サブタイトル「遠野人は皆、芸能人」と謳っている郷土芸能共演会ですが、
その遠野人、出るのは好きでも、観るのは得意ではないようで、毎年、客入りが気になります。笑
さて、共演会の後半
大工町の遠野太神楽さんです。
パンフレットとアナウンスによる今回の紹介は私的には感動でした。笑
以前は「幕末頃、おかめ倉松という踊りの名人が始めた」という紹介でしたが、今回は、
寛永4年(1627)八戸南部氏が遠野に移封した際、それに伴ってやってきた「てんや与平治」によって始まると
遠野古事記に記されており、その後、いわゆる遠野の町中で芸達者な若者たちによって演じられたり、
(盛岡や花巻のてんやの仲間たちによって演じられることもあり、)
安政3年(1856)には、神道佐々木大和守に引き継がれ、現在は大工町の皆さんが中心に演じる。
といった内容で、全て残されている文章と一致しています。
遠野太神楽では、唄が入り、おかめが舞いますが、これがなんとも良いもの。
釜石の大神楽にもおかめが登場します。これは唐丹町の伊勢神楽ですが、
同じ釜石の南部藩壽松院年行司支配太神楽にもおかめが附いていました。
釜石のおかめが単独で舞う姿は確認していませんが、遠野では幕末の頃に「おかめ倉松」によって
おかめ舞に特化したものが出来たのかもしれません。
神楽、シシ踊り、剣舞、太神楽・・・気になり始めたら大変なことになってしまいます。笑
八幡神楽さんの岩戸開き
鳥舞
附馬牛町 張山しし踊りさん
柱がかり
開演前に東禅寺しし踊りの方とお話をさせて頂いたのですが、気になることが出てきました。
附馬牛町のシシ踊りで中太鼓(両手に飾りの着いた棒を持って踊る)があるのは上柳獅子踊りだけで、
他では、小友町の長野獅子踊りと鷹鳥屋獅子踊りには無く、
同じ山谷獅子踊りでは棒ではなく、扇子を片手に持って踊る(刀無し)ものを中太鼓としているようです。
どの団体も持っていると思っていましたが、いつから、こうなったのか気になります。笑
ちなみに、この女の子たちが中太鼓です。
最後は下郷さんさ踊りさん
共演会終盤に、盛岡からカメラ片手に、まっとさんとその知人の方がいらっしゃっていましたが、
盛岡のさんさ踊りとはまた違った味わいの、景気が良い下郷さんさを見に来たようです。
お二人のように、市外から見に来られる伝統芸能ファンが増えることを期待しつつ、共演会は幕となります。