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漢方薬剤師の日々・自然の恵みと共に

漢方家ファインエンドー薬局(千葉県)
http://kampo.no.coocan.jp/

上橋菜穂子著「守り人シリーズ」絶対的視点のない物語

2012-12-22 | 
「獣の奏者」探求編、完結編で感動して、以前2巻読んだことがあった「守り人」シリーズを
また読み進めて、とうとう完読してしまった。
バルサ、チャグム本当にお疲れ様。

精霊の守り人
闇の守り人
夢の守り人
虚空の旅人
神の守り人 来訪編 帰還編
蒼路の旅人
天と地の守り人 ロタ王国編 カンバル王国編 新ヨゴ王国編

それにしても上橋さんはやっぱりすごい人だ。
「絶対的視点のない物語」を書きたいと、どれかのあとがきにあったけど
敵味方という単純二極ではなく、攻め入る国、攻められる国それぞれの事情を
等しい感情で描いている。立場の違う個人の身近な実情を知ると
そうならざるを得ない決断や行動を無下に非難できない。

今、現実にも世界中が混沌とした雰囲気に包まれており、
たとえば日韓、日中の微妙な関係を保つためにも、
上橋さんような、ある意味冷静で合理的で、さらには国という囲いを超えた考え方が必要なのだろう。

描写もすばらしい。
馬のあしらいや武士の立ち姿、動物のちょっとした動きなど
たった一行の表現でありありと情景が目に浮かび、まるでその場にいるような気持ちになる。


そうそう「バルサの食卓」という本も買ってしまった。
寒い、つらい、さびしい、悲しい、そんな場面で温かい食べ物が登場すると
読んでいるだけで胃袋からぽかっと温かくなったっけ。

上橋菜穂子「獣の奏者・探求編、完結編」・人は厄介な獣

2012-11-14 | 
上橋さんのファンタジーは奥が深い。
「狐笛のかたな」「精霊の守り人」「闇の守り人」ですごい人だなあと思い、「獣の奏者」では「闘蛇編」「王獣編」は講談社文庫の表紙絵もすばらしく、読み終えてその絵をみると闘蛇と王獣への愛着が湧き想像が広がった。

最近、あの時の絵に再び出会った。それが「獣の奏者・探求編」と「獣の奏者・完結編」。
「あれ、完結してなかったのかー」と戸惑ったけど、またエリンにあえるうれしさのほうが勝った。

この2編は、まさに探求し続けてやっと完結したという感じがする、一層奥深い内容です。

生き物(闘蛇と王獣)を武器として操るという、人間のエゴ。
自然とかけ離れた手の加え方をすることがどんな無残な結果をもたらすのか。
愚かにも人間は、行き着くところまで行ってみないと懲りない。
そして惨い過去を忘れてまた繰り返す。

だけどエリンは、
あえて行き着くところまで追求し、この大いなる愚かさ、惨さを
隠さず後世に伝えていくことこそが、人を少しでも幸福へと導くことにつながると
信じて進む。もちろん、それしか選択肢のないギリギリの人生を歩まされてのことだ。

そんな壮大な内容を、
王獣を使いこなせるようになってしまった女性エリンと慎ましいその家族の
切ないさまざまな事件を通して物語が進む。

現実においても、
人は今も戦いをやめない。武器開発もやめようとしない。
たとえば日本は原爆被害にあったのに原発開発をやめない。
「獣」は実は「人間」でありしかも相当に厄介な獣だ。
それを奏ずるのは容易なことではないなあ。

小川糸著「つるかめ助産院」覚書・自然と共にある命

2012-09-06 | 
小川糸さんと言えば「食堂かたつむり」で食べることと生きることのつながりに涙するほど感動した。
その小川さんが産むことを題材にしたとなれば、面白いにきまっている。
案の定、自然豊かな南の島の助産院を舞台とした物語は最高でした。

