A Day in The Life

主に映画、ゲーム、同人誌の感想などをコンクリートミキサーにかけてブチまけた、ここはいいトシしたおっさんのブログ。

大阪ステーションシティシネマ「トーク・トゥ・ミー」見てきました!

2024-01-15 23:42:19 | 映画感想
 見たい映画を後回しにしてるとどんどん上映時間が限られてきてえらく遅い時間の回しか空いてないということになるので、良い子のみんなは見たい映画はさっさと見に行こうね!
 というわけで今日梅田に出かけたついでに見てきたのはこれ。
 
 
 用事が終わったのは夕方でしたが9時半の回しか空いてなかったので、時間までタリーズコーヒーで「魂の駆動体」を読むなどして時間を潰します。
 また、せっかく高いところに来たので夜景を楽しむなどしました。さすがに大阪駅からの眺めはいいですね。わたくし人形使いは基本的にヨレヨレの引きこもりな上に、コミケに行くときは夜行バスなので基本的に景色を楽しむという週間が人生からログアウトしているのでこういうときにちゃんと外界に触れておく必要があるなあと思います。
 さて本作ですが、「ヘレディタリー」「ミッドサマー」などで我々観客を思うさまイヤ~な気分にさせてくれたA24の新作ということで見に行きました。映画好きにはわざわざ自分からお金を出してまでイヤ~な気分になりたいという謎の欲求があるのです。
 結論から先に言いますと完全バッドエンドでなーんも解決しておらず最高にイヤ~な気分になれました!(晴れやかな笑顔)
 本作はこれまでも「ヘレディタリー」で取り上げられてきた降霊術が大きな要素となっています。超能力者の手を切り落としてエンバーミングしたという噂の呪物。その手を握って「トーク・トゥ・ミー」と唱えることで霊が憑依するのです。ただし、降霊して90秒間というタイムリミットを過ぎると霊に取り憑かれたままになってしまう。この憑依チャレンジでスリルと快感を楽しんでいた若者グループがだんだんと取り返しのつかないことになっていくというのが本作のお話。
 本作の一連の事件の発端は、グループのひとりがこの憑依チャレンジを行った際に、主人公であるミアの死んだ母親が憑依したこと。母親との思わぬ再会に、ミアは禁を破って90秒のタイムリミットを超過してしまいます。それが原因で彼女の周りでは異常な出来事が起こり始め――。
 本作の目玉となるのはやはり降霊術を行う際のスリルと不気味さ。若者たちは完全にスリルと快感に酔いしれていますが、霊が憑依したときに画面が突然カメラアングルごと水平から垂直になるのはなかなか新しい演出だと思います。
 そしてあんまり目立たないんですが、霊が憑依してるときの人物の黒目が異常に大きくなってるのがあまりにも不気味。あからさまにオーラを発するとか奇声を上げるとかじゃなく、こういう一見地味な演出をされるとかえって恐怖感が増します。
 しかし、実のところ本作における降霊術やホラー要素はいわばトッピングであって、核となる部分は別にあると思うんですよね。ではそれは何かというと「断絶とディスコミュニケーション」だと感じました。
 いきなりラストの話になりますが、冒頭での道路で死にかけているカンガルーとラストで同じく車に轢かれた(と思しき)ミアは明らかに対置されていると言っていいでしょう。死にかけていたカンガルーをひと思いに殺すこともできずに放置してすっかり忘れてしまうミアは、ラストシーンで皮肉にもそのカンガルーと同じ立場に置かれます。重傷を負いながらも生き延びたように見えたミアですが、最後の最後ですでに死んでいてかつての自分と同じように降霊術を行っている若者グループの前に憑依する側として登場します。
 これはすなわち「生者と死者の間には深い断絶があり、生者は死にゆくものを助け得ない」という断絶なのではないでしょうか。事実、憑依時間を超過して霊による自傷行為で死にかけたメンバーを救おうとしたミアは結局何もできずに死んでしまってますし。
 そして、ミアはさまざまなディスコミュニケーションを抱えています。母親とは死に別れ父とは話そうとせず、友人のジェイドとも対立しがちな上にジェイドの母からも疎まれている。そしてミア自身も、冒頭のパーティでの居心地の悪そうな様子からして同年代とのグループとのコミュニケーションがうまくできていない人物です。
 そこで思うのが、本作のタイトルである「トーク・トゥ・ミー」は、そのままミアが心に留めていた「わたしと話して!」というメッセージなんじゃないでしょうか。作中でも一連の事件が起こってからは、ミアはやはり周囲とのコミュニケーションに問題を抱えたまま。これはミアに問題があるというより、ミアの家庭環境と人間関係は母が死んだ時点ですでにミアの手の届かない範囲と深さまで問題が進行していたと思えます。
 降霊術によってミアには死んだ母の幻影が見えるようになるんですが、これが本物の母ではないことは疑いようがないでしょう。作中でも「霊に乗っ取られると自分のことを全部知られる」と言われているように、悪霊はもう明らかにミアの母親の姿を装ってミアを操っているのがあからさまにわかります。言ってることが完全に悪霊な上に、決定的な事件としてようやくミアの父が彼女に対して向き合い話を聞こう、「トーク・トゥ・ミー」しようとした父を装てミアに殺させるのです。
 これ、ただ単に悪霊に取り憑かれたと言うよりはなんとういうか、間違った絆、間違ったつながりに騙されたって感じを受けるんですよ。
 まず根本的に、本作の呪物である「手」は降霊を行う際にかならず「握手をいうアクションを取る必要があります。もちろんいうまでもなくこの「握手」とは繋がる行為であり「契約」でもあります。ミアは終始、このつながりに苦しめられ続け、最終的には自分がかつて見た死にかけたカンガルーと同じ立場になってしまう。
 反面、周囲の人間との繋がりをうまく作れなかった、あるいは自分から断ち切ってしまった、「トーク・トゥ・ミー」できなくなってしまったことから最終的には悪霊の手に落ちて、完全に悪霊に取りつかれたメンバーを車いすごと道路に落とそうとします。このときのミアのアクションが「車椅子のハンドルを『離す』」というのが実に象徴的。
 このときにミアは、完全にこの世とのつながりを「手放し」、ラストシーンのとおりにあの世の存在担ってしまったんじゃないでしょうか。
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