「遠野」なんだり・かんだり

遠野の歴史・民俗を中心に「書きたい時に書きたいままを気ままに」のはずが、「あればり・こればり」

2020 六神石神社例祭 後編

2020-09-25 14:22:39 | 郷土芸能

暑さ寒さも彼岸までと云うことで、今日の遠野は雨模様、

ワイシャツ一枚では我慢できない気温です。

さて、

本題の六神石神社例祭の後編です。

 

神楽の後は、今年で4年目の奉納となる盛岡の三本柳さんさ踊りさん

いつものように下の鳥居前から並んで参拝に向かいました。

今年は踊り手の人数が少し多いように感じます。

 

拝殿前にて二礼二拍手一礼

 

演目名がわかりませんが、ここで、ひと踊り

 

次に拝殿下の境内で

 

さんさの皆さんも今年は、踊る機会が少なかったとのこと。

 

一八、昨年までの方とは違う人に感じましたが・・・

 

この中に遠野のお祭りなどに、よくお出でになる方がいて、

目の前に来たら撮ろうと思っていたら、その前に体調不良でダウン。

次回は、しっかり撮りたいと思います。笑

 

新型コロナ禍の中、こうして今年も奉納に来てくださり、

いつものように感動を与えてくれたことに感謝です!

 

次は花巻の満月組という団体の和太鼓

創作太鼓のようで、若い男性から相応の女性まで10曲も休み無しでした。

お疲れさまでした!笑

 

六角牛山の神様が人目に見えるよう姿を現した権現様を

しし踊りの神として天保3年に祀りました。

そのことを讃え、郷内有志が昭和59年に神輿として奉納したのがこのしし頭。

薬師医王善逝如来が、六角牛大権現の本地であり、病気平癒、心身健康を守ってくれます。

残念ながら、今年の例祭には、青笹しし踊りさんの姿はありませんでした。

 

 

 


2020 六神石神社例祭前編

2020-09-24 13:25:03 | 郷土芸能

遠野横田舘の東、六角牛山大権現の本地は薬師医王善逝如来也。

古老の伝説では斉衛年中に円仁より山号を六角牛山とし、山麓の新山宮を住吉大明神とした。

と、六角牛山善応寺由緒にあります。

しかしながら、当時の新山宮は現在の六神石神社の北東にある中沢川の向こう側にあり、

現在地には住吉大明神が祀られていて、後に、その新山宮と住吉大明神を合祀し、

現在の六神石神社となります。

地元青笹では、今でも愛着をもって住吉と呼ぶ所縁です。

 

21日(月)に地元を中心に神輿渡御が行われ、宵宮では昨年同様に夜神楽が奉納された翌日

22日(火)秋分の日は例祭。

マスク、検温、消毒、連絡先を記入し、新型コロナ対策をした上で規模縮小での開催です。

 

神事前の境内は、例年どおりであればブルーシートを敷いて、参拝客や奉納団体で

賑わっているのですが、今年はご覧のとおり。

 

11時少し前、神事の始まり

 

打ち鳴らしは、平倉神楽さん

 

昨夜に続き、平倉神楽さんは、この後、出番になりますが、準備OKのようです。笑

 

その前に、神事を終えた六神石神社宮司様の朝日舞

 

この祭祀舞も神楽の一種になるようです。

 

続いて、平倉神楽さんの登場

 

いつもの大祭とは異なり、少ないお客さん故に、これもまた癒されます。

 

新型コロナ退散、疫病平癒を願って、演目は悪神退治の舞

 

お約束の権現舞、親子で操ります。

 

二日間、お疲れさまでした!

それにしても、まだ、青笹しし踊りの皆さんが現れません。


2020 六神石神社宵宮夜神楽

2020-09-23 15:29:17 | 郷土芸能

六神石神社の宵宮夜神楽、今年も行うとの情報から、21日(月)

午後5時近くに様子見に行ってきました!