妊娠し十月十日を過ごし、最後はのたうって獣のように叫んで子を生み落とす。
臨月を迎えた胎児に母親のおなかも内臓もパツンパツンに引っ張られて
母親の体は胎児にとってまるで着ぐるみに過ぎないという表現はものすごい。

その妊娠過程において主人公「まりあ」は、助産院や島の人々に支えられながら
捨て子だった自分を考える、突然いなくなった夫や養父母のことを丁寧に考える。
そしてこれからの人生に自信を見出す。

胎児が徐々に大きくなり母体も変化していく、生命のパワーを知るほどに
逆に今、自分が生まれて生きていることがものすごいことだと気づかされた。



NHK総合テレビのドラマも始まったのですね(8月28日スタート)
だけど、小川糸さんの海や空の表現の素晴らしさをぜひ読んで感じてほしいです。
自然の豊かさとこれに同調する女性の生理。
今都会の生活は夜も遅くまで起きていて、潮の満ち引きに同調することができないとか、粗食にすれば胎児が必要な分だけきちんと母乳がつくられるとか、女性として生きる知恵がたっぷり書き込まれているので、妊娠したら、これから妊娠したい人も、もう産まない人も、女性ならだれでもぜひ読んでほしい。

小川 糸 1973年山形県出身


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冲方丁著「天地明察」覚書・男の生き方

2012-08-25 | 
冲方丁(うぶかたとう)さんの作品は初めてですが、
先日の旅行で満天の星空を見たとき次に読むのはこれにしようと決めたのです。

日本全国津々浦々を回りながらの北極星観測(北極出地)と難解な算術により天の理を解明していく。
膨大な資料と格闘しながら現行の歴よりも正確な大和歴を確立した渋川春海(安井算哲)の物語。

何度も窮地に立たされながら、少しずつ「明察」に近づいていく過程は何十年にもおよぶ。
その間に出会う有能な囲碁打ち、算術家、神道家、政治家、妻となる女性。
政界や世論の動かし方は囲碁の勝負のように何手も先を読みながら動かしていくもののようで、
今の総理のまわりにこんな有能な人材がいればなあ・・・

それにしても「歴」がこんなにも人の生活に関連しているとは思いもかけなかった。
今日が宇宙から見れば二日ずれているといわれても、だからどんな問題があるのか
意識したことがなかったが、この物語を読むと人の生活は宇宙の流れとともにあることを確信する。

誤謬(ごびゆう)という単語を初めて知った。
日常の中ではめったに使わない言葉だが、
Wikipediaの説明を読むと、この物語のストーリーと重なってわくわくする。

(保科正之が埋葬された会津の土津神社(はにつじんじゃ)、知っていれば寄れたところに先日宿をとったのでした)

9月15日には映画が上映されます
今年は金環日食やら月食やらと天体ショーで盛り上がっているので旬な作品では。

冲方丁:1977年2月岐阜県生まれ
ペンネームの由来:暦の用語を並べたもの。生まれたのが1977年(丁巳)で、「丁」は火が爆ぜるという意味だったので、それに対して「冲」(氷が割れる音を意味する言葉)を持ってきた。「方」は職業の意。冷静さと熱意、それを職業にしていくという意味がある(by Wikipedia)

窪美澄著「晴天の迷いクジラ」覚書・他人でも

2012-07-31 | 
この本の著者窪美澄さんが今年の4月の読売新聞「本よみうり堂」に顔写真とともに
紹介され、その記事の中の見慣れた漢方の写真にすぐ目が釘付けになった。
窪さんの「お気に入り」★漢方薬 婦宝当帰膠、紅沙棘、だって。
へ~、さっそく切り抜いて保存したっけ。

で、最近ぶらっと本屋に入って立ち止まったら、
そっと呼びかけるようにこの本が私の足元にあるじゃない。
ああもう・・と中を開くことなく買ってしまった。
帰宅しておもむろに本を開くと1ページの見出しが「ソラナックスルボックス」
おお、これも薬剤師ならおなじみの名前だ。ふ~む、うつの話か?・・・



