「遠野」なんだり・かんだり

遠野の歴史・民俗を中心に「書きたい時に書きたいままを気ままに」のはずが、「あればり・こればり」

冬の陣 其の弐

2008-02-14 17:17:41 | 宝領
  先日の遠野ブログ歴史班、通称「中年探偵団」の面々による探訪第二弾。場所はaboutさんの地元、土渕町。



 ●北野のシヤウ塚森●

 山崎のバス亭東方、南は明神沢、北は寺沢の中間。阿曾沼の時代には、この周辺に寺があったのではないかと云われている地域。仏具を葬り、古来から地震のせぬ処とし、高丘の上に人工的に土檀をめぐらし、頂部に自然石を据えている。と「土渕教育百年の流れ」には記されている。
 この現地を訪れて感じたのは、常賢寺東方、地名:讃経。ここの屋号「キット」の家に在ったという水天宮を祀る石と類似しているということ。かつて、堅牢地神(旧号地ノ神)と呼ばれていたもので、言い伝えも石の形状もそっくり。



 知る日とぞ知る山崎一本松の東の山から下りてくると、当然の如く、ホウリャウへ。

 

 雪ゆえに道なき道を歩く。



 鳥居の足は、どうにか真っ直ぐだが、貫(ぬき)は既に?・・・曲がってる。



 地元の区長さんの案内によって、建物内部を見学。



 以前、aboutさんから頂いた棟札の写真の現物があった。

 南部領内(10郡33通り)で宝暦13年(1763)までに実在した社寺が掲載されている「御領分社堂」を見ると、

 ○田名部通御代官所管轄地  白糠村・・・ 法量社 正徳4年(1714)建立
 ○七戸通御代官所管轄地   二ツ森村・・・ 法量権現社 法量村・・・法量権現社
               天馬館村・・・法量権現社 大沢田村・・法量権現社
               上野村・・・ 法量権現社
 ○五戸通御代官所管轄地   浅水村・・・ 法霊堂   米田村・・・法霊堂
 ○三戸御代官所管轄地    田子村・・・ 法了林開基慶長年中(1600年初期)
                        祭神法了権現
               同 村・・・ 法了権現  同 村・・・法了林
               同 村・・・ 法了林   梅内村・・・法了林
               惣米村・・・ 法了
 ○毛馬内御代官所管轄地   毛馬内村・・・法量堂
 ○福岡通御代官所管轄地   安比村・・・ 法霊社
 ○向中野見前通御代官所管轄地 高田村・・・ 法領権現堂 北矢幅村・・法領権現堂
                永井村・・・ 法領権現堂
 ○日詰長岡通御代官所管轄地  南日詰村・・ 法龍明社堂 宮手村・・・ 法龍権現
                平沢村・・・ 法龍権現
 ○八戸弥六郎地行所社堂    綾織村・・・ 宝量権現

 管轄地によって、呼び名も漢字も色々。




 宝暦13年時点の、南部領内に現存していた「ホウリャウ」は、上記のみであり、土渕町ぶんは、やはり、無い。



 区長さんから、鳥居や「藤の木」伐採の逸話をお聞きし、参加者一同、その後の遠野物語を堪能した一時であった。

 ●今日の遠野●



 冬将軍、再到来。



 こんな日に、山に行く仕事の人は大変だと思いながら「用足し」を済ませる。



 山猫氏来遠の折、この荒神(あらがみ)さま別当家の方と偶然にもお話をする機会に恵まれる。



 我が家の庭に咲くこの木の実がなくなると春・・・・まだ実があるようなので、春はまだ先なのかもしれない。




 それにしても予想外の大寒波である。

 

 
           

山口寶領社

2007-04-18 22:54:55 | 宝領
  先日、aboutさんのご紹介で、土淵に三つとも四つともいわれる寶領社のひとつ、山口の社が特定された。様々な文献に登場する社は、当然の如く、立派なものを想像しがちなのだが、100とも200とも言われる社が存在するここ遠野においては、群を抜いたものを除くとそのほとんどが、見過ごしがちな小さい社である。が、本日のように、名前は知られているのに、場所すら不明となっている社には、事の他、興味をそそられる。
 さて、その「ほうりょう」なるものをもう一度確認したい。

  ○石神問答○
 ホウリヤウ権現も遠野郷には多く候 此神の神体は多くは蛇にて候 或は此神の権現は蛇体なりとも申候にや ホーリヤウの社には必ず藤を裁ゑあり候 これは藤の他の木に絡りたる様が蛇に似たる故と存じ候 里人は此社の附近にては決して蛇を殺さぬやうと相戒めをり候 ホーリヤウ神は土淵村だけでにても四ヶ所ばかり有之候 又明神と言ふ社も此地方にては蛇を神使として居るものゝ如く申しをり候

  ○山人炉端話○
 土淵の宝領社は下栃内、林崎、山口にあり、それぞれ古い館跡とかかわる伝説となっている。近くに用水路が掘られていることから、土地開拓の守護神とも考えられる。

  ○土淵小教育 百年の流れ○
 山崎地区に宝領社があり、はやりかみに対する信仰があった。

  ○修験者霞職の史的研究○
 綾織村 俗別当 宝量権現 万平

  ○その他○
 ・仙台市若林区法領塚古墳(法領権現の石碑あり)
 ・八戸市ほうりょう神社(別名おがみ神社)
 ・八戸市櫛引字法領屋敷
 ・花巻市上根子字法領
 ・秋田県雄勝町院内法領館(三浦氏居館)
 ・盛岡市乙部 法領田獅子踊り(法領田は苗字としても分布)
 ・青森県十和田湖町法量
 ・山形県米沢市寶領塚古墳
 ・宮城県栗原市雄鋭神社(合祀される前の八社のひとつに寶領権現)

                 
 
 噂の山口の寶量なる社:とても小さな社なるが故に稲荷様か山ノ神と間違えそうな趣。現在の管理者は、ここ、土淵から町に下がっており、時々、そこの婿さんが(婿といってもかなりの年配)拝みにくるという。この話は、すりすり猫が現れる水車小屋駐車場脇に住む80代?の娘さんからお聞きしたものである。社のある辺りは、「ほうりょう」と呼ばれる地名であるが、この社が寶領社と昔から呼ばれていたかは定かでないという。
 気になるのは、上記修験者霞職の本には、土淵村周辺ぶんとして「寶領社」が載っていないこと。昭和9年の村誌にはあるのに。これは何を意味するのだろうか?明治以前には別名で呼ばれていたと想像するのだが。
 もうひとつ、石神問答にある四ヶ所と炉端話の三ヶ所。地元の喜善が箇所数を間違えるとは思われないので喜善の時代には四ヶ所あったものと思う。しかし、時代が経るに従い、その内の一ヶ所は、本来の社の呼び方に戻ったのではないだろうか?又は、ここ山口と同様に管理者がその場所を離れ、存在すら忘れられたのか?山崎のは、中年探偵団が歩いた金勢神社右奥の石積みされた水路周辺が該当するのだと今は考えている。文献に登場する水と蛇にまつわる場所にふさわしいと思うのだが。

 おまけ

                 

 当初、山口の寶量と考えていたのが、この社だったのだが、お稲荷さんだった。他の社では見たことのない建物の構造だったので気にしていたのだが。勘がはずれることもある。この社の構造は社寺特有の造りではないので(無論山口寶量社も)、遠野の在方の古民家を基本としたのだろう。社ひとつを見ても、宮大工の作か家大工の作かは、検討がつき、由緒ある社ほど、手がこんでいるものである。