前回は仙人トンネルができるまでの遠野口(沓掛側)の当時の様子について若干ふれたが、反対側の釜石口について。

新しい道路ができてからすっかり交通量も減り、トンネルの向こう側が見えるほど。なんだか、このトンネルができる前に戻りつつあるような気がする。

大橋鉱山も使われなくなった施設の解体が今も行なわれている。

遠野側沓掛で戦時中、採っていたものと同じ石灰石が道路の脇に展示されていた。
仙人峠頂上にあった仙人茶屋は、昭和25年10月10日、釜石線前線開通と同時に店をたたみ、山を降りた。釜石側では、峠と大橋の間にあった中仙人に茶屋があり、しばらくは、季節開業の形で、営業していたが、後に廃業している。この店を経営していたのが、大橋に住む大橋九右エ門家である。中仙人の茶屋の隣にあったという山神社の別当をしていた。この山神社も昭和49年には下に降ろした。

この地図を頼りに大橋に行くと、JR陸中大橋駅の線路向いの山にはっきりと地図にある不動尊が確認できる。

この神社の左側には今でも赤い屋根の建物が建っており、大橋氏が居た場所であることがわかる。中仙人にあった山神社は地図上の小笠原家の裏の方に移されたという。(現地でちょうどJRの方が安全点検をしていたので、不動尊の隣に家があったかどうか聞いたが、50代と思われるその方は、記憶にないという。人がその場所から離れるとそんなものなのかもしれない)

地図上の登口は現在の駅前で、この碑は駅前で唯一の店ともなっている郵便局脇に建っている。

かつては、空き地が無いほど家が立ち並んでいたこの地域も、今では、残った建物にも空き家が目立ち、その家並みの間を進むとかつての登り口へと続く。

三基の石碑は、右から安政、文久元年、明治40年のもので、左側の馬頭観音には上郷村の佐々木長左エ門の名が記されている。他は大橋、小笠原と地図にもある大橋旧家の人達の奉納。

この道を山並み深く進むと峠となり、そして遠野へ。現在は、遠野側からも釜石側からも熊が出ることから、この旧道を歩く人はいない。この道を利用していた頃から、道に迷ったり、危険を感じたりするほどの難所だったのだから、当然といえるだろう。(決して一人では行かないで頂きたい。地元の人ですら、そう云う)

新しい道路ができてからすっかり交通量も減り、トンネルの向こう側が見えるほど。なんだか、このトンネルができる前に戻りつつあるような気がする。

大橋鉱山も使われなくなった施設の解体が今も行なわれている。

遠野側沓掛で戦時中、採っていたものと同じ石灰石が道路の脇に展示されていた。
仙人峠頂上にあった仙人茶屋は、昭和25年10月10日、釜石線前線開通と同時に店をたたみ、山を降りた。釜石側では、峠と大橋の間にあった中仙人に茶屋があり、しばらくは、季節開業の形で、営業していたが、後に廃業している。この店を経営していたのが、大橋に住む大橋九右エ門家である。中仙人の茶屋の隣にあったという山神社の別当をしていた。この山神社も昭和49年には下に降ろした。

この地図を頼りに大橋に行くと、JR陸中大橋駅の線路向いの山にはっきりと地図にある不動尊が確認できる。

この神社の左側には今でも赤い屋根の建物が建っており、大橋氏が居た場所であることがわかる。中仙人にあった山神社は地図上の小笠原家の裏の方に移されたという。(現地でちょうどJRの方が安全点検をしていたので、不動尊の隣に家があったかどうか聞いたが、50代と思われるその方は、記憶にないという。人がその場所から離れるとそんなものなのかもしれない)

地図上の登口は現在の駅前で、この碑は駅前で唯一の店ともなっている郵便局脇に建っている。

かつては、空き地が無いほど家が立ち並んでいたこの地域も、今では、残った建物にも空き家が目立ち、その家並みの間を進むとかつての登り口へと続く。

三基の石碑は、右から安政、文久元年、明治40年のもので、左側の馬頭観音には上郷村の佐々木長左エ門の名が記されている。他は大橋、小笠原と地図にもある大橋旧家の人達の奉納。

この道を山並み深く進むと峠となり、そして遠野へ。現在は、遠野側からも釜石側からも熊が出ることから、この旧道を歩く人はいない。この道を利用していた頃から、道に迷ったり、危険を感じたりするほどの難所だったのだから、当然といえるだろう。(決して一人では行かないで頂きたい。地元の人ですら、そう云う)
仙人道路が開通したので、今は旧仙人トンネル内を歩けそうですが、どうだろうネ。熊の心配は無いと思うが。
おはようございます。私も、小学生の時、同級生数人と自転車で、釜石の海を見に行ったことがあります。行きはよいよい、帰りは・・・トンネルまで、押してあがりました。(無謀な冒険でした。)今のトンネルは空気が澄んでいるものの、熊が歩いているのではと思えるくらいの雰囲気です。それはそうと、遠野口のトンネル左側にあるトイレ脇にホームレスと思える怪しい人がブルーシートを張って住んでいるようでした。
でも時折、仙人トンネルから出てくる車もあって、安心しきっているとびっくりすることもありますね。
私も確か、小学生の低学年の頃か・・大きな洞窟みてトンネルを歩いた記憶がございます。
ところでブルーシート確認探検隊でも結成しますか?・・・笑
今は昔となろうとしている仙人トンネル。このトンネルが開通した時には、提灯行列も行なわれたほどの賑わいがあったのに、忘れ去られようとしています。急速に失われる歴史は今のうちに語らなければとの思いがつのっています。
ブルーシートの謎の人物、とらねこさんの職務権限外かもしれませんが、気になっています。
この際、みんなで探索がてら訪問するってのもいいかもしんねぇです(笑)
以前、道の日に親子で歩きました。ここを歩くしか手立てがなっかった時代に思いを馳せましたねぇ(シミジミ)
いや~裏山鹿~!
先達がいて数十人単位での峠越えならいいですけど、数人では心細い。以前に釜石・遠野両市関係者の方々が参加しての行事がありましたが、今もやっているんでしょうか?商工関係やら、青年活動をしている方々主催のイベントがあっても良さそうな気がするんですけど・・・・そういう人達は選挙で忙しいか?笑
不動神社はお不動さんと呼ばれてました。
夏にお祭りもあったんですが人が減り無くなってしまい…
大橋市役所横の仙人登り口✨
甲子川の橋を渡り真っ直ぐ上へ登ると馬頭観音があり近所の方はお盆に供養致します。
コメントありがとうございます。
思い出したように、時折旧道を通ったりしますが、本当に静かになりました。なにより驚くのは、仙人トンネルの向こう側が見える事。
遠野と釜石共同で、昔の仙人峠をみんなで歩くイベントがあればいいのですが。