世話好きの母親の偏愛にあぶれた次男坊の由人、
生んだ赤ん坊を愛せず逃げた野々花、
一人目を急病で亡くした経験から異常に神経質な母に束縛され自傷癖がついてしまった正子、

まったく関連のない3人それぞれの話に登場する父親の影はごく薄く、
やっぱり家庭は母親のものなのだなあと思う。
だが女たちはどうしてこうも偏屈に曲がってしまうのか。
そう考えながらも、あるあると納得している自分はやはり女であると変な次元で納得させられる。

うまくいかない環境で生きるうち、どうにもならなくなって自殺を考えたのに
なぜか他人を救おうとしてしまう妙な心理。
そんな3人が、迷い込んだクジラを見ながら過ごす時間、交わす不器用な会話。

南の港町、湾に迷い込んだクジラは耳が聞こえないのか泳いで行く方向がわからない。
何日も湾の浅瀬でしだいに体力を失っていく。
だけどクジラもこんな3人を見ていたら救いたくなったのかなあ。
生きていくのは難しいけどこんな他人がいるから生きていきたいと思う。

窪美澄 1965年東京都稲城市生まれ

梨木香歩著「雪と珊瑚と」覚書

2012-07-13 | 
とても女性的な内容です。
主人公は、珊瑚という名の若いシングルマザーだが、
物語の中にいろんなタイプの女性が登場し、助け合ったり、非難したり。
人とかかわりながら、一人一人が自分の居場所を探し求める人生を
梨木さんらしい細やかな感受性で描き出していて、気づかされることが多い。



珊瑚は、幼子(雪)を抱えたシングルマザーゆえに気を張って
人に頼らずに生きていこうとするが、結局誰かの手を借りなければならない。
その様子を他人が見ると、わざと人の憐みを受けようとしていると非難されてしまうこともある。
珊瑚のことを非難する女性からの手紙は痛烈だった。
が、私の中にもそう感じるところがあるかもしれない。
だが、珊瑚という女性を知るほどに、役に立ちたいと思う。
登場人物のいろいろが私の中に全部ある。その比重が人によって異なるのだろう。
そこに様々な世間の目とかプライドとかややこしい壁ができてくる。

「年上として気が付くべきでした」というくららの言葉は、
年長になるにつれて若い人に対する広い責任を負うことを同感する。

珊瑚の目いっぱいの毎日の中、やっと離乳食が始まった雪は
しばしばふっと驚くような成長を見せて幸せな気持ちになる。

新鮮な野菜、様々なハーブ、野菜料理のレシピ、あれこれたくさん登場して
作りながら食べながら物語は進む。
何を材料にするか、どんな料理を食べるか、
だれと食べるか、どんな場所で食べるか・・・食べるってやっぱり大切だ。

人はそれぞれ異なる気配(けはい)を持っている。
人に纏う酵母が異なり、その結果、その時々で発酵の仕上がりが異なるというくだりは『沼地のある森を抜けて』を思い出させた。

高野和明著「K.Nの悲劇」妊娠中絶に母性が狂う

2012-06-14 | 
高野和明と言えば「ジェノサイド」 あの作品のインパクトは強烈でした。

というわけで迷わず購入したこの作品、妊娠中絶問題から始まって驚いた。

妊娠中絶や不妊に伴う女性の激しいストレス。
その症状は婦人科だけに納まらず、精神神経科の医師をも翻弄する。
多重人格(憑依)、うつ病、その先は自殺や他人を傷つける事件へつながることも。



K.Nとは患者の頭文字。夏樹果波という妊娠が判明した若い女性。

しかし妻の収入さえもあてにする生活なにの豪華なマンションを購入したばかりの夫は中絶を決める。マンションを選択した夫に強い不満を感じたはずなのに、果波は言い返さない・・・
そんな彼女は、中絶手続きをしたころから、自分の中に誰かがいるといい始める。

