羚英の随想●日記  ryou-ei no zuisounikki

陸奥の血を引く神奈川県人
多方面に向けて好奇心と言う名のアンテナは常に作動中!
IE・PC版推奨




■都鳥鹿踊・全日本獅子舞フェスティバル白岡'16 後編■

2016-12-08 14:23:20 | 風の吹くまま
11月27日(日)、全日本獅子舞フェスティバル白岡'16 で、岩手県奥州市胆沢区南都田の行山流都鳥鹿踊(ぎょうざんりゅう とどりししおどり)さんが演舞を披露しました。

前記事の冒頭の画像は舞台に登場したときにものです。





太鼓を叩きながら輪を描くように入場し、隊列になっていきます。
中立が後ろの女鹿の方を向き、背中のながしには誇らしげな 「五穀成就」 の文字が。

『太鼓の調べ きりりと締めて ササラにおさえ きりり納めろ』
この“太鼓の~”の台詞は、団体によって様々なんですね!






『一番庭』 声がよく出ています。
よく通る声で唄を歌っていますが…この唄、もしやと思い過去の記事を見てみると…。
やっぱりそうでした!都鳥さんのTシャツの背中に書かれていたあの唄でした。

『寿福には 地神皇神 御立会い 拝み申せや 我等連れづれ 我等連れづれ』
“片方のバチは太鼓を叩き、もう片方のバチは前方に掲げる”を交互に3回繰り返す、行山によく見られる所作がここにも。










緩急ある躍動的な踊り。
栗原の鹿踊り相通ずる、踊りに追随する独特な装束の美しい動きが見てとれます。
都鳥さんも 「シーッ」 という合図(警蹕/けいひつ)を使う踊り組なんですね。






踊り手が一斉に後ろを向いて。
伊達な色合いのながしの意匠がゆらゆらと、実に優美です。






くるりくるりと廻りながら。






中立の 「ハッ!」 という掛け声もあります。
掛け声のある踊り組は、多分初めて観るかも知れません。






『唐金』 の場面に入ったところでしょうか。
踊り手がくるりくるりと廻りながら位置に着きます。
画面一番右に女鹿が来ます。

唐金は、1頭の狂い鹿から女鹿を守ろうとする2頭の牡鹿との踊り(女鹿隠し)だそうですが…。
私が知っているのは、2頭(複数頭?)の牡鹿に女鹿が隠されて、1頭の牡鹿が懸命に探す…といったものだったと。
設定が逆で、これも面白いなと思いました!






中立が、守りを固める2頭の鹿(脇狂い)の真ん中に来て。
中立と女鹿が何度も会釈のような所作をします。
「危ないからここにいるんだよ」「はい、分りました」 とでも話しているような(笑)






中立と狂い鹿(中狂い)が踊ります。






中立が引き上げ、中狂いが果敢に?女鹿奪取に挑み始めます。
この画像にはありませんが、このとき 「角入れ」 の場面があったのかも知れません。
(後半の部分でもこの場面があるので、その画像を入れます)
何度も2頭の脇狂いに撃退されながらも、なおも諦めない中狂い!






脇からも女鹿を連れ去ろうと試みますが…。






何やってんだー!と撃退されます!






中狂いは中立のところにいって会釈のような所作を繰り返します。
その後でシーッの合図で太鼓の調子が変化し…。






中狂いが2頭の脇狂いの間から女鹿と会釈の所作をしたと思ったら…。
脇狂いの隙を突いて、女鹿を連れ出すことについに成功します!






脇狂い 「はっ い…いないっ






さあ大変!
中狂いはまた、2頭の脇狂いによる撃退に遭います。








都鳥さんも跳躍の鹿踊りでした!
脇狂い激怒の巻?
その間、女鹿はそろりそろりと後退りしています(笑)






脇狂いが1頭ずつに分かれて対処?します。





「ついて行っちゃ駄目だよ」→
←「何やってんだ!」






「危ないからって言われたでしょ!」→
←「今度やったらタダじゃおかないぞ、こるぁ」
(とは言ってませんが 笑)




脇狂いの踊りが良く揃っていますね!
このあと、中狂いが女鹿のところにいって何度も会釈の所作をし合ったり、脇狂いとの攻防のクライマックスがあり…。






中狂い(一番左の鹿)の 「角入れ」 の場面。
野生の牡鹿のしぐさを彷彿とさせる見どころある所作です! 
行山流を踊りを見ていると、野生の鹿の動きやしぐさを、踊りのふとした所で感じることがよくあります。






