「遠野」なんだり・かんだり

遠野の歴史・民俗を中心に「書きたい時に書きたいままを気ままに」のはずが、「あればり・こればり」

遠野の紅葉

2018-10-27 10:29:20 | 景色

窓の外は雨 雨が降ってる 物語の終わりに こんな雨の日 似合いすぎる ♪

という唄がありましたが、今日の遠野は予報通りに雨。

 

紅葉のピーク辺りには、なぜか雨になる遠野

昨日は予報を信じて雨降り前に市内を廻ってみました。笑

 

附馬牛町重湍渓周辺は予想通りに見頃をむかえておりました。

 

附馬牛町小出

色づいた山をバックに撮るのが好きだったカヤ葺き屋根は、残念ながらつぶれて自然に帰ろうとしています。

 

重湍渓周辺の猿ケ石川沿い

 

この辺りに来ると心が落ち着きます。笑

 

水力発電所近くの山の神 

こちらは、これから一週間ほどで見頃になるのでは。

 

小友町巌龍神社そば

 

町中では本間家と並び赤がきれいな森林管理署(旧営林署)は見頃

ちなみに本間家はまだ先のようです。

 

夕ご飯前、思い立って寄り道した八幡様

前回より紅葉が進み、マスコミ効果か、大勢の人が見物に来ていました。

 

白飛びしましたが、恋人のベンチをば・・・笑

夜の静かな境内には、遠くの選挙カーから聞こえる立候補者連呼の声、声、声

今日は市議選最終日となる雨の土曜日、水を差すのか恵となるか・・・

あなたのその一票で当落の分かれ目になることもあるので、ぜひ、投票に行きましょうね!


口内鹿踊 in 伝承園

2018-10-23 22:18:12 | 郷土芸能

遠野郷八幡宮にて紅葉のライトアップが始められたとのことで、昨晩、帰宅途中にまがってみました。

 

事前の情報どおり、まだ色づき始め

 

週末には程よい色具合になるのではと思っていますが、ただ今、外は雨降り、どうなることでしょう・・・

 

さて本日は、21日(日)に行われた伝承園での口内鹿踊です。

 

住田町で開催された月山神社五年祭の郷土芸能を観た後、遠野に戻り、何気なくFBを見ると

ここでの鹿踊情報がKSUZさんのところに載せてあり、急遽、出撃です。

 

始まる頃には、お客さんも集まり

 

太陽が、だいぶ西に移動したところで、北上市の行山流口内鹿踊さんの登場です。

 

ネット情報では、文化11年(1814)に相伝され、伝承されてきたが、昭和38年頃に中断。

昭和47年から稽古を始め、昭和51年には県青年大会で最優秀賞を獲得し、現在に至る。

と、いう事のようです。

 

ちなみに文化10年の遠野では大凶作となり、年貢米の減免や借金返済の延期などの措置がとられましたが、

翌文化11年には、前年の返済期間をさらに一年延期するよう求めた一揆が上郷の村々から起っています。

どうにもならなくなった多くの人達が伊達領に落ちて行ったとのことです。

 

太鼓系シシ踊りの事は疎いので説明できませんが、一番庭と云っていたようです。笑

 

この日も太鼓系鹿踊のファンの方々がカメラ片手に来ておりました。

 

踊り終了後の記念撮影は女性が大勢でした! (男性もいましたが) 笑

 

八幡さまの紅葉話題に戻って、

この木の下にベンチがありました。

が、この方向からでは、かすかにしか写っていません。恋人が見つかるベンチだという噂です。笑

こっそり行って座ってみて下さいね!


