先日の遠野ブログ歴史班、通称「中年探偵団」の面々による探訪第二弾。場所はaboutさんの地元、土渕町。
●北野のシヤウ塚森●
山崎のバス亭東方、南は明神沢、北は寺沢の中間。阿曾沼の時代には、この周辺に寺があったのではないかと云われている地域。仏具を葬り、古来から地震のせぬ処とし、高丘の上に人工的に土檀をめぐらし、頂部に自然石を据えている。と「土渕教育百年の流れ」には記されている。
この現地を訪れて感じたのは、常賢寺東方、地名:讃経。ここの屋号「キット」の家に在ったという水天宮を祀る石と類似しているということ。かつて、堅牢地神(旧号地ノ神)と呼ばれていたもので、言い伝えも石の形状もそっくり。
知る日とぞ知る山崎一本松の東の山から下りてくると、当然の如く、ホウリャウへ。
雪ゆえに道なき道を歩く。
鳥居の足は、どうにか真っ直ぐだが、貫(ぬき)は既に?・・・曲がってる。
地元の区長さんの案内によって、建物内部を見学。
以前、aboutさんから頂いた棟札の写真の現物があった。
南部領内(10郡33通り)で宝暦13年(1763)までに実在した社寺が掲載されている「御領分社堂」を見ると、
○田名部通御代官所管轄地 白糠村・・・ 法量社 正徳4年(1714)建立
○七戸通御代官所管轄地 二ツ森村・・・ 法量権現社 法量村・・・法量権現社
天馬館村・・・法量権現社 大沢田村・・法量権現社
上野村・・・ 法量権現社
○五戸通御代官所管轄地 浅水村・・・ 法霊堂 米田村・・・法霊堂
○三戸御代官所管轄地 田子村・・・ 法了林開基慶長年中(1600年初期)
祭神法了権現
同 村・・・ 法了権現 同 村・・・法了林
同 村・・・ 法了林 梅内村・・・法了林
惣米村・・・ 法了
○毛馬内御代官所管轄地 毛馬内村・・・法量堂
○福岡通御代官所管轄地 安比村・・・ 法霊社
○向中野見前通御代官所管轄地 高田村・・・ 法領権現堂 北矢幅村・・法領権現堂
永井村・・・ 法領権現堂
○日詰長岡通御代官所管轄地 南日詰村・・ 法龍明社堂 宮手村・・・ 法龍権現
平沢村・・・ 法龍権現
○八戸弥六郎地行所社堂 綾織村・・・ 宝量権現
管轄地によって、呼び名も漢字も色々。
宝暦13年時点の、南部領内に現存していた「ホウリャウ」は、上記のみであり、土渕町ぶんは、やはり、無い。
区長さんから、鳥居や「藤の木」伐採の逸話をお聞きし、参加者一同、その後の遠野物語を堪能した一時であった。
●今日の遠野●
冬将軍、再到来。
こんな日に、山に行く仕事の人は大変だと思いながら「用足し」を済ませる。
山猫氏来遠の折、この荒神(あらがみ)さま別当家の方と偶然にもお話をする機会に恵まれる。
我が家の庭に咲くこの木の実がなくなると春・・・・まだ実があるようなので、春はまだ先なのかもしれない。
それにしても予想外の大寒波である。
●北野のシヤウ塚森●
山崎のバス亭東方、南は明神沢、北は寺沢の中間。阿曾沼の時代には、この周辺に寺があったのではないかと云われている地域。仏具を葬り、古来から地震のせぬ処とし、高丘の上に人工的に土檀をめぐらし、頂部に自然石を据えている。と「土渕教育百年の流れ」には記されている。
この現地を訪れて感じたのは、常賢寺東方、地名:讃経。ここの屋号「キット」の家に在ったという水天宮を祀る石と類似しているということ。かつて、堅牢地神(旧号地ノ神)と呼ばれていたもので、言い伝えも石の形状もそっくり。
知る日とぞ知る山崎一本松の東の山から下りてくると、当然の如く、ホウリャウへ。
雪ゆえに道なき道を歩く。
鳥居の足は、どうにか真っ直ぐだが、貫(ぬき)は既に?・・・曲がってる。
地元の区長さんの案内によって、建物内部を見学。
以前、aboutさんから頂いた棟札の写真の現物があった。
南部領内(10郡33通り)で宝暦13年(1763)までに実在した社寺が掲載されている「御領分社堂」を見ると、
○田名部通御代官所管轄地 白糠村・・・ 法量社 正徳4年(1714)建立
○七戸通御代官所管轄地 二ツ森村・・・ 法量権現社 法量村・・・法量権現社
天馬館村・・・法量権現社 大沢田村・・法量権現社
上野村・・・ 法量権現社
○五戸通御代官所管轄地 浅水村・・・ 法霊堂 米田村・・・法霊堂
○三戸御代官所管轄地 田子村・・・ 法了林開基慶長年中(1600年初期)
祭神法了権現
同 村・・・ 法了権現 同 村・・・法了林
同 村・・・ 法了林 梅内村・・・法了林
惣米村・・・ 法了
○毛馬内御代官所管轄地 毛馬内村・・・法量堂
○福岡通御代官所管轄地 安比村・・・ 法霊社
○向中野見前通御代官所管轄地 高田村・・・ 法領権現堂 北矢幅村・・法領権現堂
永井村・・・ 法領権現堂
○日詰長岡通御代官所管轄地 南日詰村・・ 法龍明社堂 宮手村・・・ 法龍権現
平沢村・・・ 法龍権現
○八戸弥六郎地行所社堂 綾織村・・・ 宝量権現
管轄地によって、呼び名も漢字も色々。
宝暦13年時点の、南部領内に現存していた「ホウリャウ」は、上記のみであり、土渕町ぶんは、やはり、無い。
区長さんから、鳥居や「藤の木」伐採の逸話をお聞きし、参加者一同、その後の遠野物語を堪能した一時であった。
●今日の遠野●
冬将軍、再到来。
こんな日に、山に行く仕事の人は大変だと思いながら「用足し」を済ませる。
山猫氏来遠の折、この荒神(あらがみ)さま別当家の方と偶然にもお話をする機会に恵まれる。
我が家の庭に咲くこの木の実がなくなると春・・・・まだ実があるようなので、春はまだ先なのかもしれない。
それにしても予想外の大寒波である。