中狂いが一人で太鼓・唄・踊りをやりながら白鷺踊りをします。
『白鷺は 立つと思えば 立つかねて 後をめぐる 立てや白鷺』
“あとを濁さず、あとを濁す”など様々ありますが、“あとをめぐる”とは白鷺が立ち惜しむ様子を上手く表現してますね。






鹿の子の場面です。
こうして踊り手が両手を広げる所作は他所にもみられますが…
都鳥さんは幕を結ばないので後姿は一瞬蝶が羽を広げているような華やかさが。






「ハーッ」 の掛け声でバチを叩く所作。
バチの音と太鼓の縁・面を叩く音が小気味良いです。






中立の見せ場。
庭を廻り地を清め、太鼓の音で場を鎮め、踊りのクライマックスに向かいます。






中立の合図で側鹿たちが頭を上下に振りながら右に左に。
所作に意味があるのでしょう、ここも野生の鹿を見ているような感覚になります。





「太鼓の調べ きりりと締めて ササラにおさえ きりり納めろ」
一礼、退場からは大きな拍手が!






続いて、感謝状を贈呈された御礼の唄を歌いました。
感謝状を捧げ持つのは女鹿。






最後に太鼓を叩きながら一列になり、一礼。
これで都鳥鹿踊さんの演舞はすべて終了しました。




初めて観た胆沢に伝わる鹿踊り。
今まで観てきた踊り組とは異なる装束。

「地味な踊りで」 とnontanさんは謙遜されますが、太鼓や踊りに緩急と勢いあり、唄の意味も興味深く、踊り手の声も大らかで明朗、ストーリー性に溢れて観る者に様々な想像を与えてくれる、今回観る機会を頂いて本当に幸運だったと思える素晴らしい踊りでした!

花巻まつりでひょんなことから都鳥さんとのご縁を頂き、未知の世界だった?冨士麓行山の踊りを堪能することが出来ました。
この素晴らしいご縁に、心から感謝です



演舞のあとには、踊り終えたみなさんと鹿馬鹿氏やトーシカの踊り手さんY氏を交えて色々と会話を交わし、お疲れのところ楽しくお話を伺わせて頂きました、ありがとうございました

岩手への帰路では途中渋滞に捕まってしまったようですが、みなさん無事にご帰還されて何よりでございました!
行山流都鳥鹿踊のみなさん、お連れ様でした
見応えある踊りを、ありがとうございました


そして…



“例の手拭”!とお心遣いを、また記事を書くに当たって沢山の情報を教えて下さり、ありがとうございました


動画をYouTubeにアップロードしています。
よろしければご覧になって下さいね。

2016.11.27 全国獅子舞フェスティバル白岡'16 行山流都鳥鹿踊



(※ 間違いの箇所がありましたら、何卒ご指摘下さい)

Comment
この記事をはてなブックマークに追加

■都鳥鹿踊・全日本獅子舞フェスティバル白岡'16 前編■

2016-12-05 22:15:31 | 風の吹くまま



9月10日(土)の花巻まつり・鹿踊りパレードの時に初めてお会いしてお話を聞かせて頂いた、行山流都鳥鹿踊(ぎょうざんりゅう とどりししおどり)さん。
当日お話を伺った時に是非に!と手渡して頂いたリーフレットにあった 『全日本獅子舞フェスティバル白岡』 に行って参りました。


(その時に持ち帰ったリーフレット)



11月27日(日)、埼玉県白岡市で開催の 『全日本獅子舞フェスティバル白岡'16』 を観るため、最寄り駅のひとつの武蔵小杉から湘南新宿ラインで白岡駅に向かいました。
既存の武蔵小杉駅から地下通路で繋がり近くに通っていた別路線に駅が新設されたお陰で小杉がとても便利な駅になり、初めての場所である白岡駅にも(時間を選んで)乗り換えなしの一本で行けました!
東北新幹線でしか通ったことの無い大宮を在来線で通り過ぎて、白岡駅へ。
そして、急いで駅の近くにある中央公民館の講堂へ。
受付で講堂内での撮影可を確認し、すでに開場時間になっていましたがどうにか最前列の(来賓席の隣の)端っこを確保

