「遠野」なんだり・かんだり

遠野の歴史・民俗を中心に「書きたい時に書きたいままを気ままに」のはずが、「あればり・こればり」

綾織大日神社

2008-09-09 13:24:20 | 大日
  附馬牛新山を後にし、向った先は、鱒沢方面。当初の目的地は、鞍迫観音だったのだが、その途中、いつも気にしている神社の前に人影を発見。

 

 千載一遇のチャンスとばかりに予定を変更し、神社に行く。そこに居たのは、別当さん本人だった。

 

 丁度、鍵をかけたばかりのところだったが、事情を話すと快く中を案内してくれた。

 

 脇の壁には、今は亡き、遠野の写真家浦田氏の写真が何枚も飾ってある。写っている建物は、現在の神社に立て直す前のもの。浦田氏は、この別当さんのお宅に何度も足を運び様々な写真を撮ったのだという。
 ここで、興味深い話しとして、この別当さんの処には、オシラサマが6体もあり、かなり以前から布の着せ足しが行なわれていないということで、逆に何かあるといけないので、今もそのままにしてあるとか。また、貫頭型というわれる頭の見えるオシラサマが遠野には多い?のだが、こちらのは、頭の見えない布に包まれた型であること。そして、本体は桑の木ではなく、竹。今度は住宅を訪問して、オシラサマでも拝見したいところでもある。

 

 
 建物の中には、本来の社が祭られており、これは、当初、現在地ではなく、もっと山のほうにあったもので、鞘堂に納められていたのだという。

 

 背面の壁には、棟札や、現在の寄附芳名帳のような板がきれいに並べてかけてある。

 読み取れないものもあるが、年代順に記すと

  ○寛政12年9月吉日(1800) 芳名の板
  ○文化2年12月8日(1805)  鰐口奉納 別当要蔵
  ○天保12年9月吉日(1841) 再興大日堂
  ○安政2年(1855)     大日如来幟
  ○元治2年3月(1865)    芳名の板
  ○平成14年12月22日     大日神社(現在の建物)工事概要 
  
   年代不明         奉修復出羽神社堂宇 遷宮導師 慈聖院 
 
 

 私的には、グ~なものばかり。

 

 以前から注目していたこの神社。

 理由は、例の宝暦13年(1763)編「御領分社堂」にある、綾織村 大日堂 別当平九郎 出羽通権現 別当同じ という記述にある。

 今は、ひとつになっているこの神社、江戸時代には、別々に存在したことになる。

 

 そして、今回、拝見した札などによって出羽神社と大日堂の文字が確認できたことで、御領分社堂、綾織村ぶんの2ヶ所に行ったことになる。

 また、これまで、書物でしか見たことのない羽黒派頭巾頭「慈聖院」の存在がここで確認できたことも収穫である。

 ただ、はてな?と感じるのは、この神社の山続き、西側は鱒沢で、そこには鞍迫観音堂があり、そばには同じく羽黒派の善行院が居たのに、猿ヶ石川向かいの慈聖院が霞場としたこと。

 

 貞享2年(1685)に南部義長が大日山下の善応寺ぶんとして大日堂を建立した後の時代に、出羽三山羽黒派の修験者によってそれを信仰させていたことがよくわかる。

 さて、遠野まつり。私の参加する仲町南部ばやしも踊りや鳴物の練習が毎日行なわれ、飾りなどの小物の準備が整いつつあります。毎年参加者不足に苦労しているところですが、最小規模の南部ばやしとはなりますが、一生懸命やりますので、ぜひ!ご覧下さい。
 
 9月13日は笠揃えで午後6時から衣装なしですが仲町を廻ります。
 9月14日は昼夜一日市、駅前通りにて
 9月15日は遠野郷八幡宮にて

 いずれかで、お会いしましょう!

綾織町長岡大日さん 

2007-04-07 00:29:21 | 大日
  ●偶然●
 仕事で訪れた下宮守の旧メインストリートの新町・和山境界付近で、山の斜面にたたずむ社を発見。例により、仕事を済ませた後で、社について伺う。「おでのさん」とのこと。また、また、登場。宮守では、どうして「おでのさん」がこんなにも多いのだろう。大きな疑問である。
                 
 この社は、JR宮守駅周辺の方が以前は管理されていたものだったようだが、現在は、鱒沢の自転車屋さんに移ったとのこと。その経緯については、近所の方もよくわからないという。このように社の管理者が移るというのは、どういうことからなのだろう。

  ●不釣合い●
 その社の周辺の山の斜面にかわいい春がやってきていた。
                 
 母に花の名前を聞いたが、歳のせいか忘れてしまった。というより、私のタイプとしてこの手の話題は似合わない?とテレながらも、UPする。汗
 写真展示の話がそちらこちらで出ているせいか、どうも意識して・・・。

  ●思い立ったが吉日●
 そうだ、あの社に行ってみようと思い立ち、今日はへびもいないだろうと勝手に決め込み、現地へ。
ここはどこ。以前に訪れたが、まだ、熊の季節ゆえ、傍観しただけ。この神社を私はどういうわけか「熊野さん」だと決め込んでいたが・・・。
                 
 社そばにあるお宅のチャイムを押す。(遠野にもチャイムやテレビカメラはある?)その瞬間、表札が目に入る。見覚えのある名前である。某消防署長に4月からなられた方のお宅だった。ご本人は不在であることを祈りつつ?玄関に入る。娘さんと思われる方が応対してくれた。社は「大日さん」であるようだ。
 熊野だと思い込んでいたが、はずれであった。(なぜ、熊野だと思ったかと言うと、夢でその社に行き、熊野を確認できたことを喜んだからなのだ---ほとんど病気)はずれはしたが、妙にほっとした自分がそこにはいた。
 後日、この大日さんのことを、お聞きしようと消防署まで行ったのだが、署長室入口前にて退散。(どう切り出せばよいやら考えるとノックができず)

  ●予想●
 「大日堂・出羽通権現」俗別当:平九郎。社の管理者が現在誰なのかは、まだわからないが、江戸時代には存在した上記の神社に間違いないだろう。