 

神社駐車場に着くと、見覚えのあるアクアが一台。

林の中からは、青笹しし踊りの笛太鼓がスピーカーを通して聞こえてきました。

境内に入ると、その音源を積んだトラックが見え、荷台には御神輿。

渡御を終えた御神輿が戻ってきたところでした。

 

御輿殿に戻すお手伝いをした後、神楽殿前に手すきのお客さんと一緒に、イスを並べ、

神楽の始まりを待ちます。

関係者の話では、平倉神楽さんと飯豊神楽さんで1時間ぐらいということでしたが、

演目を聞くと、?。

 

6時半、夜神楽の始まりです。

 

飯豊神楽さんの岩戸開き

 

1月の遠野郷神楽共演会、2月の一日市商店街の皆さんへのお礼神楽、

同月の女子神楽、そして8月の遠野座と今回で5回目

市内の芸能が軒並み中止の中にあっては、奮闘していたと思います。

 

続いて、平倉神楽さんの八幡舞

しばらく表舞の八幡舞をやっていないとの会長談。

 

この日は、応援に駆け付けた北上在住のYさんや塚沢のIさんの姿もあり、

また、撮影者には北上のA部さん、水沢からS木ご夫婦もお出でになり、

他、何人かの芸能関係者とも話ができたことは、なによりでした。

 

7時、飯豊神楽さんの二演目目

 

これまた飯豊神楽さんらしく、三人御神楽

 

平倉神楽さんの三番叟と続きました!

 

三番叟の彼女、就活中と云っていましたが、大学4年生になるんですねえ~

我が家の下の娘のことも覚えていてくれ、おぢさんはうれしかったです。笑

 

開始から1時間過ぎた頃、飯豊神楽さんの八幡舞

両神楽が予定していると話していた演目数を聞いた時、これは遠野時間だなと・・・笑

 

市内で最初に女性に門戸を開いた神楽として有名ですが、

きちんと舞う姿は、流石です!

 

もうすぐ8時、長袖のYシャツ一枚では、遠野人と云えども・・・。

廻りを見渡すと、ほとんどの皆さんは、もう一枚重ね着、中にはダウンコートの人も。

 

平倉神楽さんがこの日メインに選んだのは水神の舞

新型コロナもそうですが、今年は水害の多い年でもあり、台風シーズンはこれから本番。

 

水害も新型コロナも治まるよう清め払いました!

 

開始からもうすぐ2時間、平倉神楽さんの権現舞

 

今年は、市内の例祭では芸能奉納がほぼ無しといった状況下、

また、個人的に仏事が続いている中にあって、先の八幡さんに続く六神石さんで、

芸能奉納が見られたことで、限りなく癒されました!


2020 遠野郷八幡宮 例祭

2020-09-16 10:27:08 | 神社

15日(火)は遠野郷八幡宮の例祭でした。

 

御承知のとおり、現在地に神社が遷宮したのは寛文元年(1661)で、それ以前は松崎町宮代。

遠野郷八幡宮創建八百年誌に興味深い記述があります。

鎌倉時代に遠野を領地とした阿曽沼氏が最初寄宿した場所は、同じ松崎町駒木の堀合で、

後に同町金ケ沢に護摩堂城を築きます。

その堀合には館八幡様と呼ばれる神社が今でもあり、社殿は大正10年に改築され、

その時の棟札には棟梁として小原喜蔵とあります。

喜蔵は正確には喜三で、棟札に記す際は、喜蔵としていたようです。

その喜蔵の父親は東和町の人で小原樗山。

福泉寺本堂、かっぱ渕の常堅寺山門などを手がけた宮大工。

喜蔵が手掛けた市内の神社で著名なのは、附馬牛町荒川駒形神社、同町新山神社があり、

特にも新山神社本殿の桝組と彫刻は一見の価値ありです。

 

さて、話を戻して例祭へ

 

本来の例祭は9月13日が宵宮で、14日が神輿渡御、15日が還御。

近年は市内の一大イベントである遠野まつりに寄り添った渡御・還御になっています。

しかし、遠野まつりが中止となり、例祭そのものはどうなるのだろう?