舞台袖で準備をされていた、この日の中立を務められる、SNSで繋がって頂いている“すたてぃっくさん”が私を見つけてわざわざ下りてきて下さり、ご挨拶とこの日来られなかった中立のnontanさんからのお心遣いを頂きました
ありがとうございました

さて、会場には後援されている全日本郷土芸能協会の鹿馬鹿氏たちもお出でになっていて、いよいよ開会式です。
開獅子博物館の館長による挨拶・来賓の祝辞に続き、沖縄・名護市の青年団によるエイサーで幕開けとなりました。

エイサーは何度も観たことがありますが、本場のエイサーを初めて観て聴いて、心にその向うにある沖縄の情景を感じ、やはり、その地に伝わる芸能をその地のゆかりの人たち・携わる人たちが演じるものこそ郷土芸能と言えるのだと、個人の見解ではありますがそう感じました。





そして、上演の最初を飾ったのが 行山流都鳥鹿踊のみなさん!
動画では観たことがあっても、実際に演舞を拝見するのはこれが初めてです。



行山流都鳥鹿踊 

岩手県奥州市胆沢区南都田に伝わる行山流都鳥鹿踊(ぎょうざんりゅう とどりししおどり)の由来は、資料等によると、行山流中興の祖と云われる本吉郡水戸辺村(現在の宮城県本吉郡南三陸町)の仙台藩士・伊藤伴内持遠から入谷四郎兵衛を経て、平泉の千葉清左衛門へと相伝、その三代目・行水軒中津川清左衛門義胤から寛永5(1793)に都鳥に行山躍りとして伝承されたと伝えられている、平泉の達谷窟経由の鹿踊り。その後富士麓行山流の影響も受けたという。
中立、女鹿、側鹿で構成される8人踊り。

装束の幕には 「九曜紋」、春日並びに日月の四季を略した 「十二揩子」、36の神々を象徴した 「チドリ」 を染めている。
ながしには、中立は 「五穀成就」、女鹿は 「豊年踊」 の文字が染められ、祖霊を供養する盆の踊りのほか、五穀豊穣、家内安全等を祈願して踊られる。




この日の演舞は 『一番庭』 と 『唐金』。
そして、表彰式の後には 『御礼の唄』。

一番庭は“お呼ばれした場所で最初に踊る又踊りの基本とされている”もので、唐金は“役踊りで、一頭の狂い鹿から女鹿を守ろうとする二頭の牡鹿との三つ巴の闘い、女鹿隠しの踊り”だそうです。


この日の演舞の構成は…

「露払い(入れ込みとも言う)」→「入り掛け 一番庭」→「庭廻り」→「余興 唐金」→「鹿の子」。
そして 「御礼歌詞」。
鹿の子の後には本来 「引き波」 が続くそうですが、この日は省略されたようです。
(※ 同じ“ひきは”の言葉でも、団体によって字が異なるのも興味深いです。引き波、引き羽、引き端などなど…)


装束は…

は行山流らしく小さめ。
ザイの付け根の部分が露わになっていて、かつては鹿の角を使用していたそうですが現在の角は金属の鋳物。
角の角度は、行山流らしく本物の鹿のそれに近い角度。

がしの頭頂(かしらの頭頂)には華鬘結びとそれに続くながしの縁飾りの部分が無く、ながしの縁は畳縁のような有職の布のような紋様の縁取りが。
中立は、赤の九曜紋に 「富士麓行山躍 五穀成就」 の文字。
女鹿は、赤の九曜紋に 「豊年躍」 の文字と鹿ともみじの図柄。
側鹿は、赤の九曜紋に 「行山」 の文字、豊臣秀吉と加藤清正だと云われている武者の図柄。

サラは鹿島の御幣(五色の御幣)を表し、背に対して垂直の角度、武者の指物のように八の字に斜め後ろに向かう腰差しで、宮城にある鹿踊りと類似。
3メートル近いササラの元には飾りの五色布(五色乗れ)が。

