今年最初の仕事は、昨年末で完了した物件の残務処理から
仕事はじめの日から二日目、やっと待っていた電話が入り、大船渡へ
現地での作業を終わり、お昼
御贔屓頂いている太公望社長のご案内で、知る人ぞ知るそば屋へ行くも、休み
次に向かった先は、「やきもも」
ではなく、「百樹屋」(ももきや)さん
こじんまりとした店内には、来店した多くの有名人の写真やサイン色紙
中でも目をひくのが、福山雅治さんのもの
ここの人気メニューはカレーうどん
半ライスもプラスしてメタボを気にしながら、一気に完食!
大変おいしゅうございました!
で、この日は、上の娘の誕生日
いつもと同じケーキ
昨年は、ろうそくの本数を聞かれ、適当に一袋ぶんだけを頼んだのだが、全く年齢と関係無し
今年は、私が頼んだわけでもないので、そのままお持ち帰り
結果、ろうそく無し
主役も今度の連休で、盛岡へ戻る
さて、年末の事
ゴンゲン様から情報を頂いていた棟札をあらためて拝見
正徳三年(1713)下宮守に愛宕神社を建立した時のもの
願主は周辺地域の人々、禰宜は明覚坊、導師は千手院宥栄
その他工事関係者とともに地元の松源寺の名前も見える
千手院は遠野大徳院本山派に属する修験者で、鱒沢村善行院の弟子として山伏となり、
その息子が宥栄となるようで、元禄16年に官名を得た千手院二代目
大徳院は本山派であるのに対し、善行院は羽黒派
千手院は羽黒派に弟子入りし、後に本山派になったものか・・・?
禰宜の明覚坊は、同じ下宮守で羽黒派である
正徳三年頃は、徳川家継の時代といってもピンとこないが、大奥の江島生島事件の頃
この正徳から享保の頃の遠野は、小友や上郷で金山が発見されている時代でもある
両川覚兵衛が神社・寺院に仏像等を寄進したのもこの頃の出来事