「遠野」なんだり・かんだり

遠野の歴史・民俗を中心に「書きたい時に書きたいままを気ままに」のはずが、「あればり・こればり」

七月の空

2008-07-31 12:56:53 | 景色
  夏の青空はどこへ。雨天・曇天のまま、夏は終わるのか?

 そんな遠野で、青空があらわれた一こま。

 

 中学校の使われなくなった煙突。使われないといえば、ここ数日、ケーブルテレビで、中学校再編計画の話しが流れていた。

 

 これは、かつての附馬牛中学校。

 左端の建物だけが、今も残る。その用途は、工場の一部。ただし、工場としての機能も、何年か前に失われた。消火栓のBOXを造る工場として、学校から工場へと変貌を遂げたものの、バブル崩壊とともに、閉鎖された。

 

 そして、上柳に中学校が移転する前の写真。右奥は荒川方面。まだ、バイパスがない。荒川と猿ヶ石川の合流地点に田んぼが開けた様子がよくわかる。

 

 空を眺めた時、青い色が確認できるのは、一日のうち、ほんの一瞬。

 関東方面から、誰か、夏を連れてきてくれないかなあ。

 ということで、遠野ブレンド「山猫」さんが、夏を土産に今週末、来遠。

 つきましては、などと、かしこまった挨拶はほどほどにして、一緒にジンギスカンでも食べましょう。

  詳細はごちらをご覧下さい。
 

2008.夏休み

2008-07-28 00:28:52 | 地域
 とうとう、子供達の夏休みがやってきた。北国の夏休みは短いので、子供会の行事はこの時期に集中する7月最後の日曜日。

 そして、

 

 うちの地区では、宮守町柏木平へ。

 

 ホテルはリバーサイド、川沿いリバーサイド、そう、あの柏木平のリバーサイド祭り。

 開会セレモニーの後、消防ラッパ隊の演奏。いかにも遠野。

 

 周りでは、先輩方のゲートボール&スポ少の野球と馬力大会以来の賑わい。

 

 ゲストには、隣の旧東和町、小山田から、荒鷲太鼓の皆さんが力強いバチさばき。この荒鷲太鼓は、結成して34,5年ということで、決して古くからの郷土芸能というわけではないが、地域の「わげしたず(若い人達)」の心の拠り所として、頑張っているようだ。この日は「荒鷲」と「紫雲太鼓」を披露してくれた。

 この後、スイカの早食い競争やら、地ビール早飲みなどがあったが、子供会の行事優先なので、このエリアを離れる。

 

 子供達のメインは、そう、「潮干狩り」・・・・いやいや

 

 「じゃっこ捕り(さかな捕り)」

 沢山の子供が、池の中に入るので、濁って、魚が見えないのだが、必死になって手探り。

 川に子供だけでは行ってはいけませんと云われる世の中なので、このように「じゃっこ捕り」をする機会すらない田舎の子供なのである。

 何が危険か体験したことがない親も多い時代、仕方がないのだろう。・・・さすがにシャワーはないのかと言った親はいなかった。

 

 一通り動いた後は、やはり、「ジンギスカン」!親子合わせて70人以上もの参加者で食べる。・・・そして、親父は、少しだけ水分補給。

 くたくたになって、帰宅後、案内状が届けられた店へ。

 

 トピア北東に飲み屋さんを開いた同級生のお祝い。

 

 なんだり・かんだりあったこれまでの人生、そして、景気が回復しない地方で、店を開き、子供が一人前になるまで果たさなければならない親の責任。
 いろいろあるが、お互いに頑張ろう!と心の中でエールを贈る。

 
 

雨の中

2008-07-24 23:22:50 | 地域
  梅雨明け宣言と共に降り出した雨は、思わぬ災いをもたらす。

 

 幟がたった白幡神社。

 

 別当さんの家の外壁には、23日午後7時30分から、宵宮とある。

 

 予定時間が近づくにつれ、雷交じりの雨が強く降る中、参拝に訪れた夫婦。

 私も、商売繁盛と健康を祈願して頭を下げる。

 

 止む気配もないまま、時間となるが、行事は行なわれない。別当さんの玄関が開いているところから、この後、関係者にてささやかな宴が家の中で行なわれるのだろう。

 下組町はずれの愛宕神社の宵宮祭りが復活したと遠野TVで放映されていたが、あちらも、雨で途中で取り止めとなったようだ。

 とほほな、梅雨明けである。

 そして、

 

 本日の地震によって、ガラスが割れた建物。

 周りでは、それほどの被害がなかったのが救いであるが、この建物のガラスは前回の三陸沖地震でも割れたと記憶している。ガラスの強度と施工法の改良が必要なのでは?