は…(中立のnontanさんにご教示頂き加筆訂正しました)
中立と女鹿の喉印は、井桁継ぎの無い赤の九曜紋。
側鹿は、井桁継ぎに九曜紋。(八階子/正式十二階子(かいこ)は春日並びに日月の四季を略した…階子は井桁継ぎのことだったんですね!)
紋様は、赤の大きな九曜紋、三色の三つ巴紋(仏法僧の三宝を表す)、五色の剣梅鉢紋、鶴丸紋、日の丸扇紋(開いて悪魔不浄を祓う心を表す)、波に兎紋様(波は平穏を表すという)、赤と黄の線模様。
他に、上り藤紋、竹に雀紋、菊水紋、毛車紋、が施されていているそうです。(提供頂いた記述情報は郷土史からの抄出だそうです。今の装束とは使われている紋様が少し異なるのかも知れません。)
幕には千鳥掛け(千鳥縫い)が施されていますが、これは36の神々を象徴しているのだそう。
そして、幕は後ろで結ばずに踊ります。

口袴の紋様は…
中立と女鹿の表側は、五色の市松模様で裾が稲穂を表しているそう。
側鹿は、源氏車。
中立の背面は、池に咲く蓮華の模様(仏陀の教えを描いたもの)。
女鹿の背面は、山姥金時の絵柄。
側鹿は、茨城童子と渡辺綱。

チは…
うつぎ(うつぎの木は彎曲が強いので曲がりをまっすぐに直すために2本の木を麻紐でぐるぐる巻き一年以上日陰で吊るしておく)を使用し、ささくれや劣化を防ぐ意味で先の部分に焼きを入れて、それによってその部分が堅く丈夫にもなるそうです。

甲は…
中立と女鹿は、白地に赤の九曜紋。
側鹿は、黒字に赤の九曜紋。
36の神々を表す意味で千鳥掛け(千鳥縫い)を施しています。



この日残念ながら来られなかった中立のnontan氏、この日中立をされたすたてぃっく氏からご提供頂いた情報を含め、分る範囲で記しました。
都鳥さんの演舞の様子は、次の記事でご紹介します


■都鳥鹿踊・全日本獅子舞フェスティバル白岡'16 後編■につづく


Comments (2)
この記事をはてなブックマークに追加

■けせんのたから 5 柿内沢鹿踊■

2016-11-21 14:41:56 | 風の吹くまま



演舞の最後を飾るのは、会場のある地元・住田町世田米に伝承されている行山流山口派柿内沢鹿踊(ぎょうざんりゅうやまぐちは かきないざわししおどり)さん。

仰山流笹崎鹿踊り同様にこの踊り組も基本は9人踊りの鹿踊りで、9人での隊列と8人での隊列とが定められています。
去年の2月頃から柿内沢鹿踊に参加しているイギリス人ダンサー兼振付師の客員会員の踊り手さんに加え、彼女のダンスのパートナーの女性・練習を見守り続けてきたマネージャーの男性もこの日は踊りに参加していて、総勢9名での演舞でした。

この日の演目は…
渡り拍子→遠入羽(とおいれは)→入羽(いれは/キッザゴ)→庭廻り(+唄切り/細引き入羽)→長唄(南から)→唐金狂い(三人狂い)+追い狂い(ぼいぐるい/一人狂い)→鹿の子3(やまがら・黒雲・お花畑)→寄せ→引羽(ひきは/十五夜)→納め

唄切りの 『細引き入羽』、鹿の子の 『黒雲』『お花畑』、引羽の 『十五夜』 が今回若手のみなさんが新しく習得したパートで初披露です。

今日まで伝承されてきた柿内沢鹿踊の踊りのパートを、忘れ去られることの無いように、余すことなく、正しく、後進に伝えようと中立の角鹿氏が取り組み踊りを指南しておられます。
踊り手さんたちは、5月の世田米天照御祖神社式年祭(三年祭)の時からさらに沢山のパートを習得しなければならなかった訳ですが、まだまだ残りが待っているそうですよ!





渡り拍子で入場して。
柿内沢は通常の演舞の始まりも渡り拍子を2回繰り返します。






渡り拍子に続いて、遠入羽の場面。
隊列のまま前方に倒れ込み飛び出すように進み出る特徴的な場面。






次の入羽(キッザゴ)の場面。
この踊り、実は前後に直線的に動いているのではなく一本の線を軸にジグザグを描くように踊っています。
私の好きな入羽です。






入羽の次、庭廻りに附く唄切りの場面。
新しく習得された“細引き入羽”です。
『中立入れろや 中立入れろ 中立なけりゃ 中が繁ない(しげない) 中が繁ない 』






次の長唄の場面。
5月の式年祭の時に復活した長唄“南から”。
『南から 白き雀が八つ連れて これのお庭で羽を休める』
“片方のバチは太鼓を叩き、もう片方のバチは横にして前方に掲げる”を交互に3回繰り返す所作。
行山流によく見られるこの所作がふんだんに使われています。