「私が誰だかわかる?」
扉の向こうにそう声がする。扉を開けても誰の姿もない。夫は震撼する。

憑依現象の描写がすごくこわい
寝際に読む私は、部屋の灯りを消した途端、中村久美の亡霊が現れそうでドキドキした。

そしてその答えは、物語のずっと後にでてくる
「私はこのおなかの中にいる赤ちゃんの母親なの」
泣けた

女性のサガともいえる強い母性本能は、
大量の医学知識をもってしても分析しきれず、
男は頭で愛していると解釈しながら結局は性欲だけで、女にすべての負担を負わせているというようなことを書いた著者は、きっと男の想像域を超える母性本能を畏れる気持ちだったのだろうと思う。

それにしても、この物語に出てきた中絶の数字、年間34万人。
保健所で処分される犬猫よりも多く、中絶胎児を人間と認められれば、日本人の死亡原因のトップは人工妊娠中絶になるという。
それだけたくさんの激しい母性の苦しみが存在しているということになる・・・

高野和明 1964年10月生まれ 小説『13階段』を第四十七回江戸川乱歩賞

貴志祐介著「新世界より」覚書

2012-06-05 | 
「新世界より」、この題名と表紙絵を見た時、
ふっと小学校の下校時に流れるドボルザークの曲と一緒になつかしい景色が浮かんだ。


この物語の場所は1000年後の日本の神栖66町。純真無垢な子供たちが教育を受ける過程で神の力呪力を獲得するという。
利根川や霞ケ浦も登場して、豊かな自然に包まれた穏やかな町のようだが
その周りはしめ縄で仕切られ、その外には穢れた魑魅魍魎のような生き物たちがうごめいているという。

1000年の間に人間は殺戮を繰り返して日本も人口が極端に減り、
結局、自然回帰した生活を選んだようだが、しめ縄の外側にうごめく生き物たちに
底知れぬ不安と疑問が湧く。
なぜ、そんな生き物が住むようになったのか。
1000年の間に人間はいったい何をしたのか?

上中下それぞれが400ページを超える長編だけど、読めば読むほど謎が湧き読書が加速する。
そして最後は、ああやっぱり・・・人間ってどこまで罪深いのだろう。

それにしてもこの異空間、よくぞこんなに詳細に想像したものだと感嘆する。
この物語を読んでいる間は、頭の中で現実の生活と切り離すのが難しい。
おにぎりを「鬼、斬り」とか想像してしまうCMの気持ちがわかる

アニメ化されるそうですが(テレビ朝日)、大人にとっても見ごたえがあるんじゃないでしょうか。

ちなみに大野智主演のドラマ密室事件の謎解き「鍵のかかった部屋」は彼の作品

貴志祐介 1959年  大阪府出身

桜庭一樹著「GOSICK」謎解きの楽しさと純愛

2012-04-14 | 
たまたま手にした1冊から止まらなくなってしまった桜庭一樹の事件の謎解き物シリーズ。

GOSICK (ゴシック)
GOSICK II -ゴシック・その罪は名もなき-
GOSICK III -ゴシック・青い薔薇の下で-
GOSICK IV -ゴシック・愚者を代弁せよ-
GOSICKs -ゴシックエス・春来たる死神-
GOSICK V -ゴシック・ベルゼブブの頭蓋-
GOSICKs II -ゴシックエス・夏から遠ざかる列車-
GOSICK VI -ゴシック・仮面舞踏会の夜-
GOSICKs III -ゴシックエス・秋の花の思い出-
GOSICK VII -ゴシック・薔薇色の人生-
GOSICKs IV -ゴシックエス・冬のサクリファイス-
GOSICK VIII 上 -ゴシック・神々の黄昏-
GOSICK VIII 下 -ゴシック・神々の黄昏-

