上郷の歴史的事物の中でも、歩いてみると石碑が本当に多い。画像は留場と呼ばれる場所のものだが、曹源寺にも同様のものがある。中でも、庚申塔が多い。遠野の至る所にある。古くは江戸時代から大正頃まで。庚申は年に5回から7回あるようだが、地域の共通の行事「講」として行われたものと推察される。また、石碑群を見ると神仏混合であると思われる。地域の方々が、石碑として残すほどの一大行事であったのだろうが、どんなものだったのだろうか?気仙の広田地方では、地域の
講中であったこと、信仰対象が青面金剛、精進料理を出すこと、掛け軸を掛ける、集まりが午前から夕方または夜半まで行われたこと。と、郷土史関係資料にある。
遠野ではどうだったのか?いつ、なぜ、行われなくなったか?廃仏希釈との関係?大戦との関係?ハタシテ?
講中であったこと、信仰対象が青面金剛、精進料理を出すこと、掛け軸を掛ける、集まりが午前から夕方または夜半まで行われたこと。と、郷土史関係資料にある。
遠野ではどうだったのか?いつ、なぜ、行われなくなったか?廃仏希釈との関係?大戦との関係?ハタシテ?