前回の家紋について、笹竜胆は清和源氏たる源頼朝を意味するのかもしれない。違鷹羽は以前からの統治者=安倍一族と思いたい。
さて二番松崎観音麦沢山松崎寺。本尊十一面観音立像、松崎町。寛政13年(1801)の「来由」額によると、大同2年(807)の草創、上記観音は懸仏(かけほとけ)であったという。その後、山谷観音同様の慈覚大師による十一面観音の話が出てくる。現存する観音様は慶長11年(1606)の作。{同時期に青笹喜清院、曹源寺が常堅寺三世雪翁恕積により開基}その後、元禄元年(1688)野火により全焼。{同年遠野二代南部義長逝去48歳(室は北古九兵衛の娘)}。現在の観音堂は享保3年(1728)の再建{享保年中の出来事:小友や上郷に次々と金山が開かれている。両川覚兵衛、愛宕神社境内に延命菩薩建立(明治に常福寺に移される)。両川覚兵衛、大慈寺に釈迦如来座像寄進。幕府が目安箱設置。青笹踊り嘉兵ヱ没。覚助が京都でしし踊りを見る}
遠野が空前のゴールドラッシュの時期に再建されたことになる。それにしても、再建前にやはり野火!何かありそう?
さて二番松崎観音麦沢山松崎寺。本尊十一面観音立像、松崎町。寛政13年(1801)の「来由」額によると、大同2年(807)の草創、上記観音は懸仏(かけほとけ)であったという。その後、山谷観音同様の慈覚大師による十一面観音の話が出てくる。現存する観音様は慶長11年(1606)の作。{同時期に青笹喜清院、曹源寺が常堅寺三世雪翁恕積により開基}その後、元禄元年(1688)野火により全焼。{同年遠野二代南部義長逝去48歳(室は北古九兵衛の娘)}。現在の観音堂は享保3年(1728)の再建{享保年中の出来事:小友や上郷に次々と金山が開かれている。両川覚兵衛、愛宕神社境内に延命菩薩建立(明治に常福寺に移される)。両川覚兵衛、大慈寺に釈迦如来座像寄進。幕府が目安箱設置。青笹踊り嘉兵ヱ没。覚助が京都でしし踊りを見る}
遠野が空前のゴールドラッシュの時期に再建されたことになる。それにしても、再建前にやはり野火!何かありそう?