっぱい楽しみたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


曹洞宗 福聚山大慈寺 本葬儀

2017-09-12 11:02:01 | 寺院

午前中の慶事に続き、午後は仏事です。男性は白いネクタイから黒に。

 

前回も書きましたが、2011.4.14に 遷化された第三十世ご住職の本葬儀です。

まずはそれに先立ち、起龕仏事

 

須弥壇前に位置する畳の間(大間)壁には晋山式には無かったご覧のようなものが掛けられます。

 

一般の方々同様に色地の旗等の持ち物が行列に加わりますが、違うのは方丈様の数、

そして、先頭の方の衣装

 

 

本葬儀

格の高そうな衣装の和尚様方によって進められます。

様々な仏事後、護寺会、大本山永平寺・総持寺の御専使・県内曹洞宗の長等の弔辞があり、

 

後にお経を唱えながら方丈様方が廻り、参列者のご焼香

 

 

本葬の終了です。

 

休む間もなく、会場をあえりあ遠野に移し、上膳

一般でいう忌明け後の食事と晋山のお祝いを兼ねたようなものだと思います。

夜7時、長い一日の終わりです。

 

 

 


曹洞宗 福聚山大慈寺慶弔会 晋山式

2017-09-11 13:49:00 | 寺院

9日(土)、10日(日)は菩提寺の一大行事。

本来であれば市内にある神社の例祭等、郷土芸能を追いかけているところですが、

檀家の一人として喜んで参加させて頂きました。

 

東日本大震災の起った一ヶ月あまり後の2011.4.14に本堂・庫裏が全焼した為、

境内に現存する最古の山門前には長々とした看板が立てられた土曜日

 

昨年の本堂上棟式とは、うって変わって快晴の秋空のもと、

 

火災により亡くなられた第三十世大圓慈光大和尚に代わり、

お孫さんの琢宗さんが正式に第三十一世になられる儀式「晋山式」から始まります。

まずは、お寺に到着した琢宗さんを檀家の方々が迎えます。

 

本堂に入り、御本尊、開山された祖師、そして歴代住職の位牌に挨拶をし、自室となる方丈に入ります。

方丈という言葉から方丈記を思い浮かべますが、部屋とか建物を指す言葉が転じ、

お寺に居る住職をも方丈様と云うようになったようです。

 

琢宗さんが須弥壇に上がり、晋山開堂式

 

檀家の皆さん始め私も、60名ほどの和尚様方が集まる場面すら見たこともなく、

まして、儀式のひとつひとつが衝撃的です。

 

壇上の琢宗さんに対して禅宗らしく問答が始まります。

東和町の小坊主さんを始め、数名が柔硬の問いかけをしましたが、人柄が伝わるような応えを返され、

挨拶も含め、心に残るシーンとなりました。

 

各式の区切りには方丈様方が一旦退席され、また行列にて入場

 

本堂内の配置を変え、首座本則茶

この後に行なわれる結制(法戦式)の役目や規則が告げられ、首座という役が行なう

問答の内容が伝えられる儀式

 

結制(法戦式)

首座に任じられた大樹座元が、琢宗さんに変わって、修行僧からの問答に応えます。

物凄い迫力です!

 

これにより、大和尚となります。

 

ここまでが晋山関連の儀式となり、中食

ちょうどSL銀河が境内脇を通過する時間でした。