26日(日)は父方の伯母の四十九日の法要、同じ日に、やはり父のいとこの葬儀。
どちらも父方で、重なりました。
伯母は遠野物語に出てくる家の別家出身、父方祖父の兄は遠野物語拾遺にずばり出てきます。
このような環境が現在の私を創ったのでしょう。笑
朝8時過ぎ、お寺さんに行く前に亡き伯母宅へ
8月のお盆に建てる灯篭木の準備が進められていました。
9時過ぎ、両親実家の菩提寺到着 遠野南部重臣沢里氏開基のお寺さん
新型コロナ対策でマスク着用、距離を保っての法要
その後、お墓へ移動
皆さん線香を持って順番待ち
この間に例によって家紋調べをしてみましたが、地域性のある苗字が多いのが特徴で、
家紋は、ほぼ同姓同家紋。
ただ、これまで我が家と漢字も同じ苗字は、大本家と本家だけだと思っていたところ、
他に3軒あり、親戚ではありません。字名が違う地域の方かも。 笑
法要終了後の会食会場へ向かう途中、かっぱ渕側の道路から見えたのが、これ。
思わず、寄り道です。笑
虫祭り 今年も二百十日が近いようです。
藁の巻き付いた棒の先には男女のこれ。
男性のこれの下半身には、昔は、あれが付けられていたようですが、今は昔です。
会場では単品ずつの皿ではなく、お弁当形式 これも新型コロナ対策とのこと。
四方山話をしながら、お昼が過ぎ、皆さんと別れて別会場の葬儀へ移動。
そこで、前回話途中となった松田さん
百専右衛門関連で専右衛門母方の松田氏の系統を探しているのですが、
なかなか手掛かりを得ずで、お寺廻りのこの頃。
葬儀でお会いした松田さん、遠野南部家臣の家だということはわかっており、
話を聞いてびっくり!残念ながら百家の親戚とは異なるようですが。
八戸から来た松田氏とのことで、「そら来た!」 と。笑
路傍の石に石塔の多きこと諸国その比を知らず。
嘘か真か、遠野には八戸から来たとの言い伝えの家が多いんです。
時々愛妻家もそうですが。笑
お寺さんはどちらですか?とお聞きすると、「大慈寺です。」
家紋は?「片喰(かたばみ)です。」
江戸時代の先祖で知っているお名前は?「真助です。」
あそこの辺りに屋敷があったあの真助ですか?「そうです!」
ここまで聞いて、私の勘ピューターは全開!
遠野八戸弥六郎御支配帳に出てくる松田氏の中の一系統
隆、隆之助、眞助、久馬、久蔵につながる雅楽之丞の系統だと確信。
雅楽は八戸根城時代からの家臣で、遠野に知行地替えの際、一緒に来ています。
聞きそびれたのは、江戸時代、造り酒屋商売をしていたという伝承はないか?と。
ちなみに「遠野南部家御用留書天保年間」には、御城使松田眞助が出ており、
百専右衛門関連では百の息子権左衛門、百の父方の高橋儀左衛門が出ています。
明治になった時、各藩の家臣は現在の退職金のようなものを受け取ったようですが、
盛岡藩重臣八戸弥六郎の家臣は、藩直接の家臣ではない陪臣ということで、
雀の涙だったと。
遠野南部家が禄を離れる記念に家臣には家紋入りの品物を、同心衆には看板羽織を
下げ渡したといいます。看板羽織は盛岡藩の参勤交代に随行する遠野南部家臣が着る羽織で、
中には、その拝領羽織にある南部変わり花菱紋の一部を変えて自分の家紋にしたとのこと。
いずれにしても、禄を失った家臣の多くは想像できないほどの激動の時代へと向かいます。