日曜日の今日は、いい天気でしたね!紅葉見物には最高だったんではないでしょうか?
斯く云う私は、紅葉を横目に・・・となりましたが。笑
では、IN博物館後半です。
広場で踊った後は、記録用ということで、敷地内にある曲り家へ移動です。
パンフには墓踊りとありましたが、駒木に伝わる「鹿踊濫觴巻」では冒頭に墓踊り、仏壇、位牌、投げ草が
記され、中間あたりに、やっと謂れが出てきます。
それほど、仏事系の踊りを重視していたのかもしれません。
大出早池峰系や青笹で見た位牌誉めとは異なり、シシでは無く、太刀ふりの二人による所作。
ロウソクに火をつけ、ひと踊りし、線香をあげ、また踊り、最後に花を飾りました。
なかなかお目にかかれるシーンではありません。
供養が終わると最後にシシだけで踊り、屋敷から退散となります。
遠野のシシを見るためにわざわざ盛岡まで行った甲斐がありました。笑
ここでお昼となり、
昼食後、午後の公演までの時間、料金を払って博物館の中を見学。笑
エントランスでは東和町成島の兜跋毘沙門天立像がお出迎えです。
いつ見ても、国重文だけあってすばらしい~!
この日は幕踊り系シシ踊りの古い写真が特別展示されているということで見学しましたが、
とらねこさんが小学生の頃参加していた駒木鹿子踊さんの写真や早池峰系シシ踊りの写真もあり、
興味深かったのは、昭和30年代の早池峰しし踊りで、太鼓が菅笠を被り、袴着用でした。
青笹しし踊りの古い写真にもあった袴ですが、やはり、この時代が最後の頃だったのかもしれません。
さて、午後の部です。
午前中と若干、入端は変えたとのことですが、まずはひと踊り
太刀ふりが大きく斜め後ろの姿勢になるのが、駒木さんの特徴でしょうか?
シシも数年前に比べるとだいぶ若返ったという印象です。素顔が見えませんが。笑
シシの幕には、掛川の文字
遠野旧事記には、駒木村海上の角助と云う人が、熊野参詣に行った時、見物に立ち寄った京都の町辻で
踊っているのを見て、その面白さに魅かれ習い覚えて帰って来たとあります。
江戸時代の遠野では武士だけでなく、一般庶民も熊野参詣、伊勢詣でに行っていたようで、
その記念碑が市内のあちらこちらに建立されています。
(ちなみに私は、どちらにも行ったことがありません。笑)
ところで掛川はと云うと、上閉伊郡誌に嘗て駒木村の一農夫が遠江国掛川で鹿踊の興行を見て、
これを習い覚えて帰り遠野に伝えたので掛川踊と称すると記されているようです。
今となっては、真実を知る術はありませんが、掛川説が縁で、駒木鹿子踊さんが掛川に行ったりしているので、
これもまた郷土芸能がなせる文化交流でしょう。
メインのシシが踊っている間、太刀ふりの男子二人、真剣にその様子を見ています。
この二人も、いつかはシシ頭を被って踊るんでしょうね。楽しみです!
午後のメイン演目は雌獅子狂い
他の団体では神社の例祭では踊らない演目だとお聞きしましたが、駒木さんはどうなんでしょう?
男女間の争いごとを表現しているので、避けているのかもしれません。
最後にこの日の特別演目 鹿酒盛
市内に残るシシ踊り団体で、この演目を古体のまま残しているのは、駒木だけかもしれません。
この酒を如何な酒だと思し召し 音に聞こえし加賀の菊酒
踊りの説明に、岩間保存会長さんが遠野の清酒国華を熱烈PR!バカ受けでした。笑
太鼓の太夫さん方もベテラン揃いとは云え、寒さの中、最後にはこの笑顔
「あとすがり」で、
最後の最後にシシ一列にてお礼で、幕となりました。
観客を魅了するステージ用に構成された踊りには、それなりの良さがありますが、
受ける受けないではなく、伝承されるべき演目もまた文化のひとつだと感慨深い公演となりました。