「遠野」なんだり・かんだり

遠野の歴史・民俗を中心に「書きたい時に書きたいままを気ままに」のはずが、「あればり・こればり」

駒木鹿子踊IN県立博物館後編

2016-10-30 20:00:27 | 郷土芸能

日曜日の今日は、いい天気でしたね!紅葉見物には最高だったんではないでしょうか?

斯く云う私は、紅葉を横目に・・・となりましたが。笑

 

では、IN博物館後半です。

広場で踊った後は、記録用ということで、敷地内にある曲り家へ移動です。

 

パンフには墓踊りとありましたが、駒木に伝わる「鹿踊濫觴巻」では冒頭に墓踊り、仏壇、位牌、投げ草が

記され、中間あたりに、やっと謂れが出てきます。

それほど、仏事系の踊りを重視していたのかもしれません。

 

大出早池峰系や青笹で見た位牌誉めとは異なり、シシでは無く、太刀ふりの二人による所作。

ロウソクに火をつけ、ひと踊りし、線香をあげ、また踊り、最後に花を飾りました。

なかなかお目にかかれるシーンではありません。

 

供養が終わると最後にシシだけで踊り、屋敷から退散となります。

遠野のシシを見るためにわざわざ盛岡まで行った甲斐がありました。笑

 

ここでお昼となり、

 

昼食後、午後の公演までの時間、料金を払って博物館の中を見学。笑

エントランスでは東和町成島の兜跋毘沙門天立像がお出迎えです。

いつ見ても、国重文だけあってすばらしい~!

この日は幕踊り系シシ踊りの古い写真が特別展示されているということで見学しましたが、

とらねこさんが小学生の頃参加していた駒木鹿子踊さんの写真や早池峰系シシ踊りの写真もあり、

興味深かったのは、昭和30年代の早池峰しし踊りで、太鼓が菅笠を被り、袴着用でした。

青笹しし踊りの古い写真にもあった袴ですが、やはり、この時代が最後の頃だったのかもしれません。

 

さて、午後の部です。

 

午前中と若干、入端は変えたとのことですが、まずはひと踊り

太刀ふりが大きく斜め後ろの姿勢になるのが、駒木さんの特徴でしょうか?

 

シシも数年前に比べるとだいぶ若返ったという印象です。素顔が見えませんが。笑

 

シシの幕には、掛川の文字

遠野旧事記には、駒木村海上の角助と云う人が、熊野参詣に行った時、見物に立ち寄った京都の町辻で

踊っているのを見て、その面白さに魅かれ習い覚えて帰って来たとあります。

江戸時代の遠野では武士だけでなく、一般庶民も熊野参詣、伊勢詣でに行っていたようで、

その記念碑が市内のあちらこちらに建立されています。

(ちなみに私は、どちらにも行ったことがありません。笑)

ところで掛川はと云うと、上閉伊郡誌に嘗て駒木村の一農夫が遠江国掛川で鹿踊の興行を見て、

これを習い覚えて帰り遠野に伝えたので掛川踊と称すると記されているようです。

今となっては、真実を知る術はありませんが、掛川説が縁で、駒木鹿子踊さんが掛川に行ったりしているので、

これもまた郷土芸能がなせる文化交流でしょう。

 

メインのシシが踊っている間、太刀ふりの男子二人、真剣にその様子を見ています。

この二人も、いつかはシシ頭を被って踊るんでしょうね。楽しみです!

 

午後のメイン演目は雌獅子狂い

 

他の団体では神社の例祭では踊らない演目だとお聞きしましたが、駒木さんはどうなんでしょう?

男女間の争いごとを表現しているので、避けているのかもしれません。

 

最後にこの日の特別演目 鹿酒盛

 

市内に残るシシ踊り団体で、この演目を古体のまま残しているのは、駒木だけかもしれません。

この酒を如何な酒だと思し召し 音に聞こえし加賀の菊酒

踊りの説明に、岩間保存会長さんが遠野の清酒国華を熱烈PR!バカ受けでした。笑

 

太鼓の太夫さん方もベテラン揃いとは云え、寒さの中、最後にはこの笑顔

 

「あとすがり」で、

 

最後の最後にシシ一列にてお礼で、幕となりました。

観客を魅了するステージ用に構成された踊りには、それなりの良さがありますが、

受ける受けないではなく、伝承されるべき演目もまた文化のひとつだと感慨深い公演となりました。

 

 

 

 


駒木鹿子踊公演IN県立博物館

2016-10-30 00:24:34 | 郷土芸能

土曜日は前日から迷いに迷ったあげく、岩手県県立博物館へ

10:30からという事で早めに出発予定が8:40となり、盛岡までの道中は規制スピード以下の車で大名行列

なんとか開演前に滑り込みました!汗

 

