江戸糸あやつり人形

江戸時代から伝わる日本独自の糸あやつり人形。その魅力を広めるためブログを通して活動などを報告します。

宇佐神宮

2016-04-01 23:08:59 | 日本の文化について


宇佐八幡と言っていたが、正式には宇佐神宮というのだそうだ。
もちろん全国の八幡神社の総本宮で、
また、神仏習合の発祥地だった。
隼人の叛乱を、朝廷に協力して平定したことで、
伊勢神宮に次ぐ、いくつかある神社の中の一つになったのだそうだ。
参拝は、2礼4拍手1礼、
確か出雲大社と同じだったと思う。

神仏習合とは、
神宮境内の内に、宇佐宮弥勒寺があった。
明治維新後の神仏分離、廃仏毀釈の中で、このお寺は壊されてしまった。
その後再建されることもなく、名前も消えていたが、
最近になって、宇佐神宮(宇佐宮弥勒寺)と表記されるようになっている。
と、成佛寺のご住職から聞いた。

国東半島には宇佐神宮の末寺が大きいので28、
小さいにも含めると100ぐらいあるそうだ。
これは神仏習合の原点である山岳宗教の「六郷満山」の霊場として開かれた
それは約1300年前のこと
そうパンフレットに書いてある。

その後最長が唐に渡る前に立ち寄ったことから
天台宗に改宗、
法華経を唱えるので、「南無妙法蓮華経」となる。

知らないことばかりである。

上の写真は「呉橋」
菊の御紋が掲げられ、皇室専門の宇佐神宮の入り口になっているようだ。
私はこの橋の名前をずっと「ごふくばし」と呼んでいた。

中に入ってみると、
郵便ポストに「呉橋」が乗っかっていた。

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