唐金狂い(三人狂い)では狂い頭が始め一人で踊り始めます。








今回も左口輪(中立の左の側鹿)の踊り手、右口輪の踊り手とともに三人狂いを踊ります。








三人狂いの後には必ず追い狂い(ぼいぐるい)が続きます。
踊り手はイギリス人ダンサーのショーネッドさん。






追い狂いの最後のところで白鷺の唄が歌われます。
柿内沢鹿踊ではそのあとに、ひれ伏して白鷺を称える唄を歌います。
『さてもや見事に 立った姿よ』






『立った姿よ』 でみなが立ち上がり鹿の子に入るまでの間しばし庭を回り踊ります。






今回は鹿の子は三種類入りました。
最初の鹿の子“やまがら”の場面。
『やまがらは たすきに内に もどれ うでかせ』






“奥の御山”に似た踊りです。
目の前でバチを叩く情緒的な所作があります。






次の鹿の子“黒雲”に入りました。
中立が唄を歌い出しながら庭を廻ります。
今でこそどの鹿の子を踊るかを事前に踊り手に伝えていますが、かつては中立が自由に選びその時の思いつきで踊ったのだそうです。
こうして唄を歌い庭を廻るのは、どの鹿の子か踊り手に伝えるためでもあるとか。








『黒雲は 傘ごしかけて 来るときは 月の光 影はそろわず 影はそろわず』


 



“黒雲”は今回若手の踊り手さんたちが新しく習得した鹿の子のひとつ。
この鹿の子は、特に太鼓の音が聞きどころ。






最後の鹿の子“お花畑”の場面。
これも新しく習得したパートのひとつ。






中立が唄い始めます。






『お花畑の けしの花 八重に一重 此処の家に咲く 此処の家に咲く』






中立と側鹿との足捌きの違いが面白いです。
柿内沢鹿踊の特徴である緩急に富み間を取る踊りや太鼓は、調和がとても難しいと思います。






鹿の子の場面はこのしゃがむ所作で終わります。






寄せの場面。






引羽“十五夜”の場面、これも新しく習得したパート。
寄せでみなが揃い、これから引羽に入るという合図の中立太鼓のあと、しばし唄だけで太鼓が止まります。
こういった踊りは今まで見たことがなかったので、斬新な感じがしました。






踊りは異なりますが、前に進んで後退するという形は“今夜ばかりは”と似ています。
どちらも趣のある踊りです。






納めの場面。
頭を振って見得を切るような所作をします。






『太鼓の胴をきりりと締めて ササラを揃え これで納めろ これで納めろ』








最後に渡り拍子を叩き、退場しました。



柿内沢鹿踊さんを9名での踊りで観るのも舞台で観るのも今回が初めてでした。

短期間に次々と新しいパートを習い覚える踊り手さんたち。
その指導に取り組む中立の角鹿氏。
双方の力が融合し、この日の演舞が踊られました。
いつか全てのパートを伝授される日が来るのを、私も心待ちにしています!



郷土芸能に造詣が深く、郷土芸能のあるところにこの人あり!の笛吹さんの記事をご紹介します。
一瞬を切り取った素敵な画像と簡潔な文章は私たちを魅了して止みません。

2016 気仙民俗芸能祭 さわり
2016 気仙民俗芸能祭



動画をYouTubeにアップロードしています。
よろしければご覧になって下さいね。

2016.11.06 けせんのたから 行山流山口派柿内沢鹿踊



Comment
この記事をはてなブックマークに追加

■けせんのたから 4 笹崎鹿踊り■

2016-11-19 21:29:40 | 風の吹くまま



行山流水戸辺鹿子躍さんの次は、会場となっている住田町のお隣・大船渡市に伝承されている仰山流笹崎鹿踊りさん。
気仙の鹿踊りの特徴でもある青い幕の踊り組です。



仰山流笹崎鹿踊り 

岩手県大船渡市大船渡町に伝わる仰山流笹崎鹿踊り(ぎょうざんりゅう ささざきししおどり)の由来は、大船渡市郷土芸能協会によると、『日頃市村の坂本沢屋敷に住む理惣太が、本吉郡清水川村(現在の南三陸町)中在屋敷の弥惣治(弥惣治は本吉郡入谷村の四郎兵衛より7代の相伝を受けている)から踊りの指南を受け、理惣太はのちに笹崎部落の大草嶺家の養子となり「笹崎鹿踊り」の基を伝えた』 とある。
明和五年以降(1768)に伝えられたと考えられている。

