「遠野」なんだり・かんだり

遠野の歴史・民俗を中心に「書きたい時に書きたいままを気ままに」のはずが、「あればり・こればり」

2012 程洞稲荷例祭

2012-07-09 15:09:32 | 稲荷

快晴の日曜、約束にて午前中届けるべきものを届け、

予定していた処へは帰宅していては間に合わないと判断し、行き先変更

車で行った先は、

鍋倉から五百羅漢へ行く途中の程洞稲荷

道路脇の案内板のあるニの鳥居から山道を歩くこと10分

 

境内に到着

今年で四回目だが、年々息が上がる

 

今年も焚き火でアブ除けをしながら六日町の役員の方々が出迎え

 

八幡神楽の法螺貝の音で神事始まりを知らせる

静かな山の中では、この音がよく響く

 

遠野郷八幡宮宮司様による神事

 

太鼓の打ち鳴らしから始まり玉串奉典、神楽打ち鳴らしと神事

 

神事終了後、一息つくと自治会館にて直会

 

年々参加者が少なくなっているとお聞きするが、こうして、郷土芸能を呼んで例祭を行う

神楽は岩戸開き

 

八幡神楽は、明治以前、遠野郷八幡宮例大祭に遠野一円の山伏が集まり、

上組町蒼前神社(現駒形神社)別当竜法院が中心となり、

一座を組んで行われていた神楽が基になっている。

 

山の神

昭和の戦時中、一時中断し、踊り手不足から演目が減るが、

八幡地域の方々の参加により、演目数を増やす努力を続ける

 

権現舞

 

1月15日の小正月を初舞とし、5月5日の子供流鏑馬、

9月14日の八幡宮例大祭宵宮、翌15日の例大祭にて演じられる

 

この日も参加された皆さんの厄除けをし、無事終了

 

境内にて

 

程洞稲荷は、かつては女性の参拝者が多くあったという

 

山の神は、名前の通りの山仕事の方々の神様であるが、

田の神にもなることから農業の神様でもある。

 

遠野物語拾遺には、妊婦は山の神が現れないうちは子供は生まれないと云われているので、

馬を曳いて山の神を迎えに行くという風習が載せられており、

程洞稲荷さんに女性が参拝していた理由の一端を知ることができる。


2010 金ヶ沢 村兵稲荷例祭

2010-09-23 17:11:48 | 稲荷

2年ぶりに訪問(前回の様子はこちら

 

新しく出来た看板の矢印に従い

 

雨のりんご園を右折すると

 

この地域の方々によって雨天対策のテントが張られ、神事を待つばかり

 

準備中の地域の重鎮にお聞きすると、その方が子供の頃までは、

虫祭りや田植踊りがここでも行なわれていたとのこと。

また、かつては神楽の面も保存されていたようで、ここ金ヶ沢にも神楽組があったのかもしれない。

 

豪商「村兵」を頂点とし遠野一円に散居する「村上氏」が崇拝する稲荷さん

この日も何人かの村上さんがお出でになる。

 

八幡神楽の打ち鳴らしにより、神事

 

稲荷さん脇の集会所で直会の挨拶が済むと、権現舞

 

やがて神楽は中に入り出席者の頭を噛み、無病息災の厄除け

 

お初にお目にかかるこの方も・・・・地域の新人さんかな?

 

地域の若い人たちは、焼き鳥や綿あめ、

そして、中の賄いと例年通り忙しそうに動き回っており、

ちょうどお昼となったところで、この場を去る。

 

こちらこそ!

 

さて、今週土曜日は、松崎元八幡神社例大祭

そして、同じ土日は宮守砥森神社も例大祭となるが、

所用にて遠野を離れ、観ること能わず。涙

 


清水川稲荷神社

2010-01-31 15:12:50 | 稲荷

 つなぎ稲荷神社の山沿いを北東に進むと、曹洞宗滴水山曹源寺に至る。

 

お馴染み「むじな堂」

 

境内前を流れる早瀬川に架かる橋を渡ると、前方右側にこんもりとした木立

 

如何にも、何かありそう

 

清水川稲荷神社

 

そして、不地震地・・・・遠野では、耳にする言葉。

遠野物語第113話のジャウヅカ森も、同様の謂れのある場所。

 

ここにもまた、バランスの良い鳥居

決してふんずり返って通ってはならず、頭を垂れるどころか、かがむことが通過条件

 

この神社の由緒については未調査

 

お稲荷さん と

 

こちらが祀られているようだ

 

どちらも同じ苗字の方が奉納した掲額であることから、別当さんではないかと思われる。

 

大洞・・・・大同

 

には必ず一戸の旧家ありて、オクナイサマを祀る。その家を大同といふ。

 

今の土淵には大同といふ家ニ軒あり。山口の大同は当主を大洞某といふ。

 

