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漢方薬剤師の日々・自然の恵みと共に

漢方家ファインエンドー薬局(千葉県)
http://kampo.no.coocan.jp/

梨木香歩さんの講演会

2013-10-25 | 
先日、作家の梨木香歩さんの講演会に参加することができた。
個人的にはもっとも敬愛している作家のひとりだし、
とにかく顔写真を出さない人なので、拝顔できるだけでも私にとっては大事件。

だけど講演会って、教えていただくとか、お説教を聞くとか、
そんなのしか経験がなくて、作家の講演会ってどんなんだろうと、
不安と興味が交錯してましたが、
とりとめのないようだけど、まったりした楽しい空間、
親しい友達の話を聞いてるみたいでした。

梨木さんは自然体で親しみのある女性で、
小学校のころあんな友達がいたような気がする懐かしみもある人。


講演会のテキストは、鳥の写真とそれにまつわる梨木さんの作品の文章が。

30分もかけて梨木さんが朗読を聞かせてくれて、
すっかり想像の世界に入り込んでしまった。

梨木香歩と言えば映画化された「西の魔女が死んだ」が有名だけど、
圧倒的に「家守綺譚」が好き。
そして「f-植物園の巣穴」や「水辺にて」「鳥と雲と薬草袋」などは
動植物がどっさり登場して、図鑑を横に置いて読みたいくらい。
文章のなめらかさ、美しさはピカイチ。

山本文緒著「アカペラ」美しい心と生々しさ

2013-08-31 | 
「アカペラ」「ソリチュード」「ネロリ」の中編3編。

どれも複雑な人間関係の中にあって、上手に立ち回ろうとするのに結果がうまく出ない。
だけど、その誠心誠意の思いに美しさを感じる。
一方でやけに生々しい感じもあり、さらにどんでん返しというか、
あっと驚かされたりもして、山本文緒さんうまいと思う。


「アカペラ」
認知症がかっている祖父と孫の女の子と、家出してしまう母親。
「ソリチュード」
中学生の頃いとこ同士の恋愛に反対され故郷(千葉)を離れて東京で暮らしていた男が
父親の四十九日で戻ってきた。
「ネロリ」
40代の姉弟が肩を寄せ合うように暮らすところに若い女性、心温(ここあ)がやってきた。


山本文緒:(やまもと ふみお)1962年女性 神奈川県横浜市生まれ。
昔(2001年)「プラナリア」という作品が話題になった。(直木賞)
ああ、と思い出したがたぶん読んでいない。

森見登美彦著「宵山万華鏡」不思議な連なり

2013-08-26 | 
森見登美彦といえば、
破天荒な狸または天狗または狐でもついてるのか超怪しい人物たちin京都物語

表紙が万華鏡のようにキラキラする

この「宵山万華鏡」は6編の短編
その第一編で、おや狸も狐もなし?と思ったけど、
さすが森見さん、そんなにそっけなくおさまることはなかったです。

京都宵山の夕暮れから夜の独特な空間に湧き出てきた物語
各編に同じ人物や関係する人物が視点を変えて登場し、
それぞれ独立した物語なのに奇妙につながって、
すっかり宵山の怪しい世界に取り込まれてしまった。

森見さんの文章は読みだすと止まらない。
狸はきっと森見さんだ。

ハチャメチャな「有頂天家族」面白かった。

森見戸登美彦 1979年 奈良県生駒出身

窪美澄著「ふがいない僕は空を見た」人の性(せい、さが)

2013-08-21 | 
窪美澄さんと言えば、漢方の婦宝当帰膠と紅沙棘をのんでいると新聞で紹介された作家で
「晴天の迷いクジラ」は印象深く、興味を持った女性作家。

そして「ふがいない僕は空を見た」
やっぱり窪さんはすごいです。おもしろかったですーー。

おお!官能小説ーっとびっくりわくわく読み始めたら(女性による女性のためのR-18)、
それは話の序の口で、というかそれも大切なんだけど、
性癖、認知症、いじめ、尾ひれがつく容赦のない人のうわさ、親の離婚や家出、
結婚、姑問題、そして不妊治療、助産婦問題と
ガンガンいろんな問題が押し寄せてくる。

そしてそんな荒波の中、何度もなさけない場面に曝されながらも耐えているのは、
健気な若者たちだ。

雌雄ある生き物は、
雌は一生分の卵子を抱えて生まれ、雄は精子を振りまくように造られてこの世にやってくる。
だけど人間として生きようとすれば、そのことが「やっかいなもの」に
なってしまうことが往々にしてある。
その苦悩の中にあって若者たちは、それでも直観で人としての道を選んでいるように感じた。