ついに読破してしまった・・・・終わってしまったさみしさ。

読み始めは先が知りたくて、盛んに読み急いだのに、
残り少なくなるとこの二人の新しいエピソードに出会えなくなるのがさびしくてたまらない。

前半、幼さのあった久城がやがて大人のたくましさを身に着け、
一方、恐ろしく頭脳明晰であるのにその残酷な生い立ちゆえに
「愛」を理解できなかったあのヴィクトリカが最後には、久城のために未来に向かって生きたいという。
最後のVIIIでは、あの桜庭一樹のダイナミックさがさえわたり本領発揮といった感じがした。
胸が熱くなって涙があふれた。

アニメにもなっているようですが、私の中の久城とヴィクトリカのイメージは崩したくないなあ。

桜庭一樹著「赤朽葉家の伝説」覚書

2012-02-17 | 

祖母、母、わたし、女三代の生きざまを描いた作品。
戦後から高度成長期そして失速気味の(?)現代という時代の流れをつぶさにとらえている。
それぞれの時代を生きる女たちのパワーがものすごい。

男たちの働き方の時代変化もおもしろい。
職人(たたら製鉄)の腕一本の時代から工場(鉄鋼製鉄)の機械と格闘する時代へ
そして女性漫画家のマネージャーとして暮らす男。

時のうねりにもまれながら人は否応なしに生き方を選ばされているのかもしれない。

桜庭一樹は時代の描写がとても男性的で
それなのに女性的な感じがすると思ったら、著者は女性でした。


桜庭 一樹(さくらば かずき、1971年7月26日 - )島根県出身

たまたま彼女の作品「GOSICK」に手を出したらシリーズもので
子供向けかと思ったのにヴィクトリカと久城の純愛にだんだんはまってしまった。
10冊くらいあるらしく、今まだ6冊目。
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梨木香歩著「f 植物園の巣穴」覚書

2011-11-15 | 
ブックオフで偶然見つけてしまった。
美しい表紙、植物、梨木香歩、文句なしのお気に入りトライアングルや~。
敬愛する梨木さん、半額で買うけどごめんなさい。


久しぶりに味わう梨木ワールドの異空間。
いったいどこからが、椋(ムク)の木の「巣穴」に落ちた話なのか判然としないまま、
頭の中では不思議の国のアリスのようにさまよう。
そして最後に「あの千代」登場の「現実」にあっと驚いた。
やられた。
すぐさま最初からまた読み直した。
weblio辞書より「犬雁足」

「男ってのはねえ」

「これに(オオバコの葉)死んだカエルを包むと本当に生き返るのですか」

「一般常識!一般常識!」

初読ではただ不思議で意味不明だった妙な会話内容が、読み返してみると、
込められた深い意味とその痛さが沁みる。
weblio辞書より「月下香」

芋虫がさなぎとなりやがて蝶に至る変態の描写は驚きに満ちている。
そして巣穴に落ちた彼は、幼いころへと「逆行の変態」を遂げながら、
「未来のために」と封じ込めたつもりの悲しい記憶を思い出す。

辛い思い出を無理やり消し去って都合のいい記憶に変えてしまっている
ことってあるのかもしれない。
その都合のいい記憶の仕方が「男ってのはねえ」という千代の言葉につながる。
しかし真実の記憶に向かい合い受け入れなければ、未来へは進めないのかもしれない。
weblio辞書より「ムジナモ」貉のシッポみたいな食虫植物
不思議なカエル小僧に、父親として命名したシーンは涙がでた。

2度3度読み返したい。
梨木さんの本は何度読み返しても飽きない。
声を出して読みたくなる。
次々と登場する植物の姿を知っているとイメージのふくらみが倍増する。

梨木香歩 1959年鹿児島生まれ 

高野和明著「ジェノサイド」覚書

2011-10-21 | 
読みました「ジェノサイド」。
ジェノサイドとは大量虐殺(人種、民族、国家、宗教などの構成員を抹殺する行為)を意味する。
現生人類には殺戮行為が絶えないという命題についてダイナミックに展開した物語。