伝承によると装束に染められている赤九曜紋(他の鹿踊りは白九曜紋を染め抜く)は、初代四郎兵衛が仙台藩主伊達公より下賜されたもので、仰山なる踊りとの賞賛の言葉も賜りそれが“仰山”を名乗る所以であると伝えられている、九人踊りの鹿踊り。



『「引っぱり鹿の子」が他団体と違う。仲立が鹿たちを一列に引っ張り、様々の所作を見せながら打つ太鼓が見せ場』 ともあります。
その説明を聞く限り、『引っぱり鹿の子』 はお隣の住田町世田米の行山流柿内沢鹿踊が今年5月に復活させた 『竿鹿の子』 を彷彿とさせますので、それがどういう踊りなのかとても興味があります。

実は、私はかつて笹崎鹿踊りさんに関する記事を書いていて、今回やっと、この目で踊りを観る機会を得ることが出来ました。

大船渡の各鹿踊り団体は名称が“鹿踊り”となっていて、これが正式名のようですのでこの記事内ではこちらの表記を使いたいと思います。





まさに沿岸の鹿踊りといった感じです!
中立の力強い太鼓の音。
左手のバチで前方を指し流し、威圧するような所作。






軽快で切れがよく、勢いがある踊り。
女性の踊り手が一人おられたそうな!






一人狂い?の場面。
自由自在にササラを操り、安定した確かな踊り。






片足を軸に回るこの場面では会場から思わず拍手が!
この踊り手は、隊列の時の中立の右側の鹿(頭の房が紅白)。






一人狂いの踊り手が退くと、次に二人狂いが始まります。
どの踊り手も踊りがよく揃っています。






ササラの動きも揃い、息があった踊りです。
一人の踊り手が退いて、後に退いたのは中立の後ろ(しがり?)の鹿(頭の房が紅白)。






三人狂いの場面。
あまりに動きが激しいのでスクリーンショットで良い画像を取るのが難しく…
これだけで勘弁して下さい^^;
最後の退いたのは中立の左側の鹿(頭の房が紅白)。
頭の動きのキレが凄かったです!
それぞれ激しい動きのあとでの歌い出しも、息も切れずにスムーズです。






頭の角も、大船渡の鹿踊りに見られる狭めの角度。
本物の鹿の角の角度と同じか、少し狭いぐらいか。
ササラの先には鳥の羽根が。






これが 『引っぱり鹿の子』 の場面のようです。
同じような場面は、舞川鹿子躍にもあり柿内沢鹿踊にもあり、やはり同じ行山だと!
金津流にもジグザグの移動場面がありますね。








引っぱり鹿の子の場面で装束をチェック。
今まで私が鹿踊りの中で見たことが無い紋様が見て取れます。


の房の色は、中立は緑、側鹿は左右と後ろの鹿が紅白、他の鹿は赤。
い幕の前面は、中立は仰山の文字が、側鹿は井桁継ぎに九曜紋が、また、幕にある紋様はみな同じのようで、赤九曜紋・藤丸紋・鶴丸紋・蓮華紋?が染め抜かれています。赤九曜紋は金津流にもみられますね。
がしは、中立は 『友達が 遊びかしら(からしという話も?)の庭なれば してがこぼれて足に絡まれ』 の和歌が、側鹿は“鹿ともみじ”の意匠が。
口袴は、中立が深碧(深緑)色で側鹿が黒、前面には白の重ね源氏車紋と裾に白の二本線、中立の背面は…よく見えませんが“唐獅子牡丹”の紋様かなにか?側鹿は真っ赤な伊勢海老?の紋様。