最後の章「花粉・受粉」、さんざんつらい目にあってきた助産婦は、
厳しい自然淘汰の末に、天の月の周期導かれて、
このやっかいな人間社会に生まれ出ようとする小さな命を、
大喜びで迎えてやりたいと思う。

人間であるが故の矛盾でいっぱいの社会の「あるがまま」に、
胸がいっぱいになり、それでもいいんだ、かっこ悪くてもいいんだと希望が湧く作品。

ミクマリ
世界ヲ覆ウ蜘蛛ノ糸
2035年のオーガズム
セイタカアワダチソウの空
花粉・受粉

窪美澄 1965年 東京都稲城市生まれ

山本兼一著「利休にたずねよ」・自己美を追い求めた

2013-08-02 | 
近々映画化されるとあって読んでみた。

歴史小説はあまり読まない。もともと歴史音痴だし、
本屋の文庫本コーナーの歴史小説棚に行くとなぜか男性しかも中高年(かな?)が多いから。
それに、宮部みゆきや畠中恵も歴史物だけど、圧倒的に著者は男性。
したがって、物語の視点が男性目線(と思い込んでいる)

で、この「利休にたずねよ」、
当然男性目線、だけど面白いです。
政治の表裏の現場では男たちは絶えず値踏みされていてストレス多いですね。
だけどこうやって歴史や文化って作られていくんだなあ。

利休はその美学を押し通して高い地位につき、茶の道を造ったのだから
彼は、商才もある天才で、そりゃ男たちのねたみを買うしかないわなあ。
それにしても、そんな世界に次々と入り込んでしまう男たちは、これ性分でしょうか。
骨董趣味も圧倒的に男性が多いしね。

木槿(ムクゲ)の花が男性の憧れ(女性)として印象的に描かれています。
だけど利休はあの女性に、人として愛情を持ったのではないと思うなあ。
これ女性目線。

山本兼一:1956年(昭和31)京都市生まれ。

三浦しをん著「神去なあなあ日常」林業の驚き

2013-07-27 | 
「舟を編む」おもしろいけど、若者向き?とか多少反感を感じながらも
結局、このところ三浦しをんに少々はまっている。



三浦しをんさん自身が、林業という自然を相手にする仕事を取材して
林業のあれこれに心から感動しているのが直球で伝わってくる。

何十年、何百年前から山をいつくしんできたからこそある今日の恩恵、
そして未来の何十年、何百年後へ向かっての丁寧な仕事。

自然の時間はとても大きく、人の命は短い。
だから自然の一瞬に確かに関わっていると感じられる仕事ってすごい。
いまさらできないけどちょっとうらやましく思った林業。

三浦しをん著「まほろ駅前多田便利軒」愛おしい

2013-07-25 | 
ひょうひょうとしていて破滅的、気が気じゃなくてほっておけない、
気づいたら人の心にちょんと座っているような男、行天。
映画みてないけど、読むだけでも、行天に役者を当てはめたら松田隆平だと思った。



便利屋を始めた多田のところに、同級生だった行天が転がり込む。
米澤穂信の「犬はどこだ」と同じような始まり。

多田も行天も、心にそれぞれの棘が刺さっていて抜けない。
刺さった棘が、人の行動を形作る。

親と子の愛情の形は皆違っていて、ひとつも満足な形はないのでしょうね。
だからこそ、新たな人間関係を求めて生きようとするのかもしれない。

「舟を編む」よりこっちのほうが好きだなあ。
まほろ駅前シリーズ、たぶん読むと思う。

三浦しをん著「舟を編む」・辞書を読みたくなった

2013-06-21 | 
映画化されたなら、そろそろ文庫本になるだろうと待っているのに、なかなかならない。
しびれを切らしてとうとう買ってしまった、三浦しをんの「舟を編む」

やけに地味な濃紺に銀色の字。
手に取ってみると、思いのほか軽く表紙がしなやかでめくりやすい。
ちょっと変わってるなー、この本。



寝ながら読むには、負担のない重さとしなやかさで
内心「いいねー」なんて思いながら読み進むと、
その中に登場する「大渡海」という辞書の表装のくだりがまさにこれだった。

