上橋さんのファンタジーは奥が深い。
「狐笛のかたな」「精霊の守り人」「闇の守り人」ですごい人だなあと思い、「獣の奏者」では「闘蛇編」「王獣編」は講談社文庫の表紙絵もすばらしく、読み終えてその絵をみると闘蛇と王獣への愛着が湧き想像が広がった。
最近、あの時の絵に再び出会った。それが「獣の奏者・探求編」と「獣の奏者・完結編」。
「あれ、完結してなかったのかー」と戸惑ったけど、またエリンにあえるうれしさのほうが勝った。


この2編は、まさに探求し続けてやっと完結したという感じがする、一層奥深い内容です。
生き物(闘蛇と王獣)を武器として操るという、人間のエゴ。
自然とかけ離れた手の加え方をすることがどんな無残な結果をもたらすのか。
愚かにも人間は、行き着くところまで行ってみないと懲りない。
そして惨い過去を忘れてまた繰り返す。
だけどエリンは、
あえて行き着くところまで追求し、この大いなる愚かさ、惨さを
隠さず後世に伝えていくことこそが、人を少しでも幸福へと導くことにつながると
信じて進む。もちろん、それしか選択肢のないギリギリの人生を歩まされてのことだ。
そんな壮大な内容を、
王獣を使いこなせるようになってしまった女性エリンと慎ましいその家族の
切ないさまざまな事件を通して物語が進む。
現実においても、
人は今も戦いをやめない。武器開発もやめようとしない。
たとえば日本は原爆被害にあったのに原発開発をやめない。
「獣」は実は「人間」でありしかも相当に厄介な獣だ。
それを奏ずるのは容易なことではないなあ。
「狐笛のかたな」「精霊の守り人」「闇の守り人」ですごい人だなあと思い、「獣の奏者」では「闘蛇編」「王獣編」は講談社文庫の表紙絵もすばらしく、読み終えてその絵をみると闘蛇と王獣への愛着が湧き想像が広がった。
最近、あの時の絵に再び出会った。それが「獣の奏者・探求編」と「獣の奏者・完結編」。
「あれ、完結してなかったのかー」と戸惑ったけど、またエリンにあえるうれしさのほうが勝った。


この2編は、まさに探求し続けてやっと完結したという感じがする、一層奥深い内容です。
生き物(闘蛇と王獣)を武器として操るという、人間のエゴ。
自然とかけ離れた手の加え方をすることがどんな無残な結果をもたらすのか。
愚かにも人間は、行き着くところまで行ってみないと懲りない。
そして惨い過去を忘れてまた繰り返す。
だけどエリンは、
あえて行き着くところまで追求し、この大いなる愚かさ、惨さを
隠さず後世に伝えていくことこそが、人を少しでも幸福へと導くことにつながると
信じて進む。もちろん、それしか選択肢のないギリギリの人生を歩まされてのことだ。
そんな壮大な内容を、
王獣を使いこなせるようになってしまった女性エリンと慎ましいその家族の
切ないさまざまな事件を通して物語が進む。
現実においても、
人は今も戦いをやめない。武器開発もやめようとしない。
たとえば日本は原爆被害にあったのに原発開発をやめない。
「獣」は実は「人間」でありしかも相当に厄介な獣だ。
それを奏ずるのは容易なことではないなあ。
コメント欄が変わったのですね。
上橋菜穂子さんは人から勧められて、まだ「守り人」シリーズの途中までしか読んでないのですが。
児童文学でファンタジー?と期待しないで読み始めたのですが、架空の時代の架空の国の生活がとてもリアリティがあって、すっかり虜になりました。
作者が文化人類学の人と知って納得。
子どもの本の主人公がもはや若くない女性で、用心棒っていうのも新鮮でした。
「獣の奏者」は未読ですが、このブログを見て、ぜひ読んでみようと思いました。
ほんとにやくさんのコメント、考えさせられます。
この2冊に出会って、再び読み進めているところです。
秋は想像力が増す季節でしょうか。かなり浸り込んでいます。
この2冊はエリンが30代に成長し子供もいて、
命を懸けた厳しい状況の中での、夫子供との接し方には涙が出ました。もう子供向け物語ではありませんね。
とうとう選挙に突入。
世界中が不安定なんでしょうか。どうにも抗えない流の中、
それでも、これは違うってのは見極めたいですね。