住田町月山神社五年大祭後編

2018-10-22 18:05:14 | 郷土芸能

遠野市内では昨日、市議選の告示となり、賑やかになっています。

 

賑やかなのは選挙だけではなく、稲刈りもまた最盛期

 

という事で、五年大祭の後編です。

 

火の土のお祭りマンボ他の手踊りから始まり、高瀬鹿踊です。

 

行山流月山鹿踊とも呼ばれ、文化6年(1810)下清水の忠吉が江刺の伊手村に出稼ぎに行き、

地の神の遠藤金蔵から伝授され、地元民もまた直接、金蔵師匠から指導を受けたということです。

 

大正時代まで踊られ、後に休止となり、近年復活

 

かつては高瀬の長桂寺でお盆に踊られており、現在は月山神社に奉納することから

月山鹿踊とも呼ばれるようになったとのこと。

 

次に外舘の傘踊り(手踊り)となりましたが、その間、そばにいて気になったこの方

 

次に出演の新切剣舞の方でした。

初めに月山神社の御神輿に向い、太鼓の二人で、回向

出番前に「間違わねば、いいがなあ~」と云っていましたが、太鼓の事ではなく、この回向のことだったようです。笑

 

住田町では江戸時代に始められ、近代になって盛んになったようですが、遠野古事記には元禄の初め頃、

気仙で流行っていた剣舞を細越村、佐比内村の若者たちが習い、踊り始めたとあります。

 

残念ながら遠野ではその後、剣舞は廃れ、明治中期に現上郷町来内にて、この新切剣舞を習得して

昭和26年まで踊り、後に中断。現在は行なわれていません。

 

現在の新切剣舞は古くからあったものに、藩政時代末期、上有住にある剣舞から伝授されたものとを

合せたものになっているとのことです。

 

最初に気になった方は、この役どころでした。

 

時折、ジャンプシーンもあり、以前観た大平梅ノ木念仏剣舞よりハードな印象です。

 

遠野では来内の他、宮守町達曽部の中斉念仏剣舞がありましたが、これもまた中断中で、

市内で剣舞を見ること無しです。

住田町は、鹿踊と剣舞其々が、中断した時期がありながらも、両者が残る地域でもあります。

 

 

ところで、手踊りをカットしましたが、雰囲気はこんな感じです!

傘や棒などの小道具を持って踊ります。

この芸能奉納の最後は全員で住田音頭を踊る予定になっていたようです。

 


住田町月山神社五年大祭

2018-10-21 22:14:11 | 郷土芸能

遠野盆地周囲の山々を見渡す限りでは、まだ紅葉には早いようですが、

 

数日前、外出ついでに附馬牛町のこちらまで行ってみました。

その後の天候にもよると思いますが、今週末ぐらいが見頃ではないでしょうか。

 

さて、本日は、時々愛妻からの情報により、

住田町下有住の月山神社の五年大祭へ出撃してみました!

 

今朝はスタートは良かったのに忘れ物を取りに戻ったぶん、時間ロスとなり、

神事はおろか芸能奉納にも遅刻です。

 

お昼休憩の間に神社を参拝しました。この神社、伝承では慶長年間に吉田筑後政義が祀ったものとのこと。

吉田政義は関ヶ原の落人の末裔で岩手県久慈市に流れ着き、後に下有住に移住し、高瀬付近を開拓。

元和6年(1620)伊達政宗により気仙郡大肝入を命じられ、今泉村(現陸前高田市)代官所に移り、

下有住に長男をおき、、次男は上有住根岸に分家とした。ということです。

 

芸能奉納会場の生涯スポーツセンターに着くと、既に最初の「火の土虎舞」は終わっており、

 

プログラムには、地区名:月山、演目:神楽

とあり、勝手に月山神楽のシンガクを演じるのだろうと思って観ましたが、

 

住田町教育委員会編「住田の歴史と文化」を見ても、月山神楽という名前が見当たらないことと、

胴取りの方の袢纏に高瀬鹿踊とあったことから、これは高瀬神楽だろうと推定しました。

明治30年に陸前高田市矢作の馬之助から習った人と、

明治33年遠野市附馬牛町大出から師匠を招き習得した人たちがいて、これらを集約したのが始まり。

その後、遠野市宮守町鱒沢の山蔭彦太郎から教授を受け、拍子が変わり、変遷して現在に至る。

という事のようです。

山蔭彦太郎を調べてみると、江戸時代に鱒沢にいた羽黒派修験善行院宗栄の弟で

分家となった多助から五代目の人物でした。

大正15年に78歳で亡くなっているようなので、江戸時代には善行院の関係者が神楽を演じていたことになります。

 