思わず表紙をいたわるようにやさしくなでた。

辞書をつくるのは気が遠くなるほどの手間がかかってるんだなあ。

思い出したのだけど私が小学生のころ、
国語の授業で、初めて国語辞典をもってくるように言われたとき、
(たしか、小さ目の辞書を2,3社、指定されたと思う)
今は亡き母は、あの分厚い「広辞苑」を持っていけと言って引かず、
その重さと恥ずかしさに泣きそうになった。
だけど意に反して、先生はほめてくれたっけ。
そして授業中、小さい辞書に書いてある内容を拾いながら、
「広辞苑にはなんて書いてある?」と聞いてくれて、うれしくなった。

そんな経験があるのに、ここまで言葉にこだわりを持つように
ならなかったのはちょっと惜しいことをしたなあ。

三浦しをん1976年生まれ 2012年の本屋大賞「舟を編む」
初めて彼女の作品を読んだ。
文体の美しさを楽しむというより会話で物語が進む今風の文章。映画にしやすいかも。
本屋大賞の作品は確かに面白い。だけど選んでいる「本屋さん」の年齢が
ちょっと若いのかなと、いよいよ年齢ギャップを感じるようになったこの頃。

米澤穂信著「犬はどこだ」犬は探さないけどおもしろい

2013-06-11 | 
ジャンルは推理小説。
「the citadel of the weak」の訳は「弱者の砦」。
犬好きにとっては「犬はどこだ」の題名を見逃せなかったのだけど
内容は「弱者の砦」だった。



主人公は探偵社を立ち上げた。それも犬さがし限定。
どんなに面白い犬さがしの依頼が来るのかと思ったら、
初仕事は人探しと古書の由来を調べる仕事。

この2件は繋がりがあるのだが、中盤以降になってもなかなか繋がりそうで繋がってくれない。
そのもどかしさにちょっとイラつきながら、気が付けば必死に読み急いでいた。

しかしそんな安直な内容で遊ぶものではなく
実は、弱者と思われた逃亡者が、執拗に追ってくる男を罠にかけて仕留める
というおそろしい流れ。

ネット社会の恐ろしさ。読み解くほどに恐ろしい人の心理。
こんな渦に巻き込まれたくないなあ。

米澤 穂信(よねざわ ほのぶ、1978年 - )岐阜県出身
氷菓、心あたりのある者は、インシテミル、追想五断章、折れた竜骨、など多数
「ボトルネック」はぴんと来なかった覚えがあるけどまた読んでみたい。

とりのなん子著「とりぱん」

2013-05-22 | 
野鳥の話題がコミックで読める「とりぱん」
これで「アオゲラのポンちゃん」を知っていたおかげで、
先日の北海道で見事「ヤマゲラだりちゃん」を見つけることができたし。(だりちゃんは私が名づけた)

ブックオフで8冊大人買い(?)したっけ。
つい先日これを売りにいったら、ちょうど抜けていた5~8巻をゲットできた。
ここのブックオフには、少なくとももうひとり「とりぱんファン」がいるってことだ。
現在14巻まであるらしい。

そもそも、雑草好きだったので近所の自然観察会に参加したことがきっかけだった。
そのメンバーたちが双眼鏡を手に野鳥も観察していたのだ。

なんで飛んでるものがそんなにくっきり見分けられるのか、
そりゃあもうカルチャーショックだった。

そして猛禽類なんて遠い地の話だと思ってたら、
この辺りにも何種類もの猛禽類が平然と空を舞っていることを知ってしまうと
もういてもたってもいられなくなってしまった。

大好きな作家、梨木香歩さんは植物や鳥に詳しい人だが、
ますますその気持ちがわかる気がする。
そういや、沖縄にいくならカヌーに乗ろうと家族に提案したのは、
梨木さんの「水辺にて」を読んだせいでもあったなあ。
その中でも、ハラッと視野の隅にカワセミが横切るんだ。

今や野鳥観察会にも参加するわ、望遠レンズも買っちゃうわ、
散歩に出ても木とか空ばかり見ている。

ま、すでにいい年だし老い先短いし、
好きなことは逃さずやっておこうという気持ちは最近強くなっている。

梨木香歩著「渡りの足跡」ここではないどこかへ

2013-03-14 | 
梨木さんの「渡りの足跡」が今月、文庫版になった。
野鳥に凝り始めていた私にとってはこの上なく良いタイミングだ。

渡り鳥の移動範囲はすごい。
スズメより小さな体のマヒワやアオジそして愛嬌のあるジョウビタキさえ、とてつもない距離を移動する。
しかも、また日本に戻ってくるその場所は何丁目何番地まで正確にもどってくるそうだ。
だがその長旅の間には体力問題や天敵の危険などアクシデントは尽きない。命をかけた飛翔だ。
なのになぜ、渡るのか。