踊る場所はご覧の広場

到着するなり、保存会公式記録員のとらねこさんに挨拶し、一服 (汗)

 

保存会の岩間さん?から演目の説明があり、はじまりはじまり・・・

(踊っている途中に解説が入り、私にもわかりやすい公演でした)

とは云っても、まず出だしから?です。

配布されたパンフに書かれていましたが、最初に「一庭」・・・

先日の「篝火シシ奉納」春日流八幡鹿踊さんのところで、遠野のしし踊りには「〇番庭」という呼び方の演目は無い

と書いたのですが、果たしてこの「一庭」とは?

「遠野の民俗芸能シシ・シカ・ゴンゲン遠野のしし踊りをめぐって」と云う本に載っている駒木鹿子踊の由来書にも

そのような表現が見当たらず・・・

 

さて、種ふくべ、子供ふくべ、中太鼓、太刀ふり、シシの順で登場です。

演じるお宅の庭に入ってきたというイメージでしょうか。

 

何種類かの入端(イレハ)をまじえた通り踊りということのようです。

入端(イリハ)は、能などの舞台芸能では退場する時に演じられるもののようですが、

様々な郷土芸能系では登場する時に演じられるものを指す例が多数あります。

ちなみに田植踊りや剣舞、さんさ踊りでも「入端」があります。

(遠野郷系シシ踊りの手踊りのルーツはこの辺にありそうな気がするのですが・・・笑)

 

二匹のシシが庭誉めにやってきました。

この所作は大出早池峰系シシ踊りでも見られます。

 

その後、手踊りが入って「柱がかり」・・・と、ここまでは良く見られる流れです 笑

元祖角助では、他のようなオーバーアクションはありません。

 

そして、御花の披露となり、「投げ草」

以前、この投げ草で唄が入るのは小友系シシ踊りだけだと書きましたが、訂正します。

歌詞は聞き取れませんでしたが、小友系と同じように駒木鹿子踊さんにも唄がありました。

 

「引端」で退場して広場の部の公演終了です。

始まったあたりは、緊張した様子のシシさんも一汗かいて、だいぶ気持ちが楽になったのではないでしょうか?

シシ頭を被っていて顔の様子がわからないのに、そんなこと、どうして、わかるんだ?

お叱りを受けたところで、続く です 笑

 

 

 

 

 

秋なんで何かと・・・

2016-10-23 16:50:00 | 地域

秋がまだ浅いのか深いのかよくわからない遠野です。

大勢の人たちがご来光を拝みがてら、見事な雲海を見に高清水に上がっているようですが、

歳に不足は無いはずなのに、なかなか起きられない笛吹です。笑

 

 日中ならばということで、附馬牛町のこちらへ

 

 もみじ系はだいぶ色づいていましたが、その他は今月末辺りが見頃でしょうか?

そうは云っても、気温が急激に下がったり、強風が吹くと状況も変わるのでしょうが・・・

 

この重湍渓、看板がある場所も良いのですが、その下流もなかなかです。

 

 さらに下流に行くと、水力発電所がある集落に着きますが、

その分かれとなる道路には、遠野ぶれんどKSUZさんもお気に入りの小さな社

 

その前のお宅では、ストーブ用の薪がきれいに積んであり、ご覧のようなものも。

 

さらに下り、上柳の入り口辺りまで行くと、私のお気に入りのカヤ葺きの家

 

今月初旬に行った時には、ハセ掛けの稲がありましたが、もう無くなっていました。

天日干しの美味しい米が出来たのではないでしょうか。

 

美味しいと云えば、昨夜は手書きの松が描かれている古い農家?へ

 

障子にはめられた硝子もスリガラスに模様で何とも懐かしい

 

農家民宿風に活用されているようで、郷土芸能が縁で知り合った皆さんと乾杯してきました。笑

高清水の雲海に最も近い西側の宿という事になりそうです。

では、東側はと云えば、B&Bくら乃屋さんでしょうか。笑

 

飲み会と云えば、篝火シシ奉納の日に帰って来た同級生H恵さんを囲む会もありました 汗

普段は野郎ばかりで飲むことが多いので、女性が5人もいると酒もすすみます。

主役が集中砲火をあびて大変そうでしたが、まあ、気にせずが、よろしいかと・・・笑

 

福泉寺の紅葉も、もう少しで見頃となりそうですが、11月に入れば、次は雪が気になります。

そして、やって来る師走

そう考えると、あと二踏ん張りぐらい頑張って働いておかないと冬眠もおぼつかない笛吹です。汗

 