好戦的なアメリカ大統領とブレインたちのペンタゴンでの企て、
父親の遺志を継いで遺伝子的な難病の特効薬開発に心血を注ぐひとりの薬学生、
そしてアフリカのピグミー族に生まれた進化した人種。
アメリカ、日本、アフリカと三つの場面が入れ替わり立ち代わりに絡み合って高揚する。

『ヒトという動物の脳が生まれながらにして、異質な存在を見分け、警戒するようになっている』
その習性が、かつて脳の大きさでは勝っていたネアンデルタール人を滅亡させたのではないか。

考えられないほど頭脳明晰な、進化したヒト(3歳の子供)の登場と、抹殺の企てを進める政治的権力者の話とで、読むものに本能的な危機感を呼び覚ます。
自分にとって害になるものを排除するという残虐な本能が。

そんな中にも著者は、戦争の残酷さや、難病に苦しむ患者を目にした薬学生のまっすぐな思い、そして3歳の子供への父親的感情をリアルに描くことによって、現生人類の理性とか良心とか愛とかの存在をあらわしている。
そしてエピローグでは、60数億人という個体数の多さを指摘して、悪より善のほうがわずかに上回り「助け合うヒト」としての面目を保っている、と書いている。

物語に登場するハイズマン・レポートのようなことをかつて学生のときに教えられた記憶がある。久しぶりにそんな危機感を思い出しました。
殺戮を行うほどの勇気は毛頭ないけど、確かに自分の中には口にできないような残酷さはあるなあ。
できることなら次世代の、神により近いという人類と仲良くしてみたい。いやいや現代のチンパンジーと人間ほどの差が生じたとしたら無理だな、やっぱり。
ところでこの記事にはたぶん禁止用語がいっぱいあると思うけど大丈夫かしらねえ。


高野和明 1964年10月生まれ ジェノサイドは2011年直木賞候補作品
(直木賞を獲得したのは「下町ロケット」だった)
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水野敬也著「夢をかなえるゾウ」覚書・夢は人に喜びを与えるもの

2011-09-24 | 
このところ本を読んでもその感想を書き留めておこうという気にならない。
暗い内容だとなおさらだ。
たぶんあの大地震以来の漠然としたストレスで、気持ちに余裕がないのだろうと思う。
機嫌がいいときじゃなきゃ、お気楽に意見を言えないものなのかもしれない。

というわけで、ぱーっと明るい本を読むことにしました。

この物語、すごーく昔にテレビ(一編もの)で見て、結構入り込んでしまった覚えがある。
(調べてみたら2008/10だったそう。もっと昔だったような気がするけど)
ゾウの神様ガネーシャの顔はおぼえているけど、
主人公の青年、だれだったかな~~。
なかなかイケメンで「おっ」と思った覚えがあるのに、顔が思い出せない。
なんと、もったいないことだ。

で、ネットを調べてみたら、おお!あるじゃないネット文明は本当にベンリ!
「夢をかなえるゾウ」公式サイト
しかもウィキペディアに詳細な内容まで書かれている

ガネーシャによる「最後の課題」をじっくり読んだら、
なんか、いい歳になってしまった私でも夢に向かってやってみようかな、と幸せな気持ちになってしまった。

(いかん、この幸福感はハウツーものを読んで失敗する典型的なパターンで
 ガネーシャによれば「感情の借金」、つまり夢が叶ったわけでもないのに
 成功した気分になって、後で挫折して落ち込むという・・・)