知床あたりでは、渡りの「港」のような場所があるらしい。空を渡る「港」だ。
人が知りえない、遠くの空へと風が吹くところ。

「さ、帰ろう」と思い立つとき、渡り鳥のその場所は、毎日慣れ親しんだ今日の場所ではなく
「ここではない、もっと違う場所へ」という衝動が生まれるのではないかと書かれてた。

冬鳥が去り、夏鳥がやってくる、春は移動の季節。
人も動物、なにか突き動かされるものを感じて、春を新しくスタートするのかもしれない。

近所で出会ったあの鳥たちは来年またここに無事戻ってきてくれるだろうか。

(梨木さんのヒヨドリの表現はさんざん過ぎて面白かった)

飛行機に乗って上昇するシーン。
どんどん変わる雲の種類を表現して、すっかり渡り鳥の目になっていた。
しばしば「○○から○○が見えてくるその鳥瞰図を想像してみてください」というくだり、
読んでいて思わず笑って相槌を打ちそうになる。
鳥の注釈がまた梨木さんらしくて楽しい。


梨木香歩:1959年生まれ 
「水辺にて」に次ぐネイチャーライティング作品2作目と解説の野田研一氏が書いていた。
梨木さんの動植物に関する知識は素晴らしい。そして人間もそんな自然の一部として考えようとする。それが梨木さんのネイチャーライティングだとしたら、「沼地のある森を抜けて」も微生物の有り様から命そのものの紡がれる形を考察する内容で、梨木さんらしいネイチャーライティングの究極ではないだろうか。


冲方丁著「光圀伝」・政治家の作り方

2013-03-05 | 
「abさんご」が音読したくなるのは口語の美しさであり、
言い回しの妙というか、それがひらがなのしたたかさなら、
「光圀伝」は漢字の豊富な情報伝達力のすごさを見せつけたって感じ。
漢字は一字ごとにたくさんの意味をあらわすことができ、
一を聞いて十を知れってとこで、ぐつぐつ説明する必要がない。
やっぱ男の文学かもしれません。

たとえば「美事である」と言うセリフ。
「みごとである」ならふ~んって感じだけど、この漢字だと、
行いがスマートでファンタスティックで、まったく美しくやり遂げたと絶賛する言葉だと感じる。


聞いたこともない四文字熟語もいっぱい登場して
できればいちいち辞書をひきたいけど、ストーリの面白さに先へ先へと行きたい。
もったいないことにすっ飛ばしてしまって、やっぱり読み終わった後に
記憶に残らず自分の語彙が増えていない・・・

「大義」。
その大義がその時代に本当に大義であるかどうか。
それをこんなにも追求し続け「泰平」の江戸時代を守り抜いたこの人物伝を読むと
思いつきで政治家になろうなんて思っちゃいけないなあと思ってしまった。

近所の梅。
水にされるはずだった光圀を生んだ女性谷久子が、その時に庭に種を植えたのが梅だったそう。
以来光圀は梅を大事にしている。

冲方丁(うぶかたとう)1977年、岐阜県生まれ 
自宅は福島県福島市にあるが、2011年3月11日に発生した東日本大震災により母と妹夫婦の住む北海道池田町に避難し、そのまま十勝地方に移住する意向である
by Wikipedia

黒田夏子著「abさんご」独とくでなつかしい

2013-02-12 | 
最高齢の芥川賞受賞で話題になった黒田夏子さんの作品。

「毬」「タミエの花」「虹」
タミエという少女に関する事柄のこの3章は、黒田さんが20代のころに書いた物語だそう。

タミエはたぶん小学生2,3年生くらいだろうか。
子供らしい天真爛漫というのではなくちょっとマイナーな性格のようだ。
おそらくそうならしめた決定的な出来事が「虹」で明らかにされる。

子供のころのストレートに残酷な発想とちょっとした失敗・・・
「虹」の最後であっと驚かされて、あわててまた初めから読み直してしまった。

大なり小なり子供のころ、記憶を消し去りたいほどのいやな体験があり、
子供らしく忘れ去っても、心の奥底の小さな棘はとれないみたい。
いやな体験を思い出したタミエはこれからどう生きていくんだろう。