遠野物語に登場する大洞は土淵の家を指すが、この掲額にあるように、この神社の周りにも大洞の家あり。

 

上郷と土淵に共通する苗字にこの大洞と林崎があるが、青笹を飛び越えて、存在することに興味を覚える。

 

はじめに記した「かがむ鳥居」の先にある山の神

妙にこの字体に愛着を感じる

 

茅葺にトタンを載せた屋根・・・・トタンも土に返ろうとしている

 

おまけ

 

流行に流されず、あり続ける神々の里遠野だが、

白鳥のスピードについていけないのが「私の腕」・・・・題して流され撮り


2010 つなぎ稲荷神社

2010-01-30 14:20:55 | 稲荷

 かつての平倉村には、小字赤羽根にあるのが、赤羽根稲荷神社。同じく平倉には前回アップした平倉稲荷神社、そして、繋のつなぎ稲荷神社と小字名を冠する立派なお稲荷さんが建っている。

 

そこで、今回は、その中のつなぎ稲荷へ

 

由緒についてはこちら

 

この階段は踏み面が水平ではなく、凍結していると階段を利用するより、脇の斜面を登ったほうが行き易い。但し、冬の間に限り。

 

建物の壁面には、相変わらずコケが付いており、もう少し、お日様が当たらないと、腐朽が進むだろう。もっと、光を!

 

 赤羽根は家臣萩野氏(荻野ではなく)、ここは福田氏。ということは、前回の平倉は?・・・・きっと、遠野南部家臣のどなたかが建立に尽力したのではないかと、思えてならない。

 

ここも平倉稲荷同様に扇垂木を採用した軒廻り。故意の一致か?

 

本殿脇の小祠も平倉稲荷と同様

 

この神社の後ろの山の中に板沢と平倉の境界があり、ここが平倉1地割という地名地番となる

 

 

このようにキツネに守られた平倉には、遠野南部の姿が見える

 

神社入口の両脇にある住宅は、雪下ろしする人もいなくなったようだ。

 

神社から下がってくると北東には、板沢の西側集落が、その先には六角牛山

 

 


北馬木ノ内稲荷

2009-12-07 17:25:12 | 稲荷

 とある寒い日のこと。

 

気になって車を走らせる。

 

 上郷村佐比内の佐々木某という家の婆様の話である。以前遠野の一日市の甚右衛門という人が、この村の上にある鉱山の奉行をしていた頃、ちょうど家の後の山の洞で、天気のよい日であったにもかかわらず、にわかに天尊様が暗くなって、一足も歩けなくなってしまった。

 そこで甚右衛門は土にひざまずき眼をつぶって、これはきっと馬木ノ内の稲荷様の仕業であろう。どうぞ明るくしてください。明るくしてくだされたら御位を取って祀りますと言って眼を開いてみると、元の晴天になっていた。それで約束通り位を取って祀ったのが、今の馬木ノ内の稲荷社であったという。(遠野物語拾遺189話)

 

 

馬木ノ内(拾遺には馬木ノ「つ」と振り仮名されている)

 

 先日、上郷聞書を開いてみると、「まきのうち・マギノヂ」とあり、「うち」の「う」の字が省略されている。そもそも、「内」だったのか「地」だったのか?この馬木地名には「南と北」があり、稲荷様は北の馬木。

 私には、この「馬木」が「牧」に思えてならない。「牧の内外」ということで、外は未開の地であり、内は開拓された場所。その境界に建立したのが稲荷様であったと。

 

 

 

稲刈前のこの辺りは神社まで行く間に何か出てきそうで、この時期の訪問(笑)

 

 

遠くから見た時に、建物にイルミネーションらしきものが。

 

後の山から何かの気配?

 

拾遺の話ではないが、風が出てきて青空が隠れてきたので、早々に退散。

 

 「御領分社堂」にて稲荷さんを確認しようとすると、遠野には多数の稲荷さんが存在するので、特別な名前が付いていない限り、無理というもの。当時の上佐比内村ぶんとして、修験万宝院が別当となる稲荷の他、3カ所。現在では、ほとんどの家にあるだろう。

 

 

そばにあったもの。「いわな設置中」?

何かの気配とは、鹿だったようだ。建物を飾っていたのはネットであり、それも鹿被害防止用。

しかし、神社そばには、鹿のフンだけではなく、別な生き物のものもあり、物語になるには充分過ぎるほどの雰囲気が味わえた。

 

 

心の乱れは字の乱れ

 

悟りを開くために訪問した先?

 

「花と風」がその雰囲気を現すように描かれている。(資料提供:新里講師)

 

話をお伺いしていると、どうやら、素人がただ毛筆を習うのではないようだ。一定の技量習得者であるからこそ、その上を目指すといった処。

 

先生が私を勧誘されない理由がわかったような気がする。笑