江戸糸あやつり人形

江戸時代から伝わる日本独自の糸あやつり人形。その魅力を広めるためブログを通して活動などを報告します。

喜劇

2010-11-19 22:55:34 | 日本の文化について
私は自分の芝居の中に、必ずどこかに「笑い」を求める。
それは芝居に対する考えがあってとか言うものではなく、
多分性(さが)なのだろう。

「笑い」は難しい。
昨日受けたからって今日も受けるとは限らない。
狙ったのに滑ってしまったときのなんともいえない空白の感覚は、
時に取り返しの付かないほどの落ち込みになることもあった。
流石にこの年齢になると、何でもありと思っているからそういうこともなくなったが
どれだけうまくフォローするかが大切なので、感覚を張り詰めている事には
変わりがない。

私はこの「笑い」の勉強に、よく浅草21世紀に行く。
何を勉強しに行くかという事は、丸で無い。
ともかく「見て覚える」は、若いときと同じ。
どんなに些細な事でも「これは」と思うものがあれば、乞食袋に入れる。
そして何より大切なのは、楽屋での会話。
ここの楽屋には「空気」がある。

それにしても、喜劇が危ない。
どんどん名優が鬼籍に入っていく。
そして若い人はやらない。
ここ浅草21世紀に入ってくる若い人も
喜劇役者というより普通の役者を目指している人が多いと聞く。
でも喜劇役者はシリアスな芝居もうまいが、
私の知っている普通の役者に喜劇のできる人は少ない。

今の時代、なかなかネタに困る。
今の政権にやっと失言が出たのでホッとしているが、一時期以前の政権のような
ネタになることがなくて本当に困った。
政治ネタ以外にブラックユーモアを考える事もあるが、差別や不謹慎と受取られ
かねず、"自主規制"する場合がある。
馬鹿なことをやったりしているが、少しばかり頭は使うのだ。

東西の喜劇人を集めた日本喜劇人協会というのがある。
そこがこの度初めて機関誌を出した。
冒頭の特集が、「喜劇を絶えさぬ想いを語る」という座談会。
語っているのは左とん平、橋達也、一谷伸江、山村紅葉。
かなりの危機感が伝わってくる。
でも世の中から低く見られているのだ、「笑い」は。
コメント
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