「タミエの花」は雑草の花の名前がたくさん出てきて、
個人的にはタミエとすっかり同調してしまった。
ふとつぶやかれる植物の学名が、呪文のようにも祈りの言葉のようにも思われた。


その50年後に書かれたのが「abさんご」
実は本を手にしてまずこちらから読み始めたのだが
(この作品は横書き、上記は縦書きなので1冊で右開き左開きと読み始めることができ、
その結果、あとがきが「なかがき」となっている)
まるで古典のたとえば源氏物語みたいに、ひらがながなめらかに並んでいて、
どこで区切ればいいのか、面くらって後回しにしてしまった。
だけどタミエの事柄を読んだあとには黒田さんの世界に少しなじんで、
ずいぶん入りやすくなっていた。
それでも、この作品をとらえるには丁寧に読み解いて情景をイメージすることが必要。
(なんだか英文を和訳するような感じ。頭から並んだ順に理解していくのがいいのだろうけど)

戦後から数十年の日本の住まい方の変遷をありありと表現して
失われた風習への郷愁や、子供ながらに気を使いながらすり抜けてきた
ある意味たくましい生きざまなどが感じられ、
この表現型が、黒田さんの脳の中に在る「記憶の断片」そのままの形なのだろう。

理解できるところと、理解できないところがあって、
おそらく読む側の記憶や経験のあるなしでとらえられる範囲がずいぶん異なるだろうと思う。

黒田 夏子 1937年東京生まれ

田口ランディ著「サンカーラ・この世の断片をたぐりよせて」

2013-01-29 | 
かつてメールマガジンの帝王だった田口ランディさん、そのうち小説がヒットして当時読んだよね~。

そして久しぶりに本屋で出会ってしまった。
この表紙の危うい桜花と「どう生きればいいのでしょう」という田口さんらしい
ストレートな言葉に、もうドキッとした。


3.11直後の不安定な日本の中でのバタバタした気持ちを素直に表現している。

確かにあの時、何かしなければ、何か訴えなければ、それとも逃げるべきなのか、
そうやって焦ったけど、自分の経験値を大きく超える事象に、訳も分からず
ただバタバタしているという感じがした。結局何もできなかった。

彼女は、なぜか危ない事態に「呼ばれる」・・・
水俣、広島、そして原発。
そんな中にいてもがく彼女の言葉は建前も飾りもなくストレートだ。
余りにストレートで誤解のしようもなく、
自分も「本当はそう感じていた」と気づかされたような気持ちになる。

田口さんの生い立ちはヘビーで、それゆえの事象の選択の仕方、受け止め方があるのだろうと思う。
いまだにお兄さんの自死のダメージから抜け出せていない。
こんなにも、近しい人の自死は周りに大きな影響を与え続けるのだなあ・・・

私はと言えば、やっぱ生い立ちの違いか、あれこれの事象にのんきで、
申し訳ないほど他人事でスルーしている。
それでも戦争を経験した両親や祖父母の行動や言葉を時々ふっと思い出しては、
自分の場合はどう生きるべきなんだろうと思ったりする。
彼女ほど深刻に考えないけど。
できることなら、残酷なことをする人間を知らない離れ小島の小動物のように、
警戒心もなくのんきに生きたい、と思う。

有川浩著「旅猫レポート」絶対号泣

2012-12-24 | 
有川浩さんの作品は初めてで、てっきり「ひろし」男だと思っていたが、
検索したら女性の顔。えー、「ありかわ ひろ」さんだったのね。失礼しました。

書評を読んで購入し読み始め、どこでそんなに泣けるんだろう、
と首をかしげながら半分以上読み進んだら、前半のジャブがじわじわ効いてくるのです。

そして極めつけが、悟と辿ったいくつもの風景や出会った人々、
それをあの雄猫「ナナ」が滔々と・・・

あー、あまりにもストレート。条件そろいすぎでしょー。

くーっ ずるいよ、ずるいよ。
そんなにしたら涙を止めようがないよー。

昨日の日曜日、読書で大泣きしながらも時計を見れば競馬中継の時刻。
涙を拭いてTVをつけ有馬記念観戦。ゴールドシップの豪快な走りに大興奮。
感情の起伏が激しい一日でした。


わっははと笑ってストレス解消する方法があるけど、
ぐわーっと思いっきり泣いて解消する方法もあるよね。
後者をご希望の方は、ぜひこの本を。

有川 浩(ありかわ ひろ)1972年~ 高知県出身 ライトノベル 空飛ぶ広報室 三匹のおっさん、阪急電車など

追)