と思っていたところ、神事は縮小しながらも当然行うということで・・・。

 

神職、氏子役員が列を組み、拝殿前まで歩き、お祓い。

山鳩の鳴き声が聞こえるほど静かです。

 

拝殿に入り、神事

私は故あって中には入りませんでした。

 

外では、この神社の役付き芸能である遠野太神楽さんの奉納が始まります。

 

おかめの舞は無く、獅子舞のみでした。

 

それでも、私には、ありがたや、ありがたや!です。笑

 

同じく、役獅子の駒木鹿子踊りさんもやって来ました!

幟の名前に目が行きます。新里カツ

綾織町新里を姓とし、寛永3年(1791)に初代庄右衛門が遠野の町に出てから三代目の時、

分家となった家の娘がカツ、そのカツの旦那さん清十郎と共に酒屋を営み、

上閉伊酒造や岩手商工、釜石酒造の創立に深く関わります。

 

例祭日和の良い天気

 

拝殿内では、神事が続きます。

 

駒木鹿子踊りさん、拝殿前に移動

近所の人から練習は、していなかったようだと聞いていましたが、流石です!

 

柱がかりも一匹だけで踊りきり

 

元祖角助の威風が感じ取れました!

 

拝殿内の神事が終わり、御神輿ではなく、櫃に神様を移し、拝殿前を三周し、

本殿に神様がお帰りになり、終了。

 

例年通りであれば、馬場を含めた境内を三周し、それから芸能団体のお通り、

その間、参集した皆さんが其々の場所で、飲めや踊れやとなり、遠野で一番熱い一日

になりますが、この思いは必ずや来年に・・・。

 


2020 遠野郷八幡宮 長野獅子踊り奉納

2020-09-14 11:20:00 | 神社

9月も12日(土)、例年通りであれば、翌週に開催される遠野まつりに向けた準備も進み、

仲間内で景気づけの飲み会

 

稲穂も揃っておめでたいはずが、今年は暇な週末となり、ならば、ジンギスカンでも・・・

ということで、同級生たちと鍋をつつき、マイクも持ち・・・今朝は喉の調子が。汗

 

明けて13日(日)、特別なお祓いを受け、遠野郷八幡宮へ

 

正式には14日が神輿渡御、15日が還御ですが、

今年は伊勢両宮神社への渡御はなく、遠野まつりも中止。

 

そんな中、神社の筆頭役獅子である小友町の長野獅子踊りさんが奉納

 

今のところ、私が今年、直に目にしているしし踊りは長野獅子踊りさんだけです。

 

太鼓の音を聞きつけたご近所さんと運の良い参詣者に見守られての奉納

 

役付きの芸能になるのも大変ですが、その責任を果たすのも大変。

 

小人数ながら、こうして奉納して下さる姿に感動です!

 

遠野郷八幡宮

鎌倉時代の遠野領主、阿曽沼氏が勧請したと云われる松崎町の元八幡を起源とし、

江戸時代に八戸根城南部氏が領地替えにより遠野に移った後の寛文元年現在地に遷宮。

羽黒派良厳院が八幡別当とし、明治初期まで勤め

 

後の歴代宮司は伊能友寿、山名海見、菊池萬陸、多田忠助と続き、現在は多田頼申氏。

 

その間に役じしが定まり、どういう経緯で長野獅子踊りさんが

筆頭になったのかは定かでないようです。諸説あるようですが。笑

 

これまでの四半世紀ほどの間だけでも、例祭をめぐる様々なことがあり、

不幸に境内での一般芸能奉納及び馬場巡りが出来ない時期も。

 

今年は新型コロナ禍ということで、これもまた、歴史に残る奉納かもしれません。

 

社務所前、鳥居前、拝殿前で最高の賞辞を唱え踊った長野獅子踊りさんに感謝です。