気にはなっていたけれど。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/8b/d1486724a3300f101eef647031a25cf8.jpg)
前回の聞称寺隣りにある神社。旧道沿いの参拝口はあるのだけれど、調べてみても、これといった古い伝承も見当たらず。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/43/bb5da1d10e4f37a89a84814607d899ba.jpg)
遠野には、ありがちな石碑。ここは山の神。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/49/5ab940e3ed7503ca7abb7d5f348ebb3f.jpg)
正月に参拝した方がいたのだろう足跡があった本来の登り口。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/9b/5408aab580d89d45dc013529c16f6d89.jpg)
そして、現在の入口。しかし、雪が積もっていて足跡も無し。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/16/a4d9c9feb7344487be6cf0b6573f0ee2.jpg)
きれいに整備された石段を登る。途中の踊り場周辺は、山の地形になりに平場となっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/c8/6d4cc0584db19f1a4334c07e6fdbcfde.jpg)
登りきると平な広場が広がり、目に飛び込むのは、忠霊塔。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/76/483243180b6117c9c9025860873d1abc.jpg)
先の大戦の犠牲者の方々を奉ったものなのだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/9a/0c1683f1e8bac0f955813bf4735367c3.jpg)
そして、本来の八幡様。本殿は流れ造りの質素なもの。拝殿はモルタル塗りの簡易な建物。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/b0/48f7fb3d9c595c0170b7aedfd5b07240.jpg)
遠野にある神社をかなりの数、廻っているが、この名前を冠した神社で、これほど、寂しさを感じるところはない。戦時中は、市内のどこでも行なわれたように、ここでも、戦地に赴く人やその家族の多くがここに参拝に来たのだろうと思うと、気持ちは、なぜか、右肩下がりとなる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/09/df8ed9f5cc553853598fd3f471d84ef4.jpg)
ここから、猿ヶ石川向いの二郷山を望む。
綾織町内にあるどの神社より、境内をこれほどまでに整備しておきながら、その信仰が薄れると、こうなってしまうのかと思うと言葉が出ない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/dd/502a879c30469651be4c4cf4d8d0f862.jpg)
帰りの道すがら見える風力発電の風車周辺には日が射し、何ともいえないいい天気。
あの八幡様のある場所は、小峠から砂子沢を通って附馬牛に抜ける角地にあり、地形的にも、かつて何らかの建物があったとしても不思議ではないと以前から感じているのだが、戦争の傷跡が色濃く残るせいか、なかなか情報が得られない。当然の如く、いつもの江戸時代の社寺関係の資料には、この名は見出せない。探る手立ては、本殿の棟札か。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/8b/d1486724a3300f101eef647031a25cf8.jpg)
前回の聞称寺隣りにある神社。旧道沿いの参拝口はあるのだけれど、調べてみても、これといった古い伝承も見当たらず。
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遠野には、ありがちな石碑。ここは山の神。
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正月に参拝した方がいたのだろう足跡があった本来の登り口。
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そして、現在の入口。しかし、雪が積もっていて足跡も無し。
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きれいに整備された石段を登る。途中の踊り場周辺は、山の地形になりに平場となっている。
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登りきると平な広場が広がり、目に飛び込むのは、忠霊塔。
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先の大戦の犠牲者の方々を奉ったものなのだろう。
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そして、本来の八幡様。本殿は流れ造りの質素なもの。拝殿はモルタル塗りの簡易な建物。
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遠野にある神社をかなりの数、廻っているが、この名前を冠した神社で、これほど、寂しさを感じるところはない。戦時中は、市内のどこでも行なわれたように、ここでも、戦地に赴く人やその家族の多くがここに参拝に来たのだろうと思うと、気持ちは、なぜか、右肩下がりとなる。
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ここから、猿ヶ石川向いの二郷山を望む。
綾織町内にあるどの神社より、境内をこれほどまでに整備しておきながら、その信仰が薄れると、こうなってしまうのかと思うと言葉が出ない。
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帰りの道すがら見える風力発電の風車周辺には日が射し、何ともいえないいい天気。
あの八幡様のある場所は、小峠から砂子沢を通って附馬牛に抜ける角地にあり、地形的にも、かつて何らかの建物があったとしても不思議ではないと以前から感じているのだが、戦争の傷跡が色濃く残るせいか、なかなか情報が得られない。当然の如く、いつもの江戸時代の社寺関係の資料には、この名は見出せない。探る手立ては、本殿の棟札か。