一如さんが下宮守鹿込周辺で見つけたという神社がどうにも気になる。私が3月10日にUPした「おでのさん」の3番目の画像と同じものなのか、それとも、これか?
宮守館周辺を散策した際に撮っておいた社なのだが、印象としてはすぐそばの朽ち果てつつある茅葺の建物の方が頭に残ったのだが・・・・。この神社の辺りが、かつての主要道といった名残をとどめる雰囲気を醸し出しているのは、やはり、茅葺の建物のせいか。
この「野場」という地名、英語教室の「NOVA」を連想してしまうのだが、「のば」が正しい読み方なのだろうか。
この神社の額には「豊受神社」とあることから、食物の神様であるようだが、少しだけ調べると衣食住の神でもあり、商売繁盛、厄除開運、無病息災、延命長寿となんでも御座れといった具合である。この神様の名を冠する神社も旧遠野では見かけない。額を見ているとこれを奉納したのが宇夫方何某氏であるようだ。現地で再度確認しないとわからないが、いつの時代のものなのだろう。宇夫方と言えば、遠野史ではお馴染みの苗字なのだが、この「NOVA」地域とどのような関わりがあったのだろう。江戸時代の宇夫方氏は各地で代官をしていたようなので、その時期に由来するものなのだろうか?それとも、宮守氏がまだ、健在だった時代なのか?またまた、興味深い。
宮守館周辺を散策した際に撮っておいた社なのだが、印象としてはすぐそばの朽ち果てつつある茅葺の建物の方が頭に残ったのだが・・・・。この神社の辺りが、かつての主要道といった名残をとどめる雰囲気を醸し出しているのは、やはり、茅葺の建物のせいか。
この「野場」という地名、英語教室の「NOVA」を連想してしまうのだが、「のば」が正しい読み方なのだろうか。
この神社の額には「豊受神社」とあることから、食物の神様であるようだが、少しだけ調べると衣食住の神でもあり、商売繁盛、厄除開運、無病息災、延命長寿となんでも御座れといった具合である。この神様の名を冠する神社も旧遠野では見かけない。額を見ているとこれを奉納したのが宇夫方何某氏であるようだ。現地で再度確認しないとわからないが、いつの時代のものなのだろう。宇夫方と言えば、遠野史ではお馴染みの苗字なのだが、この「NOVA」地域とどのような関わりがあったのだろう。江戸時代の宇夫方氏は各地で代官をしていたようなので、その時期に由来するものなのだろうか?それとも、宮守氏がまだ、健在だった時代なのか?またまた、興味深い。