こうして一つの所作を切り取ると、他の団体との共通点を多く見つけられます。






鹿の子の場面でしょうか、躍動的に庭を踊りまわります。






この場面を観てあっと思いました。
柿内沢鹿踊の鹿の子 『奥の御山』 の中の踊りととてもよく似ています。






行山流で見られる鹿の子の庭廻りの場面。
激しく闊達に踊り廻ります。






踊りの最後に渡り拍子を叩きながら。
太鼓のリズムも最後の部分が少し異なるぐらいでよく聴き慣れたリズム。



よく通る声で唄が歌われ、踊りもきちんと習得されていてよく揃い、勢いと躍動に溢れた踊りでした。
太鼓の皮が破れんばかりの中立太鼓の乱打、時に荒ぶる踊りは、さすが沿岸の芸能だなと感嘆しながら堪能させて頂きました。


動画をYouTubeにアップロードしています。
よろしければご覧になって下さいね。

2016.11.06 けせんのたから 仰山流笹崎鹿踊り



■けせんのたから 5■につづく

Comment
この記事をはてなブックマークに追加

■けせんのたから 3 水戸辺鹿子躍■

2016-11-14 14:39:31 | 風の吹くまま



座談会のあとは、鈴木雄二氏撮影の生出鹿踊の映像が上映されたのですが、席を外して観ることが出来ませんでした。
YouTubeで後日ゆっくりと拝見させて頂きました。

上映が終了すると、各鹿踊り団体の演舞披露が始まります。
私は舞川鹿子躍の踊り手Mさんのあとを追って、装束に着替えて用意をする行山流水戸辺鹿子躍(ぎょうざんりゅう みとべししおどり)さんの様子を伺いに行きました。

幕には“水戸邊”と染め抜かれていました。
装束も舞川さんとは少し異なるところがあるようです。

震災の年、新宿で水戸辺さんと舞川さんの合同の演舞を観たときには、確か装束は舞川さんの装束を着けておられたと記憶しています。
その合同演舞で中立を(買って出て?)務められた保存会長の村岡氏の当時の頭の角は、たいそう大きく立派なものでした。
(確か凄く大きくて立派な角を見つけたからつけてみた?…というようなお話を当時耳にしたような…笑)

“水戸邊”と幕にある装束にその時のことを思い出し、感慨深くなりました。

その当時の記事はこちらです↓

■舞川と水戸辺 行山流鹿子躍の共演@新宿 前編■
■舞川と水戸辺 行山流鹿子躍の共演@新宿 後編■





この日の演舞には、地元の高校生の踊り手さんたちが出演されたそうです。
(踊る予定ではなかったようで)保存会長の村岡さんが“騙されて踊ることになった”と話しておられました(笑)

冒頭の画像は装束の着付けをする水戸辺鹿子躍のみなさん、それを好々爺のように見守る地元・柿内沢鹿踊保存会の会長さんと元踊り手で世話役のお師匠さん。





まずは舞台の袖で水戸辺さんの踊りを堪能。
こういう角度で鹿踊りを観るのは初めてです。






客席に戻り、腰をすえて踊りを堪能することに。
中央で踊る中立の村岡氏はお聞きするところによると御年65だとか…?
それにしても村岡氏は心に染み入る歌声をお持ちですね!

舞川さんの歌はお堂に響き渡るご詠歌のような厳かな印象を感じます。
水戸辺さんの(村岡氏の)歌は節があって同じ歌なのにまったく違った印象です。





元気いっぱいの高校生に混じってまったく年齢を感じさせない踊り。
間の取り方や細かいところが舞川さんと少し違うように感じました。
 





ツケと呼ばれる牡鹿が他の牡鹿に闘いを挑んでいる場面。






こっちの牡鹿にも。






売られた喧嘩(いや、闘い・力比べです)を買わずにいられるか!
三人狂いの場面です。






高校生の踊り手さんたちはまだまだ伸び代がいっぱい!
師匠はさすがの貫禄と雰囲気をお持ちです。








スマートフォンの構え方のせいで指の調子が悪くなり動画を最後まで撮る事が出来ませんでした
この2枚はショットで撮りました。


いわば兄弟の踊りである水戸辺さん、舞川さん、佐沼さんの交流が深まっているとお聞きします。
これからもそのご縁による繋がりが末永く続き、よりいっそうの相互理解・技と伝統の継承・向上発展になりますようお祈り致します。


動画をYouTubeにアップロードしています。
よろしければご覧になって下さいね。


2016.11.06 けせんのたから 行山流水戸辺鹿子躍



■けせんのたから 4■につづく

Comments (2)
この記事をはてなブックマークに追加