究極、夢=愛 自分の「夢」が人に喜んでもらえるものすなわち「愛」ならば必ずや成功する。

人に喜びを与える夢、描いてみたい。その夢に向かって邁進したい。

水野敬也ブログ「ウケる日記
このブログを読むと、水野はまさにこの物語の青年そのもので、いまだに葛藤し続けていて、いとおしい。

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吉田修一「パーク・ライフ」覚書

2011-08-04 | 
吉田修一~、だれ~?
なんて思いながらも「パーク・ライフ」っていう軽るすぎる感じの題名に逆に興味をそそられた本。

ちょっと地味な感じだけどきにかかる黄色の装丁。それに芥川賞受賞作品って書いてあった。

著者紹介を読めば、なんと映画で話題になった「悪人」の著者でありました。

日比谷公園での一見何でもない出来事。
ふだんほとんど意識せずに通り過ぎてしまう情景を
な~るほどーと共感できる言葉で描いてくれている。
そして、そのいちいちにちょっとした驚きがある。
あるあると身近に感じるというか、妙にそそられるというか、希望をもってしまうというか・・・
たとえば、地下鉄の通路で、
「まっすぐに延びる地下通路の天井は低く、歩けば歩くほど自分の身長が縮んでいくように思える」とか。

そしてこの物語の登場人物の多くが自分の家に根をおろしていない状態なのだ。
「ぼく」は別居中の宇田川夫妻のペットの面倒を見るという口実で宇田川家に住まい、
宇田川夫婦はその家に帰ろうとせず、「ぼく」のアパートでは
母親が田舎から気分転換に上京してきて気ままに使っている。

外側だけが個人のもので中身は借り物みたいな想像をさせる臓器移植ネットワークの広告コメント。
内臓の詰まっていないように見えた人体模型。

形はあるのに、そこに「意志」を埋め込むことができない、
いまいち足が地につかない日常のふわふわした不安感を感じてどうしたらいいのかわからないけど、
それでもどこか他へ飛んでってしまわない、温かいつながりとでも言いましょうか、
そんなことに心がぽっと温かくなった。

吉田修一:1968年 長崎生まれ

太田靖之「産声が消えていく」覚書・産科は断末魔

2011-06-22 | 
『医師不足、過重労働、理不尽な訴訟.....
 聞こえるのは現場の悲鳴か、断末魔か?
 ここに描かれたことは、日本の医療の現実である!
 志を抱き奮闘する現役医師が描いた、衝撃の医療小説!』  なんだそうです。


なんせ作者は産婦人科医ですから、その現実味はもう大変です。
数々のお産現場の表現はとてもリアルで、異常分娩ともなれば
もう血まみれで、悪いけど読んでいるだけで吐き気がするほど、とんでもない戦場です。

いまや医療技術の進歩により、お産によるトラブルはすごく少なくなり
その分、お産で事故にあうなんて医療ミスでしかありえないと思われてしまうけど、
昔と変わらず、無事に産まれるって本当に紙一重のところを渡ってくるんだなあと思う。

そして大問題なのは、産科の「前線」はこの上なく「劣悪」だということ。
医師も看護師も助産師も四六時中休みなしに等しい。
それでも人出が足りない。
この緊張感の中、燃え尽きて精神を病む医師さえいるそう。
あげくに理不尽な訴訟で訴えられれば、まさに踏んだり蹴ったりで、
この先、産科を目指す医師なんて育たないんじゃないかと思う。
民主党さん野党さん、一刻も早く対策をお願いします。

小説として相当面白いですが、この血まみれ現場を「直視」するのは結構大変かも。
だけど、それで産みたくないなんて思わないでほしいなあ。
産むという本能はどんな難関をも乗り越える神聖な事柄でしょうから。


太田靖之1961年 東京生まれ。
     83年 琉球大学卒業後、サルベージ会社勤務を経て、
     87年 フィリピンの医科大学に入学。
     92年 フィリピン共和国医師国家試験に合格。
     94年 アメリカ合衆国医師国家試験に合格。
     その後、帰国。
     名古屋徳洲会総合病院 産科医長を経て、
     現在はフリーの産科医
     (太田靖之オフィシャルサイトより)