「遠野」なんだり・かんだり

遠野の歴史・民俗を中心に「書きたい時に書きたいままを気ままに」のはずが、「あればり・こればり」

三陸の春

2011-04-25 13:13:19 | 地域

東日本大震災の当日、日本初となるかや葺き屋根の技能資格学科試験が行なわれた。

その翌日が、実技試験になる予定だったが、震災で延び、先週金曜に実施

 

かや葺きの屋根棟梁を中心に集落の方々の結いによって行なわれてきたが、

棟梁の高齢化、そして、結いによる施工が難しい状況の中、

景観としてのかや葺き屋根の維持に、どうしても、若い担い手が必要となり、

市内のみならず、宮城や青森の技術を学びながら、将来へつなげる技術の継承を図る。

今回は、二級1名、一級4名が受験。

結果は、後日通知されるとのこと。

 

そして、

 

日曜日、釜石へ

 

職能を活かした被災地支援

日が経つにつれ、本震・余震による建物への不安がつのる方々から、

役所へ相談の申込が殺到

地元の方々だけでは対応が限界となり、遠く大阪から駆けつけた方がいる中、

遠野でも若手が中心に先発隊となり参加していた。

今回、不肖、中堅?どころの私も・・・・。

 

釜石・大槌エリアが対象となるが、私は唐丹・平田・甲子・大渡の4箇所を廻る

震災前の風景とのギャップを感じながら・・・・。

 

神様のめぐり合わせか、釜石に着くと、鈴子町で、

遠野郷八幡宮で行なわれた黒森神楽巡業でお会いした菊地写真館のご主人とばったり。

避難所から救援物資を受け取りに来ていた。

また、平田では、伺ったお宅のすぐそばが、NOOREEさんの家

伺ったご夫妻から、とりあえず住む場所が決まったようだとお聞きする。

 

それそれの震災にそれぞれの春、彼の地では、桜が満開となっていた。


2011-04-19 22:00:10 | 景色

マスコミでも取上げられたもの

 

陸前高田に残った一本松

 

寛文7年(1667)陸前高田の豪商菅野杢之助がクロマツを植えたのを初めとし、

後にアカマツも植えられ、国の名勝「高田松原」となる。

広田湾に流れる気仙川の河口に広がる砂地を農地とする際、

塩害から守るために植えられたようだ

枯れないでほしい!

 

二度、足を踏み入れた気仙地域も時間の経過とともに、瓦礫の撤去が進み、

仮設庁舎周辺も落ち着いてきてはいたが、被災された方々が、

落ち着いた生活をおくるには、まだまだ、時間がかかりそう。

 

月明かりのこの日も、福祉センターの駐車場には、一如さんの車があったが、

彼女もず~と支援活動している一人。お疲れ様です!

 

使用中止となっていた建物にも、日毎に灯りがつく部屋が多くなり、

被災された方々には、申し訳ないが、遠野が少しばかり、明るくなったと感じる

 

さて、話は変わって、

 

享保2年(1717)のこと

金華山沖でM7.5の地震がおき、仙台・花巻でも地震被害があったと某書に記述あり

この記述が頭から離れず、花巻でも被害があったのだから、

遠野でもあったのではないかと考え、私版年表を見ると

享保3,4年に、それぞれ、妙泉寺新山宮、遠野若宮八幡が修復されている

どちらも遠野南部氏の援助を頂いていることから、被害は大きかったと考えられる。

 

さらに、話は変わって、

 

「似田貝」という地名のこと

この地名の由来には諸説あるが、そのひとつに松崎町にあった阿曽沼氏の居城周辺へ

運ぶ荷物替えをした「荷駄替え」とする説に、違和感を覚えていたところであるが、

「にた」に注目してみると、この言葉には、やわらかく水気が多いところという意味があることに気づく。

隣接する「谷地」も湿地帯の意味があり、地形からも、もうなずける。

また、「ハレ」に対して「ケ」という言葉があるように、

「ハレ」・・・非日常としての儀礼・祭・年中行事に対して

「ケ」・・・日常   「ケガレ」・・・生活が順調に行かなくなること

これらから、日常生活を営むのには、あまり適さない土地であるが、

周囲にある川から上手に水を引き、区画をし農地として開き、神明神社を祀ったであろう歴史を想像する。

 

往々にして、はるか沖を震源とする地震が起こると、遠く離れているにも関わらず、

その海につながる川沿いの震度が強いことがあるが、

振動の伝播と、その地盤が大きく影響しているように思えてならない。

 

大地震も津波も、今回特別におこった訳ではなく、何度も何度も繰り返している日本。

備え在れば、憂いは少なし

ただ、神経質にならず、普通に暮らしましょう!

 

 

 


遠野 大慈寺焼失

2011-04-14 18:27:36 | 寺院

これでもかと思うほどの仕打ち 

9時半頃、一日市付近を走っていると火事のサイレン

  

黒煙のもとは、我が家の菩提寺 曹洞宗福聚山大慈寺

 

現場に駆けつけると、消防の方々と大勢の人

 

1時間ほどで、本堂・庫裏共全焼

 

病気で寝たきりとなっている和尚様が犠牲になったと聞いたが・・・・

  

寛永4年(1627)に、八戸から南部氏の移封に伴い、遠野へ

遠野八戸南部氏の菩提寺

 

移封当初は、松崎町駒木にあったが、後に同町光興寺に移り、

万治年間(1658)に現在地におちつく

 

享保9年(1724)に火災、後、再建

 

大正12年火災、同年再建

 

そして、昭和40年代に、建替えられた本堂が、今回全焼した建物

 

大正12年は関東大震災があった年でもあり、今回の東日本大震災との因縁を感じる

 

合掌


唐丹

2011-04-13 19:09:58 | 地域

 

三歩進んでは一歩振り返りながら、余震に怯える日々

 

山中の遠野人ですら、そうなのだから、沿岸部では、尚更

その沿岸にある南リアス線は釜石~盛間では、ご覧の通りの状況

復旧の目途経たず?

 

釜石の南端にある唐丹小・・・・外観では2階と3階の間まで津波被害

 

桜舞太鼓の名のとおり、桜並木のきれいな唐丹町本郷も通りの下は、惨い

 

大船渡市三陸町吉浜にある本郷は、明治29年と昭和8年の教訓を生かし、

住居を高台に移転していたため、他に比べ、それほどの被害はないようだ。

この唐丹の本郷も吉浜同様に、並木道の上に移転していた地域は無事だったが、

残念ながら近年建ち並んだ家屋が流された。

もうすぐ桜の季節となるが、きれいな桜並木が見たいものだ

そして、いつの日にか桜舞太鼓も・・・・・

 

被害の少ない遠野でも、ちらほらと

 

でも、春はやって来る