「遠野」なんだり・かんだり

遠野の歴史・民俗を中心に「書きたい時に書きたいままを気ままに」のはずが、「あればり・こればり」

北上山地民俗資料館小国分館神楽共演会 後編

2019-06-28 10:48:01 | 郷土芸能

芳門申麓氏の「早池峰探勝ガイド 霊峰への誘い」には次のように記されています。

寺領として、遠野妙泉寺は200石、岳妙泉寺は170石、門馬妙泉院は4石5斗8升、

また、小国善行院は地頭嶋田氏から御門札御初穂料年200文。

いかに早池峰山信仰を重要視していたかがうかがえます。

 

さて、共演会、ゲストは遠野市上郷町の平倉神楽さん

 

演目は、天降り舞い

 

安定した舞いといったところでしょうか。

 

練習量が、そのまま舞いに現れていました!

 

「霊峰への誘い」には、次のような文章もあります。

遠野妙泉寺の信仰圏は遠野郷、大槌通の近氏子、伊達領気仙、東磐井、本吉地方まで、

岳妙泉寺は南部領岩手郡から伊達領江刺地方、

門馬妙泉院は上田通、田代村、門馬村、平津戸村及び宮古通、閉伊川各村、

小国善行院は由緒も古く、近世以降は遠野妙泉寺支配の先達として、

小国、江繋、大槌通、金沢、大槌、山田地方を信仰圏としていた。

 

そして、江繋早池峰神楽さんの庭雀

 

この演目も初めて観ます。

田野畑村の大宮神楽にも同じ演目があり、交流があったのではないでしょうか?

 

「庭雀」を「庭しずめ」と記した文書も見受けられ、前半は庭で雀が戯れるようにも、清め鎮めるようにも見えます。

 

後半は、刀を抜いて

 

大迫早池峰系でいうところの勢剣、手剣、いわゆる、くぐりっこ

 

3人ではなく、4人だというところが、これまた見事!

 

 

地元の方々にはお馴染みの演目だったようで、大きな拍手でした!

 

 最後は末角神楽さんの下舞い

 扇子は回しません。

 

続いて権現舞

パンフレットには幕上げ権現舞とありました。

会場内のお客さんを一人ずつ、カミカミして歩いて、

 

江繋、末角の両神楽の皆さんが御礼をして終わりとなりました。

立丸の第一、第二トンネルが出来たことで、難所の峠越えをせず、安心して冬も行き来できるようになった小国・川井、

これまでも遠野と血縁関係にある家が多い地域でしたが、

今後は文化交流もいっそう盛んになるのではないかと感じた共演会でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


北上山地民俗資料館小国分館神楽共演会前編

2019-06-26 23:57:32 | 郷土芸能

日枝神社例祭を正午でお暇して向かったのは、旧川井村小国

 

会場は旧小国中学校、現在は閉校して、北上山地民俗資料館小国分館

遠野市土淵町から立丸トンネルを二つ抜け、宮古方面へ一本道を進みます。

遠野のバイパスからだと30分過ぎには到着。

 

とは云え、正午過ぎに日枝神社を出発したので、既に開会行事・打ち鳴らしは終わっており、

末角神楽さんの御神楽(みかぐら)後半に滑りこみました。

3人で舞うのは遠野では山伏系神楽に見られます。

 

川井の神楽を生で観るのは今回が初めて。

末角(まっかく)神楽

早池峰神社氏子の願いを受けて、旧川井村大字小国字土沢の神道家豊坂因幡が文政2年(1819)、

津守兵庫から伝授を受け氏子に伝えた神楽である。

と、配布されたパンフレットに掲載されていました。

太鼓は女性で、笛は市販の篠笛のように見えました。

 

続いて、江繋早池峰神楽さん

道具は末角神楽さんと同じようです。

江繋(えつなぎ)は、早池峰山の登り口に位置し、閉伊七社明神のひとつである八坂神社に

奉納される権現様には元禄3年(1690)と記銘されているものがある。

と同じパンフレットに掲載されていますが、神楽の歴史について詳細は無く、別の資料では、

山伏神楽と云われているが巻物が火災で焼失し由来はわからないとありました。

 

三番叟

所作は遠野市内の神楽とは異なっているように感じました。

 

引き続いての演目は、寅走り

 

初めてみる演目です。

荒舞のひとつとのことで、

 

後半は面をはずし、刀を使って激しく舞います。

江繋早池峰神楽さん、遠野の神楽とは違うタイプのように感じました。

 

末角神楽さんの山の神舞い

幕は両者とも早池峯神社と名前が入った夫婦岩が描かれ、早池峰山と沿岸との間にある地域性が感じられます。

 

この山の神舞いを観ていて、どこかの神楽に似ているなあと考えていましたが、

 

 

大出早池峰神楽さんに、どことなく似ているように思いました。

 

神道による社家神楽だったという類似性もあるようです。

 

同じく末角神楽さんの三番叟

 

