マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

「久隅守景」展を観る

2015年10月29日 | 映画・美術・芝居・落語

 10月26日(月)、サントリー美術館へ出掛け、「逆境の絵師 久隅守景」展を観て来た。9月になってからだったと思うが、東京新聞紙上でその特集が組まれたり、13日には妻が一般公開に先立つ内覧会で資料を貰ってきたりして、彼の描いた『納涼図屏風』を観る機会が何度かあった。その図を私は初めて観たのだったが、衝撃を受けた。江戸時代の農民がこのように長閑に見える雰囲気に描かれた絵画があり、それを描いた絵師がいたことに。鑑賞に行く前に『日本美術絵画全集第16巻 守景/一蝶』を借りて来て読み、守景の波乱に満ちた生涯を知り、観賞への期待は更に高まっていった。
 『納涼図屏風』のみならず、それに先立ち描かれた何編かの『四季耕作図屏風』を観るにつけ、人物や動物たちが生き生きと描かれ、それらへの温か眼差しが感じられ、長時間、心楽しく鑑賞して来たのだった。

 本展示開催にはサントリー美術館学芸員池田芙美の、守景研究への強い情熱があったと思われる。その彼女が「図録」に「久隅守景の魅力―身近なものへの寄り添うまなざし」と題する一文を寄せている。今日はこの文を引用させて頂いて、久隅守景の生涯を辿ることとする。


 実は、守景は17世紀に活躍した画家であるが、その生涯については、詳しいことはほとんど分かっていない。いつ、どこで生まれ、いつ亡くなったのかが不明なのだ。
 久隅守景は狩野派中興の祖狩野探幽に入門すると、みるみる頭角を現し、探幽門下四天王の筆頭とまで目されるまでになっていく。探幽の姪・雪と結婚し二人の子を儲ける・・・順調満帆すぎる絵師人生だ。
 しかし、波乱万丈の人生が待ち受けていた。娘の雪(雪信)は探幽に師事し狩野派随一の女性画家と謡われ、清原雪信を名乗るまでになるが、突然の駆け落ち。息子の彦十郎は悪所通いがたたって狩野派から勘当され、その後佐渡へ島流し。身内の不祥事が相次いだため守景は探幽のもとを離れざるを得なくなってしまう。安定した地位を失い、家族もばらばらになってしまう。“逆境の絵師”とはそういうことだった。

 表舞台から消えた守景が再び姿を現したのが加賀藩。前田家の招きで金沢に滞在し、多くの代表作を残した。積極的に描かれたのが『四季耕作図』。種まき・田植えなどの農民風俗が詩情豊かに書き上げられている。東京国立博物館研究員松嶋雅人も『四季耕作図』の表現世界が集大成されて『納涼図屏風』に至ったのだろうと「図録」で記している。(写真:『納涼図屏風』)


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