「遠野」なんだり・かんだり

遠野の歴史・民俗を中心に「書きたい時に書きたいままを気ままに」のはずが、「あればり・こればり」

宮守町砥森神社例大祭 其の壱

2007-09-30 22:22:38 | 郷土芸能
  ●砥森神社●
 
 宮守町下宮守、法華寺の東南奥。往昔、征夷の進軍がこの地方に及んだ折、神社の山頂(砥森山)に祠を建て明神を祀ったのが始まりと云う。砥森山頂には、源義家が奉納したと云われる5.5mの宝剣があり、東和町田瀬、宮守町柏木平、下郷とここ下宮守に礼拝所があったとされ、現在、田瀬とここ下宮守に砥森神社がある。この関係は、早池峰山と各登り口の神社と同様である。

 私がいつも参考としている「修験者霞職の史的研究」の資料編を覘くと(以前から気にはしていたが)砥森神社の名前は見つからない。江戸時代に藩に提出している各地域の社寺のほとんどが掲載されているにも関わらずである。、昭和初期までは、村社としての格付けがある神社でもあるのに。考えられることは、修験者の祈祷所としての位置づけだったのではないかということ。下宮守には、本山派の千手院と羽黒派の常学院、常楽院、浄福院、菊本坊などの修験者がいた事がわかるが、いずれのものであったのか、又は、それ以外のものであったのか現在のところ不明である。



 9月29日が例祭日。所用にて宮守の方と連絡をとるとお祭のため、3時過ぎに来てほしいとのこと。砥森神社の例大祭だとピンときて、早めに出発。すでに、神社からお神輿が出た後。



 坂道を腰を曲げたおじいさんがやってくる。もしや、すでに終わったか?



 米内光政の筆による掲額を振り返りつつ、旧町内へと向う。



 道の駅宮守からJAのある通りへと向うと交通規制となっており、西側からJR宮守駅方面へ行くと、やっていました。(なぜか、祭りの半纏を見ると心が弾む。)

 

 この日、お神輿は、このお宅泊まりになる由。神輿は、このお宅と通りの上の方にあるお宅とを一年おきに泊まられるとのこと。

錦洞文庫

2007-09-27 18:29:18 | その他
 浄土宗 善明寺 遠野南部氏が八戸から移封されたとき、共に遠野へ移る。当初は、松崎町養安寺跡に入り、後に現在地に移る。幕末頃の寺領は10石。この寺には、以前にも取り上げた八甲田山雪中行軍にて殉職した掛田伍長や、日本海海戦で戦艦三笠のZ旗を掲げた伊藤清五郎、そして九州大学総長だった菊池勇夫氏が眠っている。



 寺院の内部には、遠野の各寺でも見られる奉納絵が。



 このお寺さんの北側に、檀徒会館とも思われる建物がある。



 このお寺の以前のご住職でもあり、東京の貞林院瑞正寺のご住職も勤められた「林 政方」=書家「林 錦洞」氏所有の書・書具他のコレクションが収納される「錦洞文庫」と呼ばれる記念館となっている。



 氏は、大正11年に善明寺に生まれ、流転の幼少期を岩手で過ごし、立志をもって上京・苦学の中、書家「林 祖洞」氏に指示し、学徒出陣。特攻隊の手前で終戦を迎える。産経国際書会理事長、浄土宗芸術家協会理事長、日中友好浄土宗協会副理事長、全日本書道連盟参与などを歴任された日本を代表する書家である。

 錦洞文庫が開館される折には、高村光雲作の観音像や交流のあった鶴田浩二最後の手紙なども展示される。私は書の知識は皆無であるが、その道の超一流どころの書や硯、筆など国内のみならず、中国においても貴重な品々が陳列される・・・ようだ。

 市内には、氏の筆による様々な書があるが、遠野駅の文字や観光パンフにも使用される「遠野」、ふるさと村曲がり家内の床の間に飾られる掛軸などなど。かつて、平成と年号が変わった時、小渕恵三がマスコミに紹介した「平成」の文字も氏の筆である。

 今週初め、大工町在住の遠野を代表する宮大工のお一人が逝去された。(青笹町の萬通寺もその方の作である。)このお寺さんに眠る。現在は、主に千葉・茨城などで社寺建築を数多く手掛けられていたのだが・・・。先週には、初期福泉寺の大棟梁のご子息が亡くなり、立て続けに訃報に接することとなった。

 大工町在住の宮大工の棟梁は、その子息と小中高大とずっと一緒であり、また私の父親と同業であったこともあり、私が遠野へ戻ってからも、色々とお世話になった。思い出は多々あれど、もう一度語る事適わずである。
 
 「念書一如」・・・林 錦洞 氏の書のひとつにこの言葉がある。今、この仕事をしているのも神仏に生かされて、その加護があってこそのこと。それぞれ生かされている道は違えども、ここまで生きてこれたのだから、これからも残りの人生、生かされていると思い、一生懸命、進むしかあるまい。などと、ガラにも無く思うこの頃。

なんだり・かんだり一念

2007-09-24 22:13:39 | その他
 ふるさと村での画像展は、無事本日にて終了。



 遠野まつりが終わった後、あまりにも忙しく、風景を見る余裕もなかったが、気がつくと稲穂も黄金色となり、馳せ杭も並び始めていた。

 地元在住中年ブロガーズ(5人)によって、作品の取り外し。展示の時に比べ、異常なほどの手際の良さ。



 ふるさと村からの帰り道。



 西の山に日が沈もうとしている。



 そして、東の空にお月様が。



 老体に鞭打って、画像展示第二弾!in 「とぴあ」での展示準備。ふるさと村での学習効果があらわれ、スムーズに?展示。10月3日まで1階メインスペースにて展示される。遠野ふるさと村に足を運べなかった方々には、ラストチャンスとなります。ご覧下さい。



