明治44年発刊の「遠野案内」では日枝神社を次のように紹介しています。
鳥居をくぐって崩れた石段を上る。幽邃に交叉した両側の木立には、
小鳥がかまびしくさえずっている。「荒廃したね。」とSは云う。
「近来神仏の世間に疎んぜられてきたのは、この一事で明白だ。」とKは云う。
・・・拝殿は見る影もなく朽ち傾いて昔日の壮麗を忍ぶよしがない。
神仏分離令以降の遠野では、お寺も神社も大変な時代だったようです。
25日(日)はその日枝神社の例祭、昨年は新コロの関係で神事のみでした。
今年は散歩途中で見た地域の掲示板に、10時からお琴で、その後神事、飯豊神楽、板澤しし踊りがあり、先着120名に串団子と飲物が振舞われるとありました。
串団子に釣られた訳ではありませんが、出陣です。笑
以前は5月連休の桜が咲く頃、行われていたお琴、我が家の娘たちも出ていました。
若干時間をおいて、神事。
やがて、飯豊神楽さんの奉納です。
幕を付けたつもりで、幕裏でやる八幡舞の出だしです。
と云うことで、八幡舞
4月のさくらまつり、5月の遠野座
そして、6月のここと云うことで、今年は順調に声をかけて頂いているようです。
拝殿で神楽が行われていた時間から、待機していた板澤しし踊りさん登場
「この前はどうも~!」と云うことで、一週間ぶりです。笑
この日の神社には、しし踊り目当ての地域の人たちが結構集まっていました。
考えてみると、鍋倉さんの南部神社のお祭りを見に行かなければ、遠野まつりでしか
しし踊りを見る機会がないのが町場の住宅地の皆さん。
回向
印
バチで叶と云う字を書きながら、三回唱えているそうです。
外で多くの人に見て頂ける板澤さんの認知度は上がりますが、
神事の後、続けて行われる神楽は、拝殿に招待者と役員しか入っていないので、
一般の方々には音しか聞こえないのが残念です。
7月15日開催の高校同級会
土曜日は私も現地合流で打合せに参加させて頂きました。
なんとか恰好はつきそうです。
後は当日までに様々なことを実行員の皆さんにお願いするだけ。汗
今月いっぱいは滑り込みセーフ、連絡して頂ければ幸いです。