先の江繋の三番叟とは明らかに異なり、こちらは大出、大迫に近い感じがします。

急いでまとめましたが、これで休憩を挟んだ前編となります。

旧川井村にはこの二つの神楽の他、川内、門馬、大仁田の神楽があったようで、

いずれも早池峰系として成立していたようです。

江戸時代には、早池峰山の代表的な登り口として、大迫、大出、門馬、江繋があったことが知られております。

 

 

 


2019 日枝神社例祭

2019-06-23 23:05:17 | 郷土芸能

23日(日)は、遠野市宮守町柏木平で東北馬力大会が開催されましたが、

貧弱な私の身体が日影のある処を欲し、かつ、郷土芸能欠乏症気味ということで、

お昼前のひととき、かなり久しぶりに遠野小学校東隣りの日枝神社例祭へ行ってみました。

 

現在の遠野小学校校舎及び南側校庭には、かつて遠野の三か寺がありました。

そのひとつ善応寺は現在、青笹町に地名として残り、また、善応寺縁の大日社が日枝神社となり、

現在に至るということになります。

昭和時代、俳優・歌手の鶴田浩二さんが、「古いやつだとお思いでしょうが」と唄の科白で云ったように、

古い方々には、日枝神社というよりは、大日さんと云ったほうがお馴染みかもしれません。

ちなみに馬力大会も50年ほど前は、この大日さんで開催されていました。

 

と、云う事で、境内到着。

早々にお詣りを済ませると、拝殿左側のテントにいたご婦人からお茶と串だんごを頂きました。

もしかして来年も頂けるかも・・・ぜひ、足を運んでみては如何でしょう~!笑

 

10時、神事の始まりです。

飯豊神楽さんが打ち鳴らし

 

11時、神事が終わると、拝殿内で引き続き、飯豊神楽さんが二番舞うということで、陣取ります。

 

御神楽(みかぐら)

 

八幡舞

 

拝殿内で、良いものをみつけました。

年代はわかりませんが、大日山日枝神社と書かれた幕をつけた権現様

冬に祈祷権現舞の門かけ(門打ち)が行なわれていたようです。

どこの神楽だったんでしょう?この神社に附属の神楽があったいう話は聞いたことがありません。

御存知の方があれば、コメントをお願いします。

 

神楽が終わると、外では上郷町の板沢しし踊りさんの奉納です。

 

息子さんがこのしし踊りに参加しており、刺激を受けたお父さんが一念発起で太鼓デビュー

私も似たようなもので、別の芸能ですが、子供のお供がいつのまにか親父だけが残っているという状況です。笑

 

事前にこの日のバージョンで練習をしてきたようで、子供たちも迷いがありません。

 

先週開催された上郷町の日出神社例祭が雨となり、思うとおりに踊れなかったようで、

 

また、私も見に行けなかったぶん、喜びも倍増です!笑

 

太刀ふり(刀かけ)には、久しぶりに大人の男性が参加しており、

 

シャッターを多めに押させて頂きました。笑

 

ししが三匹での四つがかり

 

正午、もうそろそろで踊りも終わりという辺りで持ち時間終了。

来年は、気合を入れて撮りたいと思います。笑


お伊勢参り 其の弐

2019-06-21 08:20:45 | 地域

最後の目的地、伊勢の内宮に到着です。時間はお昼少し前。

 

2時間ほど時間がとれそうだということで、まずはテレビでも見たことのある宇治橋手前の鳥居で記念撮影です。笑

 

 

五十鈴川

 

次の鳥居辺りにくると上を見上げる大勢の人、日輪。

天照大御神をお祀りする内宮で、これが観られただけでも幸いです。

 

ここで手を洗い清めて

 

側にある瀧祭神

ここを最初にお詣りしてから先に進むとテレビで見た記憶を頼りにお詣りしてみました!

 

内宮の境内に入るとすぐに交通規制がありましたが、五十鈴川、瀧祭神に寄っている間に解除となり、

神楽殿を眺めて、

 

正宮(皇大神宮)へ参拝です。

外宮と同様に、ここから先は撮影禁止

一生に一度はと云われるお伊勢参りのメインがここになります。

鳥居をくぐり、正面にて二拝二拍手一拝

其の壱では二礼二拍手一礼と書きましたが、訂正します。汗

中では神職の方々が神事を行っている最中で、月次祭の奉幣という神事が行われていたようです。

皇室の弥栄、五穀豊穣、国家隆昌、公民の平安が祈願されたとのこと。

日輪やこのような儀式が見られ、日頃の行いの良さを痛感。笑

 

その後、境内のあちらこちらを廻り、おはらい町入口に集合

帰りの飛行機までの時間を逆算し、残りの滞在時間は45分との宣言。

さあ大変です。

お昼も食べたいし、お土産も買いたい。この通りがどれぐらい続いているのかもわかりません。

 