 「遠野」なんだり・かんだり・・・ちょうど一年前の今日、試行錯誤の末にはじめたのだが、上のような名も知らぬ社に興味を持ち、画像展に展示したようにお祭を見て歩き、郷土芸能を追いかけ、あっという間だったような、長かったような・・・一年。
 その間、通いブロガー諸氏との出会いやら、今回の画像展やら、密度の濃い交流ができこと、たいへん充実した日々を送らせて頂き、コメントを頂いている皆さんに本当に感謝です。
 
 これからと云えば、突然内容が変わるはずもなく、「なんだり・かんだり」を気ままに・・・ということでしょう。末永いお付き合いをよろしくお願いします。笑

氷口御祝い

2007-09-22 22:57:02 | 郷土芸能
  本日、遠野祭り終了後の、個人的なイベントとしての某職能団体の岩手県下の野球大会が、遠野の地で開催された。これに向けて、しばらく前から、準備がなされてきたが、やっと、本番。野球の競技そのものは、私の担当外であるため、全く試合を見ることは出来なかったが、夜の懇親会のため、朝から駈けずり廻った。
 ご存知のとおり、遠野と言えば、ジンギスカン。300名弱の人たちをもてなすのにも、ホテルで形どおりのものをやれば、手っ取り早いのではあるが、そこは遠野。あえて、野外での勝負を挑むことになる。天気予報は、数日前から、曇り。但し、昨日あたりからは、午後は50%の雨天となり、きわどい、賭けとなった。



 朝から、集められるだけのテントを万が一のために準備する。7,8年前にも、違うイベントで、同じようなことをした経験があり、その大変さは身にしみてはいるが、今回は、この部門の責任者ではなく、若手が担当。年寄が、出しゃばることではないので、素直に従うが、体がついてこない。(汗)

 場所は、下一日市と仲町の間の蔵の道ギャラリーの芝生公園。天気に悩まされながら、どうにか強行。



 6月のNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演された、地元の宮大工「菊池恭二」さんの「槍カンナ」や「ちょうな」と云われる平安時代から伝えられるとも云われる道具の実演が行なわれる。今では、奈良の法隆寺や薬師寺の西岡大棟梁に繋がる人々によってマスコミに紹介される程度となってきた貴重な道具の実演を興味深々で見る人たちが、前に集まってくる。立場が違っていたならば、間違いなく私も、前列でじっくり見ていただろう。

 

 そして、郷土芸能披露。

遠野市の南西にある小友町は、氷口に伝わる「氷口御祝い」

江戸時代から続くとも云われる「御祝い」は、小友町の結婚式や新築祝いなどの慶事の宴席で披露される。男衆の謡曲と女衆の民謡を同時に歌い、終わりもピッタリ終わるという独特の伝承芸能である。男衆は、「高砂」・「四海波」を女衆は「まがき節」を謡う。男衆のテンポの遅い謡いに対して、女衆は乗りの良い「まがき節」を同時謡う。日本では、この地域だけに伝わるものである。国立歴史民俗博物館の小島美子氏によって早くからとり上げて頂いていたのだが、ここに来て遠野の認知度が上がってきている。

 お祭という範疇には、出てこない遠野に伝わる伝承芸能のひとつである。

仲町南部ばやし

2007-09-11 00:53:54 | 郷土芸能
 下一日市と仲町の間にある蔵の道ギャラリーにて、写真展が開催されている。



 20年もの長きに渡り、遠野祭りに訪れては、仲町南部ばやしの写真を撮り続けている大阪在住「菅原喜芳」さんの作品展である。



 毎年、1年前の写真をこうして展示させて頂いている。まつりでは裏方として頑張っておられる諸先輩方が現役の頃からのお付き合いでもあり、私が笛吹として参加させて頂いた当初、笛の持ち方から指導を受けた人でもある。




 展示されているものの中には、明治や昭和初期のものもあり、衣装や町中の風景にも興味をそそられる。

 まつりが近づき、祭典事務所も開かれる。



 勿論、幟も。



 そして、練習。



 仲町では踊り子さんは中学生までで、下は、年によって違うが3,4歳の子も参加する。



 地元を中心とした小学生の男の子は山車に乗って太鼓を叩くのだが、手の振り方をきっちりと覚える。



 中学生を中心とした鼓。他の南部ばやしでは、地域の若者達が演奏するのだが、なにぶんにも小さい行政区であり、毎年人手不足。



 生粋の地元民が演じる大胴。(写真の左側)



 仲町独特の笛、「明笛」



 そして、きれい処が奏でる細竿の三味線。(カメラを向けると逃げられた・・・祭り当日にご確認下さい)



 裏方では、小道具としての花作り。(参加頂いている踊り子さんのお母さん方も協力して作業は進む。これまた、美人揃い)



 規模では一番小さいながらも、皆さん総出で作り上げることで、当日、きれいに装う子供の舞に、より一層の感動を覚えるのだろう・・・親として。

 こんな姿を今年もお見せできればと。



 目印は、赤一色の着物と大きめの金の烏帽子。そして、元気のいいヒゲの保存会長。