3月18日(金)震災から一週間、遠野は電気もガスも水道も復旧。
閉めたままの店が多く、たとえ開いていても物があまりない状況は、内陸部と変わらないと想像する。
また、
ガソリン・灯油が不足しているのも同じなのだろう
職場へ、徒歩あるいは自転車で通勤していたのだが、
週末からの連休に、どうしても車を使わなければならず、不本意ながら、列に並ぶ
そして、その日の午後、一本の電話が入り、
不明だった嫁さん方の親戚の身元確認ができ、火葬の打ち合わせのため、
夕方、釜石入り
小佐野の安置所前にて待ち合わせをし、電気の点かない新仙人トンネルを抜け遠野に戻る
釜石ではNTTで電話をしようとする人たちの何キロにも渡る車の列、安置所へ向かう人たちの姿
土曜、伯父の一周忌
震災がなければ、遠くにいる親族をはじめ、多くの方々とこの一年を振り返る日となるはずだったが、
近親者のみとなる。
明けて日曜
先日、所在のつかめた伯母家族に会いに大槌まで
残念ながら、病院へ行った直後で、直ぐには会えず
周辺を廻る
町の中心部は今だに立ち入り禁止だったが、
大槌川沿いだけでもご覧の通りの状況
数百メートルの違いで、全壊、床上浸水、無傷の家が並んでいたが、伯母の家は床上浸水
断水中の町には、兵庫県からの給水車が回り、目にした自衛隊は北海道・八戸からと
多種多様な救援が行われていた。
待つこと、5時間、帰ろうと車を走らせたところで、従兄の車と出会い
一緒に行った母は、姉に会うことができた
88歳になる伯母は近所の人に背負われて批難し、
釜石で仕事をしていた従兄は、徒歩で大槌に戻り、
途中で奥さんを見つけ、翌日、家にたどり着いたようだ。
遠野と一山向こうには、現実の震災の姿がある。
釜石のhanaさんのお母さんと妹さんも大槌にいるはず。
また、気仙沼に嫁いでいる娘さんとお孫さんの安否も気になる。
その後、
上記のhanaさんのご家族は全員無事とのことで一安心。