「遠野」なんだり・かんだり

遠野の歴史・民俗を中心に「書きたい時に書きたいままを気ままに」のはずが、「あればり・こればり」

あれから10年

2021-03-14 17:22:01 | 景色

ここ数年、行けなかった沿岸部を11日に回ってみました。

 

2011年4月10日の陸前高田市

この時は時々愛妻の同業者へ作業服を届けに行ったような気がします。

 

その後、仮設市役所庁舎が建ち、

 

間もなく、右側の新庁舎が完成するようです。

震災直後、鹿児島県から釜石へ派遣されたIさんと郷土芸能を通じて知り合い、

その後、釜石から陸前高田市へ応援に回ったと記憶しています。

現在、どうされているのか・・・お世話になりました!

 

マスコミ等にとり上げられた消防団員犠牲者の供養碑

 

屋上塔屋まで津波が来た米沢商会

この日はTVの中継車が来ていました。

写真中央右奥の山中腹に新しい気仙町の家並みが見えます。

見える土の風景も、数年後には田畑の緑でいっぱいになるのかもしれません。

 

大船渡市へ行く途中で立ち寄った神社に建つ津波到達地点碑

 

大船渡市細浦漁港

震災以前は海抜ほぼゼロに感じていた漁協もかさ上げされ、雰囲気がだいぶ変わった印象

 

大船渡市魚市場

手前には遠野風の丘にも出店している鎌田水産の大きな船が停泊していました。

作業も終わり、静かなお昼時。

 

2011年4月24日の釜石市唐丹町小白浜

 

その日の桜

 

現在

 

2011年3月20日の大槌町 右上に県立大槌病院が見えます。

パトカーは北海道警察

 

現在

左右に水門、大槌川と小鎚川に挟まれた河口の町だとあらためて実感。

 

2時46分、城山体育館周辺に集まった方々と一緒に手を合わせました。

 

帰り、釜石市鵜住居町の慰霊碑へ

地元の方々から渡された白菊を鵜住居虎舞の笛吹さんの娘さんに供えました。

震災について思うことは数々ありますが・・・。

少しばかり、私事を、

震災の年に閉めることが決まっていた職場を同僚より一足先に離れることなり、

5月から8月途中までは無職の状態となり、それから起業して10年。

震災の節目は私の節目でもあります。

同級生たちが、昨年辺りからリタイヤし始める中、体力・気力の衰えを実感しながらも、

廻りの方々に求められるうちは、もうしばらく、現役でいたいと思います。

お陰様でした!そして、これからもご愛顧のほどを!笑