「遠野」なんだり・かんだり

遠野の歴史・民俗を中心に「書きたい時に書きたいままを気ままに」のはずが、「あればり・こればり」

富士山

2006-10-20 22:45:22 | その他
宮守観音の境内には「富士山」銘の石碑がある。他に、「金華山、鳥海山、月山」三山銘の石碑。地域の方々が講を組むか、無尽などによって、現代風に言えば、いわゆる慰安旅行をした記念碑として建てたものと思われる。今ほど、交通網が発達していない時代(青や赤の流星号もなかった)に一大決心をし、お金を貯めて行った旅行の思い出となる記念碑なのだろう。石碑の多さから考えると遠野郷の人々は何と信心深いんだろう。信心深いといえば、気になる信仰の跡がTONOのあちこちに見える。そのひとつが「十王堂」。有名なのは、遠野町の会下の十王堂。田植の手伝いをしてくれた、あの十王。(会下というのは宿坊的意味合いの言葉だと記憶している。)常堅寺や善明寺にも祀られ、青笹町のデンデラ野にも小さな祠があるいう。(見たことがないが)会下は九重山 積善寺に関係した施設とされ、善明寺は遠野に入部の折、空寺となっていた白鳳山 養安寺に当初入っていた。青笹のデンデラ野は字名糠前と善応寺の境界付近にあり、当初建っていた善応寺とのつながりを感じさせる。常堅寺については不明。それにしても、南部氏入部以前の信仰に関わるものと思われるが、この十王信仰についてはよくわからない。生前に十王を供養しておけば、死後、閻魔大王の裁きの際に、罪を軽減してもらえるらしいことしか。昔は、よほど悪いことをした人が多かったのかもしれない。