次の手踊りはカットして、その次が新切の大神楽

「住田の歴史と文化」には新切神楽とあり、鳴り物には、三味線、笛、大鼓、小鼓、太鼓。

話が逸れますが、仲町南部ばやしでは60年ほど前に道具が足りなかった頃、赤羽根峠を越えたここ住田町坂本から

鼓を借りて遠野まつに参加していたことがあるそうです。

 

獅子の形状が遠野の物とはだいぶ違います。

 

獅子、道化(才蔵)、おかめ(お姫様)の他に手踊りの女性たちが一緒に踊っていました。

 

明治になってから上有住坂本から伝えられた大神楽とのこと。

という事は、明治には伊達藩領であった住田町に大神楽があったということになります。

 

次の手踊りをカットし、前半最後は地区名:外舘、演目:外舘鹿踊

住田町では郷土芸能が演じられる時のプログラムには、いつも、地区名又は団体名と演目が掲載され、

このように地区名:外舘、演目:外舘鹿踊となっていますが、演目は一番庭とかと、したほうが理解しやすいのでは?

 

金津流を名のっています。

宝暦年間に上有住二反田の甚内が隣りの江刺に出稼ぎに行って覚えてきたのが始まりとされ、

休止後、天明年間に復活、その後また休止、

昭和34年に青年たちが宇南田の柏崎善七、神田の高橋盛助を師匠として復活し、現在に至る。

ということです。

で、踊り終わった後で、舞手から演目名をお聞きすると「松島?」と云っているとのことでした。

 

 


白いネクタイ

2018-10-14 17:13:49 | 地域

7(日)は仏前結婚式がありましたが、昨日は、またまた白いネクタイ・・・

 

バスで向かった先は、

 

菊池家と菊池家の披露宴

 

9時30分に出発し、会場着が11時30分、喉も渇き、ウェルカムドリンクで体調確認です。笑

 

正午、披露宴のはじまり、はじまり

 

約200人、大きな披露宴。

 

新郎の業界関係者が仲人ですが、その業界の特殊性ゆえにお集まりの皆さんもまた、

同様の衣装?ということで、そうそう見られるものではありません。

 

ケーキ入刀、おわかり頂けるでしょうか?

 

美味しい料理が次から次へと運ばれてきたのに、食い意地に負け、

撮影した料理はこれだけでした。笑

 

スパークリングワインに始まり、ビールにウイスキー、さらには日本酒と

お腹の中では、ブレンドアルコールが出来上がっていたと思います。

 

新婦の友人たちが踊ってくれましたが、ミュージックはうちの娘達が良く聞いていた曲。

考えると、うちの上の娘と二つ違い

 

思わず新婦の父の気持ちになります

 

新郎が高校卒業後、ここまで来るのに大変お世話になった方のテーブルへのキャンドルサービス

双方を見ながら、感慨深いものがありました。

 

思い起こせば私がこの日を迎えた時、披露宴では義父が朝から涙で、私自身は披露宴では申し訳なくて

笑顔になれなかったことだけが思い出されます。(-_-;)

それだけに、お二人の笑顔を見ると、うれしさ100倍です!笑

 

楽しい時間は、あっという間に過ぎ、

 

両親への花束贈呈

一瞬、新婦父がハンカチを使いました。

またまた、ここで私も新婦父の気持ちに・・・。

最後の最後まで、本当に良い披露宴でした!

 

帰りは、遠野南部氏に縁ある紫波の鳳仙寺に皆さんで立ち寄り、檀家一同、菩提寺の歴史を感じつつ、帰宅。

そして・・・

その晩から、しばらく落ち着いていたジンマシン発生

今日は、お医者さんに行き、前回同様の薬を頂き、安静中。

一週間後には何かと慌ただしくなる遠野市内ですが、

健康一番ということで、私にはストレスを与えないようにお願いします!

 

披露宴の帰り際、ホテルでは別の方の結婚式が行なわれていました。

「結婚披露宴はお金がかかるんでしょう~!」と、娘

その前に相手がいないことには・・・・と云わない父です。笑