 

 最近、尻に火が付いて、職場にこもって仕事をする時間が長くなっているが、目と肩の疲れを癒しに市内巡回した際に、立ち寄った工事中の住宅。

 暖かい住宅はあたり前の世の中で、尚且つ、木組みをあらわしていた。

 天気が悪いと、体の調子も今ひとつ。決して齢のせいだけではない!と思いつつも、いつになったら、晴れるやら。

2008大出早池峰神社例大祭 其の弐

2008-07-21 01:01:51 | 郷土芸能
 猿田彦を先頭に神輿渡御が始まると、拝殿前では、神楽を舞う。



 遠野にIターンとして住んで、10年以上にもなるT家の皆さんが、家族総出でこの神楽に参加されているのだが、今年は、舞手として年配の男性が初陣を飾っていた。(一番奥)

 粛々と進む行列は、境内社の駒形神社へと向う。

 

  そして、大出橋の下を流れる猿ヶ石川にて、神輿を清める。

 

 氏子として参加しているこの男性。高校生の頃、我が家に下宿していたのだが、今では立派なお父さんとなり、息子と共に。
 あの頃の大出までの道路は冬になると学校へ通えなくなるので、イワユル「町」に下宿するのが普通だったことを思うと、時の流れを感じる。

 

 そんなことを云っても、子供達には、この清めの意味などどうでも良いのだろう。なかよく、川原で遊ぶ。

 

 川原で神事が続く中、近くの消防コミニティーでは、蒸し暑い中、しばし、休憩中の「獅子」。

 そして、神社へと戻リ、本殿の回りを時計回りに3周し、各郷土芸能を奉納。

 

  ●張山(はりやま)しし踊り●

 延宝年間(1673~1680)に張山集落の寅という遊行の好きな老人が伊勢参りの記念として習い覚えてきたしし踊りを若者達に伝えたと云われている。(幕には東禅寺ししの場合は東禅寺と左下にあるが、張山にはない)


 

  ●上柳(じょうやなぎ)しし踊り●
 
 由来書は昭和8年、庭元の火災によって焼失。詳しい由来は不明ながら、張山しし踊りとほとんど同じ踊りであり、張山から習ったという言い伝えがある。(幕は黒に白抜き剣九曜)

 


  ●東禅寺しし踊り●

 由来は不定。一説には江戸時代中期、東禅寺大萩にある常福院門前の阿部久米蔵という者が伊勢参宮の折、遠州において習い覚えたと云われている。
 天保年間(1830~1843)妙泉寺仁王門屋根の葺き替え落成の時、総代長佐々木良助(屋号:森の家)の計らいにより踊りを奉納したのが縁で妙泉寺の剣九曜の紋を頂く。これにより、早池峰神社例祭には、神社への奉納に先立ち、小出の「森の家」に御礼の奉納をすることにしている。(白幕、左下に東禅寺の文字)

 この三つの「早池峰獅子踊り」には微妙な違いがあるようだが、私には、まだ、わからない。少なくとも、駒木の鹿子踊りと同様に、遠野に伝わるしし踊りの源流をなすものだと思われるゆったりとしたテンポが特徴。若い衆中心に演じられる青笹系統とは一線を隔す。

 

 

 ここで、一番大きな拍手をもらうのは、前の晩から頑張っている早池峰神楽。下舞いで踊り手と太鼓が掛け合い風に唄いながら演じる神楽は、この境内で行なわれてこそ味わい深いのだとつくづく思う。神楽は元来、その修験者や社人が守る社で演じられてきたものであり、その場所で演じることで、精霊が宿るような気がしてならない。

 

 さて、宴も佳境に入った頃、参集していた人々にとってはお待ちかねの「餅撒き」

 
 
 老若男女から、関係者観客まで、目の色を変える。

 

 こうして、神社として公式行事が終わる頃、石段下の拝殿では、演芸祭が始まり、社務所では直会が行なわれる。

 

 古来より続く日程とはいえ、平日に行なわれる祭りであることだけが、返す返すも残念。もっと、一般の方々にも観てもらいたいと思うのだが、機会を得た人だけが観るのも、良いのかもしれない。
 

2008大出早池峰神社例大祭 

2008-07-19 22:21:00 | 郷土芸能
 宵宮に行けなかった反動で、あくる日の例大祭へ?行ったつもりで・・・・

 

 午前10時をまわった頃、ちょうど大出橋では、到着順にしし踊りが「橋ほめ」を行なっていた。地元の神楽を除く、全てのしし踊りはここから、始まる。

 

 笛や太鼓を鳴らしながら、鳥居前で、「鳥居ほめ」、そして、神門に来ると「門ほめ」。

 

 その後、列を整え、境内を行く。

 ここ附馬牛町には「しし踊り」が三つあり、総称として「早池峰獅子踊」という。幕は剣九曜紋。

 

 前の晩に夜神楽で賑わったであろう拝殿を過ぎると石段を登り本殿へ。拝殿前には夜遅くまで、出店を切り盛りしたせいか、それとも、飲んだせいか若干疲れ気味の地元の方々が二日目の開店作業をしている。

 

 本殿内では神事が行われる中、外では、「社ほめ」の踊りを奉納。

 

 天気が悪いとの予報のせいか人手は少なめだったのでは?

 それでも、社会教育の一環として参加している地元附馬牛小中学校の子供達が華を添える。ふくべ振りにつられて手踊りにも力が入る。

 

 きちんとした形での最初の踊り。

 

 踊り終わると笑顔もこぼれる子供達。

 

 最後の団体が奉納を終わる頃、中の神事も済み、

 

 神輿と太鼓を外に出し、御祓いをして、いざ、出発。

 

 こうして、神輿渡御が行なわれたのだろう・・・・