各自の都合に合わせて通りに消えて行く中、まずお昼を・・・と云うグループについて行き、

とりあえず生ビールを頼むものの、なかなか出てきません。

これでは時間が勿体無いという事で、単独、赤福本店へ

歩けばすぐと思っていましたが、写真を撮りながら、人並みをかき分け、小走りで到着。

テレビやネットで観ていた店を生で観て、ヒデキ感激!です。笑

当然、店で赤福を食べる余裕もなく、

 

食事の店に舞い戻り、伊勢うどんと鯛茶漬けをものの数分でたいらげ、残り時間15分

その間の30分、店内でビールを飲んでいた方々は、おはらい町をまだ見ていません。笑

その後、頼まれ物の代用品を購入し、バス停へ移動

 

遅れる人も無く、全員で宇治山田駅まで行き、そこから特急で名古屋駅までとなります。

乗って数分経ったでしょうか・・・

荷物が足りないと言い出す人が約一名、後で手元に届いたようです。笑

 

近鉄名古屋駅からこのバス停に着く直前に、バスが発車したのを見届けており、次のバスまで20分。

それを逃すと飛行機には乗れません。

さあ大変、空港で買う予定でお土産は無し。バスが予定時間より遅れると手ぶらで帰ることになります。汗

 

無事時間内に空港に着き、搭乗手続きを済ませたものの残り時間はわずか。

赤福目指して猪突猛進

 

自分用の赤福もキープし、離陸

往路は私が窓際、遠野おぢさんが通路側。復路はその逆となり、形勢逆転です。

何とか頭を引っ込めてもらい、おぢさんからガイドして頂いた景色をパチリ。

 

6時過ぎ、無事、花巻に到着です。

 

遠野へ帰ると途中はきれいな夕焼け

久しぶりに、けが人・病人・救急要請無しの旅となり、これで一生に一度のお伊勢参りも無事済み、

企画して頂いた方々、同道して頂いた方々に感謝を申し上げます。

 

 


お伊勢参り 其の壱

2019-06-20 08:35:51 | 地域

6時40分、遠野おぢさんからのモーニングコールで名古屋の朝を向えました。

 

7時、ホテルのこちらで朝食です。

下のアルファベットを読まずに中に入ると和食の他に確かにベトナム料理もあり、

慣れない物を食べると腹をこわすので、定番の朝食を食べ、しばし休憩。

 

定刻の8時30分、飛行場到着直後以来に全員揃ってチェックアウトをし、こちらを目指します。

当初の予定では前日に行くはずだった目的地を二日目に変更したことで若干時間的余裕はありますが、

看板が見える建物の入口探しから始まり、

 

特急に乗りこみ、

 

後は寝るだけの1時間半

姫猫さんからレクチャーされたとおりに、乗り鉄をしながらビールを飲み、天むすを食べ、ひと寝するはずが、

朝の9時過ぎでは、流石に飲む気力も食べる気力もありません。笑

 

車窓から見えるのは火力発電所でしょうか?四日市です。

途中、鈴鹿の白子駅を通過しました。

震災直後、釜石でボランティアをし、その後そのまま居て結婚もしたM崎さんの故郷だと記憶しており、

鈴鹿サーキットがある場所なので、てっきり山の側かと思っていました。笑

 

学生時代の研究室にいた先輩の故郷

当時お土産で頂いた赤福、それ以来、大好物となり、今回も自分用に買うつもりです。笑

 

ここで一人下車したとの情報が入りました。

 

残りは宇治山田駅で下車です。

当初は内宮だけのつもりが外宮にも寄ることに変更したため、伊勢駅が外宮に近いと

わかっていた一人が先に降り、情報の無い残りがここまで来た形です。

その後、さあ、歩きましょう!と先を行くグループの後ろを着いてくつもりが、ちょうど外宮経由のバスが到着。

残りのグループは迷わず乗車。アンメルツよこよこも減量もあったものではありません。笑

 

外宮前でお客さん二人を相手にしていたボランティアガイドさんにくっつくと、

鳥居前の説明で15分

帰りの事を考えると入って出てくるまで30分程度の時間しかありません。

 

申し訳ないとは思いましたが、先を急ぎます。

 

伊勢神宮と呼ばれることの多い神宮ですが、本来は単純に外宮と内宮

遠野では伊勢両宮神社と呼ばれる所以がここにあります。

外宮のここから先が正宮と云い、撮影禁止。

鳥居の向こうで皆さん二礼二拍手一礼となります。

 

鳥居の向こうにはご覧のような建物

 

正宮の他にも数多くの神社があり、似たような造りになっていました。

その日使う分だけの小銭を用意していたつもりが、お賽銭も段々と心細くなります。笑

 

大木にはご覧のように体を添える方々が大勢いました。

頭病みが治りますように・・・口が悪いのが治りますように・・・髪が生えますように・・・

そんなこんなで予定時間超過

ほとんどの人は、まだ時間に余裕があると思っていることでしょう。

 

 

バスで次に向かいます。