ところで、昨日、中学の同級生のピックが亡くなりました。

火葬が25日午後3時遠野市斎場、葬儀が26日午前11時遠野葬祭会館とのことです。

ご冥福をお祈り申し上げます。

 


久々に白いネクタイ

2016-10-16 20:20:42 | 民俗

昨日は久しぶりに白いネクタイ着用で家族揃って盛岡まで

(伝承芸能話題から離れるのも久しぶり 笑)

 

こちらで、夜の結婚披露宴です。

一生に一度ぐらいは、こんな会場での披露宴に出席してみたいものだという夢が叶いました!笑

 

十五夜の夜、日が暮れてきたところで、

 

結婚式

 

今時の式では、皆さんスマホでパチリ!

厳かな式でもあり、和やかな式でもあり・・・

 

披露宴までの間、出席者はライトアップした会場外で、風景撮りなどしていましたが、

新郎の友人たちが楽しそうに自撮りしていたのでお邪魔させて頂きました。笑

 

やがて、披露宴

 

会場に隣接した厨房で調理された料理が、次々と運ばれてきます。

 

その間に、寿司ビュッフェなども

 

披露宴会場の外はこんな感じで

 

終盤に蕎麦も出てきましたが、食べきれません

 

最後はデザート、新郎新婦がウエディングケーキのお裾分けも・・・

 

昨年は黒いネクタイが続き親戚の数も減りましたが、今年は増加傾向?

不幸があれば、幸もあり・・・

今回は新郎側での出席で、新婦のお父さんを泣かせるような過度な演出も無かったので、

娘二人を持つ私には、とても良い結婚式に感じました。

新郎新婦だけではなく、両家の皆さんのお幸せをお祈りいたします!

 

 

 

 


篝火シシ踊り奉納 板澤しし踊り

2016-10-15 00:08:45 | 郷土芸能

篝火シシ踊り奉納も最後です。

地元の幕踊り系シシ踊りを代表して、上郷町の板澤しし踊りさんです。

古くは板澤獅子踊りと表記していました。

 

上郷町には、他に佐比内しし踊り、細越獅子踊りがありますが、

廃絶しましたが、火尻、暮坪、平倉にもあったようです。

 

ところで、遠野のしし踊りの特徴はと云うと、幕踊り系であることには違いないのですが、

だからと云って、県内の幕踊り系が同じかと云うと、そうでもないのです。

太刀ふり(刀かけ)という踊り手や、中太鼓と云って両手に4、50センチほどの飾りのついた棒を持った子が登場します。

 

紫波から盛岡周辺のしし踊りには、このような役は見えませんが、

大槌町、釜石固有のしし踊りには、太刀ふりはありますが、中太鼓はないようです。

 

前列が中太鼓、真ん中が太刀ふり、その後ろがシシ

 

遠野にいると、この構成が当たり前だと思っていますが、幕踊り系でも特異な存在です。

一方、山形県や紫波・盛岡周辺のシシ踊りには太鼓が一緒に踊るものがありますが、

遠野、大槌、釜石では太鼓は踊りません。

 

太刀ふりや中太鼓が、列になったり、輪になって踊り、これが賑やかさを演出します。

ここで、太刀ふりは刀を振るというのはわかりますが、中太鼓って何かな?と疑問に思いませんか?

持っている道具は、田植踊りでも使用していますが、太鼓は持っていません。

しかし、中太鼓というからには、田植踊りでも、以前は何かしらの太鼓を打っていたのではないでしょうか。

それが太鼓が無くなり、バチを持って踊る所作だけが残った。

と、私は想像しているところです。笑

 

青笹獅子踊保存会・遠野市教育員会編「遠野郷青笹しし踊り」には、

刀かけは山神踊り、中太鼓他は豊年踊りであると記されていますが、

豊年踊りは田植踊りと解釈できそうですが、山神踊りとは何を指すのでしょう?

神楽だという人もいますが、江戸時代に遠野でも流行ったという剣舞かもしれません。

いずれにしても、どこかの時点で、この構成に落ち着いたのでしょう。

 

写真は、近年、板澤しし踊りさんが良く演じる「四つがかり」

 

違い鎌の建物(シシ頭のマーク)を付けたシシが踊りながら、後ろに下がっていく「あとすがり」

で、「篝火シシ踊り奉納」の一切が終了となりました。

 

異なる地域のシシ踊りを見ると、一般には、あそこのがいい、ここのがいいと云うだけの見方になりがちですが、

其々の地域に残っている他の芸能の背景を考えながら見ると、また、違った面白さが見えてくるものです。笑